Life is Beautiful

主に進化生物学の理論のブログです。不定期更新予定。

生態適応GCOEシンポジウム

東北大で開催されたこのシンポジウム。いい機会と思って参加してみました。

本来は前日入して仙台の珍味を味わったりしたかったのですが、胃痙攣で救急車で搬送。あっけなく前日入の機会を逃しました。
結局、当日である12/12に伊丹空港から仙台空港へ飛び立ち、明日、帰る予定です。

さて、シンポジウム全体としては、政策と保全生態学で培われた知識とをどう結びつけ、生物多様性保全の基盤を社会的に構築するか、というのが主眼となっていました。
そのために、生物多様性科学というサイエンスのセッションと、漁業、農業といった産業のセッションとが設けられ、非常に盛んな議論が交わされました。
私の印象としては、やはりこういったシンポジウムを、市民の意見を交えずに行なっている段階である意味で限界はありますので、「いま、科学者はどこまで何をできるか」という意味で議論を交わすのは非常に望ましいことであるどころか必要最低限ではあるのでしょうが、具体的な提案などがあまりなかったように思います。成功事例の提示は保全生態学では少なくとも危険です。例えばそれはどこかの国で、オオカミを導入して害獣の駆除に成功したからといって、他の国に同じように端的にオオカミを導入するという事案が湧き上がるというのは、あまりに短絡的であるからです。
もちろん、今回かわされた議論はそこまで単純な話ではないというのは、プレゼンを聞いていてもじゅうじゅう承知ではあるのですが、重要なのは成功事例とその原因、失敗事例とその原因とをフェアに提示することなのではないでしょうか。

また、僕としては「若い内から生物保全生態学」に取り組んだところで、壁にぶつかると思っています(個人的な立場とスタイルと方針から、もし自分がそうであったら壁にぶつかるであろう、という意味です)。なぜなら、保全生態学には、政治力とそれを実現するだけの肩書きが必要であるからです。若者がアグレッシブに普及活動や啓蒙活動を行なうこと自体には大きな意義があることを理解しておるつもりなのですが、正直に申しますと、若者が啓蒙・普及活動を行ったところで、それは社会的には認知されないことが多いのではないだろうか、と思っているのです。

まずは、生物多様性科学を研究する研究者として、声を高らかに、保全生態学の主張を行なうためには、それを可能にするだけの立場が必要でしょう。本当に正しいかどうかはともかく、市民を納得させるだけの力を、「立場」という肩書きが生み出すのは事実であるからです(少し、不本意な記述ではあるのですが)。

僕の研究人生の1つのゴールは、生物多様性科学に、なにか大きな重要な理論的な貢献をするという点にあります。今回のシンポジウムは僕にとって、「これまでの生物多様性科学に不十分であったポイント」がすこし浮き彫りになり、大きな課題をまざまざと見せつけられるという大きな契機となりました。

感情論で保全生態学を語る時代がとっくに終わっているのは、誰の目にも明らかです。
議論だけで保全生態を行なう時代も、とっくに終わっています。

では誰がやるのか?

それは、これから、上の生態学者の方々とスムースな世代交代を行なうとともに、政策に携わる方々とのブリッジとが、最も根本的な役割を担うこと自体はまったく間違いないでしょう。

オーガナイザーの皆様、ありがとうございました。