シラスウナギの漁獲高のニュース。これはかなりストライキングというか、ショッキングです。
https://news.yahoo.co.jp/pickup/6268189news.yahoo.co.jp
前年比がこれ…って、もう絶滅の一歩手前まで来ていると言えるのではないでしょうか。 その理由は明確です。持続可能なレベルを越えて、過去の僕らが食べすぎたからです。
僕は、2013年の4月から禁鰻、すなわち鰻絶ちをしています。 僕が日常(と言っても、ぼくは一年に一度、食べるかどうかでしたが)で摂取すること自体が、持続可能なレベルを超越していると自覚したためです。そして、安価な取引で持続不可能なレベルの商売を行なう企業には(少なくとも、鰻を通じては)貢献したくないからです。
正直に言うと、鰻がそこまで好きでもないという理由もあります。ほとんどタレの味じゃないですか…?*1
それでも難しい禁鰻
禁鰻を行なってから現在2018年1月までの半分以上の期間を海外で過ごしているため、神戸の自宅へ戻ると、両親はたいそう喜んで、もてなしてくれます。
特に母は、肉や魚などを用意して、振る舞ってくれるわけです。鰻も例外ではない。母としては喜ぶ僕の顔が見たくて鰻を振る舞うわけですが、僕は食べることを拒むので、母をがっかりさせてしまったこともありました。
こうした僕の行為は時として「空気の読めない」行動になることでしょう。
例えば友人たちとの楽しい飲み会。居酒屋で鰻料理を注文しようという話になった時、僕が「NO」と言ったら?*2こうした「思想」が「空気」や「同調」よりもプライオリティの低いものとして見なされているのが、残念ながらいまの日本の状態です(過去にはどんな社会もきっとそうだったと思いますので、すこしずつ改善されていけばよいと思います)。社会適合者であることと、社会の現在の全てを受け入れることとは、等号ではないはずです。
鰻は絶滅するか?その根拠:研究者による著書から
漁獲高は必ずしも、潜在的な個体数に比例しているわけではありませんが、鰻の個体数のよい(あるいは、唯一の)指標と言えると思います。それでも、詳しい現状は、なかなか(僕のような研究者でも)簡単にアクセスできる情報として明らかにされていません。
https://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/B01N102RDA
によると、次の点が指摘されています。
(http://d.hatena.ne.jp/shorebird/20170710 より引用)
問題は深刻です。日常的に口に運ばれるウナギの多くが、「闇ルート」を通じて収穫されたものだということです。
あまりにも残念な現状
規制が行われていない現状は深刻ですが、もっと深刻なのは、人類に対して総合的知見を提供するための機関である大学ですら、その現状を認識・重視していないということです。
「禁鰻の勧め2014」できました。 pic.twitter.com/Fei4ftrEJq
— Hoso🐌 (@MasakiHoso) 2014年6月10日
一部の大学では、生協のメニューで鰻丼を安価(生協なので当たり前)で提供しているのです。水素水を生協で売っている大学も福岡市の西区にありますが…。
ちなみに、リベラルなアメリカ西海岸でも、鰻への危機感が認識されているわけではありません。
レイク・タホへの道中に立ち寄った、韓国系スーパーにて。値段を見る勇気が出ず。
なぜそもそも守らねばならないか
ここは議論の筋道が間違いなく別れるところですが、 地球生態系というのは現在の人類だけのものではないのです。地球のあらゆる資源は、将来的に持続的な形で利用されるべきです。 「では、なぜ持続させるべきか?」は、我々よりも若い子どもたちの顔を見てから考えてみてほしいです。
「おとうさんやおかあさんがウナギを食べすぎたからね、もうきみたちはウナギを食べられないんだよ」
「へー!愚かだなぁ!」
さらに、ウナギが滅びた場合、ウナギを餌として利用していた動物たちはどうなるでしょうか?あるいは、ウナギが餌としていた生物たちは増えすぎてしまう。 こうした「生態系のバランス」は、いつ地球に計り知れぬ危機をもたらすでしょうか?
人類史には、リョコウバトやドードーなどが人間の手によって滅ぼされてきたという、恥ずべき過去があります。 次はライオン?サイ?ゾウ?トラ?チーター?動物園にいるあんな動物やこんな動物が、実は絶滅の危機に晒されているのです*3。
それだけではありません。花を咲かせる植物、樹木、目にも見えぬような微生物、深海の生物たちも絶滅の危機に晒されている可能性があり、持続可能なレベルを保つことができるのは人類だけです。そして絶滅においやることができるのも。
地球上の生命体はすべて、考えられないような時間のかかった進化という歴史の産物です。いわば地球の、かけがえなき財産そのもののはずです。
「食べるな」とは言えない。…けど…
FBやInstagramでもたま〜に目にする、ウナギを釣った写真、食べている写真、もろもろ。 やっぱりちょっと、いやかなり、悲しい気持ちになります。
乱暴な言葉で言えば「貧すれば鰻を食うべからず」なわけですが、鰻を食べるならそれ相応の対価を払ってほしいと感じるのです。*4
よくある返事❓
- 「絶滅するの?それなら急いで食べなきゃ!」
- 「シラスウナギが絶滅したら、他のウナギをとればいい」
僕はこれには、さすがに言葉を失います。
- 「ウナギで商売をしている人たちはどうなるんだ!」
どの程度、持続可能な取引をしてきたかが問題なのです。もしもその資源が尽きようとしているのであれば、取引を減らすのは当然のことでしょう。
代替案:ナマズはどうだい?
現実的な代替案だと思います。ナマズは形がグロテスク?もしそうなら、ウナギもけっこうグロテスクの分類に入るのではないかなあ。
めっちゃ美味そう。
おまえ、マグロ食べてるやん!
クロマグロもそろそろヤバいはず。安い消費をやめるべきですね。鉄火丼はもう、食べたくないなあ…うまいけどなあ…
果たして僕はこの一生を、ノン・ベジタリアンとして過ごすことができるでしょうか。
子どもたちに鰻を
僕が一匹の鰻をたべることを我慢することで、僕の子どもが少しでも鰻を食べる可能性が高まるのであれば(いや、高まらなくても)僕は喜んで、鰻を絶ち続けます。いつか子どもを持った時、4年に一度くらいは、鰻を食べさせてあげたいなあ(僕は食べないけど)。