プロとはどういうことか
この記事は、「プロ」と名乗る方々を揶揄したりする意図ではなく、日常においてナイーブに用いられる「プロ」なる言葉が、特にSNSなどにおいて、いかなる意義を孕んでいることを我々は認識すべきか、を考察しることが目的です。
最近になって、「プロブロガー」という方々を多くTwitterで見かけることになりました。ウェブサイトでブログを公開し、読者を集め、その広告料を懐にいれることでご収入を得られているようです。
そういった生き方も僕は全くOKどころか、それほど多くの読者を集める力量、そして読者離れを引き起こさないその継続力には、感服の限りです。
話はすこし飛んで、最近、昆虫食に関して、このような見解を目にしました:
『イケダハヤト氏ブログにて掲載された篠原祐太氏のインタビュー記事に対する食用昆虫科学研究会の見解表明』|食用昆虫科学研究会
詳細は読んでいただけるとわかるかと思うのですが、この問題はなかなか興味深い材料を提供しました。
取材したイケダハヤトさんはプロブロガー。取材をうけた篠原さんは大学生。昆虫食伝道師と謳っており、昆虫を食べる文化を次世代に伝えたいという信念をもたれた、なかなかアクティブな方です。
しかし、その取材の体裁・内容がともに、ちょっとしたディベートに晒されているようです。たとえば、彼は生で昆虫を食べ、それをインタビューの中でも披露(?)されているようなのですが、これは頂けない。生の昆虫は、様々な細菌への感染ベクターであり、生で口にするというのは非常に大きなリスクを伴います。
問題はさらにここから。そういった指摘が、上のリンク内の記事において、明確になされました。しかしイケダハヤトさんのコメントはこんな感じ:
「当研究会は今後篠原氏に対し一切の協力をいたしません」とか書いてしまうあたり、まぁなんか、アカデミックな世界というのは大変な世界なんですね。 http://t.co/FiljvQEQFk
— イケダハヤト (@IHayato) 2014, 6月 21
そう。記事の内容に不正確なものが含まれていると判明したにも拘らず、それについてはニュートラルな態度に徹する。ディベートに対してニュートラルであることと、自分の記事に関してニュートラルであることとは、まったく意味が異なります。
もう一度断りますが、僕は彼を批判するつもりはありません。 興味深いのは、「プロブロガー」という彼自身の用いている肩書。
プロのブロガー。
ブログというは、Web上に公開され、投稿されたもの全般をさします。
Wikipediaによると…
ブログ(blog)は、狭義にはWorld Wide Web上のウェブページのURLとともに覚え書きや論評などを加えログ(記録)しているウェブサイトの一種である。「WebをLogする」という意味でWeblog(ウェブログ)と名付けられ、それが略されてBlog(ブログ)と呼ばれるようになった。
そう。ウェブサイトに日録をつけても、Twitterにつけても、ブログなのです。Twitterはブログの一種です。
で、それを執筆するプロとは…
まず、ブログには査定が基本的にはありません。つまり事前に内容の信憑性を確かめる存在が確立されていません*1。
また、ブログは(誰がやっても)必ず批判に曝される潜在的な運命を背負っています。批判とは、分析のこと。非難や攻撃はその(ごく)一部の形態です。
僕にとっては、プロ、というのはこの2つの性質で特徴づけられるものです。
- 現在/過去/継続的に、査定(審査)を受ける。
- 公な批判(=分析)を受ける責任がある。
このことは、どんなプロでもそうではありませんか?アスリート。コック。ドライバー。。なんでもそうです。
それでお金を稼ぐかどうか、はプロの必要条件にも十分条件にもなり得ません。ボランティアのプロはいらっしゃるし、僕は博物館の補佐アルバイトをしてお金を稼いでいたが、プロではない。
ブログはだれでもつけられ、公の批判を受ける責任が、つねに伴っている。また、査定をうけない。おどろくべきことに、ブログというのはその形式上、(私の考える)プロの条件を満たさないのです。
これでプロがどう成立するのか、というのは今後考えていきましょう。
もちろん、「プロブロガー」というのは肩書・ラベルであって、その本質がどうであるかは別問題でしょう。彼自身は多くのPVをあつめ、影響力をもった人物です。
「プロ」は別に必ずしも賛意のこもった表現ではありません。「アマチュア」も同様に、卑下する意味で用いられるのは、筋が悪いとすら思います。アマチュアは、(最低限の責任を負ったうえで)社会的な責任を伴わずに活動をするための「枠」です。別に誰しもが公の目に曝されるという大きな責任を負って趣味活動をしたいわけではありませんので。
たとえば「おい〜岡崎!今のトラップは悪いわ〜!」というのを、TVでサッカー観戦しながら叫んだとします。 そこで「え、お前にできるの?」というコメントを受けたとします。 そしたら「いや、彼らはプロだから批判を受ける権利はある」と返せば良い。 権利は、責任がある場合には必ずともなうものです。
家族・友人の料理を査定することはしません。しかし外食すれば、僕は料理の評価を行うことがあります。それは作っている人がプロだから。
そういう意味で、大学の先生というのは研究のプロであると同時に、教育としてもプロであることが期待されるのだから、大変だなあ。
*1:とはいうものの、LifeHackerさんなど、ニュースサイトとしての役割も担われている「ブログ」は話が別でしょうが