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Life is Beautiful

主に進化生物学の理論のブログです。不定期更新予定。

エディターが新規性を判断してリジェクトするのはヤバい!

科学論文というのは通常、投稿後にまずエディター(=原稿をレビュアーに送ったり、査読者の査読コメントを投稿者に送る業務に充てられた人)の手元に届いた後、御眼鏡に適えば査読者に回されます。もしエディターが、査読にかける必要すらないと判断した場合、エディターリジェクトと言って、改善コメントはほぼ何もなく(?)投稿者の手元に原稿が戻ってきます。もし原稿の完成度に自信がある場合は、短時間で結果がわかるのでアリガタイこともあるかも知れません*1

僕は幸か不幸か、まだエディターリジェクトを食らったことはありませんが、その基準とは一体、何なのでしょうか?TREEにこんな論文を見つけました:

Arnqvist 2013 "Editorial rejects? Novelty, schnovelty!"

Schnoveltyとは著者による造語なのでしょうか。ちょっと調べても意味が分かりませんでした。*2

本旨を大雑把に言うと、「エディターの手元で新規性を重視しすぎると、科学の価値自体を貶めることに繋がりかねない」というものでした。アブストはこんな感じ:

Because many journals are currently increasing the rate of pre-peer-review editorial rejects, the editorial criteria upon which such decisions are based are very important. Here, I spotlight ‘novelty’ as a criterion and argue that it is a very problematic decisive factor at this stage of the editorial process.

本文
  • この10年で、大手ジャーナルへの投稿数は2倍かそれ以上に増加している
  • それによって単にリジェクト率が高まるだけでなく、有能なレビュアーを探す仕事にも負荷が増す
  • これを解決するための方法が、エディターによるリジェクト
  • とはいえ、それがエスカレートすると、結局、エディターの総合的な手腕がますます要求される一方
  • サイエンスにおける「門番」は必要かつ重要なのだが、狭き門になればなるほど、門番の仕事は難しくなる
  • 主要なジャーナルの一部は、次のような規準を設定している:(1)ジャーナルにとって適切なトピックかどうか;(2)新規な研究かどうか。
  • 1つめの、ジャーナルへの適合性は問題がないであろう
  • しかし、エディターが「新規性」を判断するのには非常に多くの問題があることを、3つの理由を挙げて述べる

1. 新規性の査定というのは、読者の知識や価値観に依るものである!

  • 読者が決めるべきことであって、新規性の度合いというのは、エディターが判断材料とする他の項目に比べて、要求されるものが大いにあることだろう
  • 1人のアソシエイト・エディターがあらゆる領域のプロたりえるはずがないのだから、新規性の欠如によるエディターリジェクトは、精通性を欠く*3誤った判断に陥りがちである
  • エディターによる決定における恣意性というのは投稿率が高まるごとにその程度が増すものであるから、掲載可否の重要な判断規準として「新規性」を考慮してエディターが決定を下すというのは、そういう悪しき傾向をさらに悪化させかねない

2. エディターと著者は、共進化する!

  • エディターの判断に応じて著者が対策を練るというのは自然なこと
  • 新規性に基づくエディターリジェクトという風習が悪化すると、研究者たちが科学の中に自分の勝手な輪郭を描くようになることに繋がる
  • これは、二流のサーカスがバケツに片足を突っ込んで3つのゴルフクラブでジャグリングをし、高々と「こんなことができる人はこれまでいなかった!」と叫び、オールド・ラング・サインをヨーデル調に歌うようなものだ…だがそれはよく言ってもただのマヤカシだ

ここの記述には、笑いました。大きな研究プロジェクトのタイトルに見られる傾向と、まったく同じだと思いました。研究費の申請は"ニホンゴ"で書くようにせねば。

3. 真に新奇なものというのは科学においてほとんどない!

  • 科学の進み方というのは先行研究によって形成された基盤(=巨人の肩)の上に立つものであり、関連する研究は正しい科学的営みの礎となるものだ
  • 先行研究を引用して、自分の研究と対比させるなどがそれに当たる
  • しかしだからこそ、自分の研究というのはそれに対する貢献が微量であり、新規性がないと感ずるに至る
  • その結果、著者には、知ってか知らずか、自身の研究の印象をふくらませて誇張し、先行研究をしぼませたり、無視したり、あるいは貶めたりすることになる

すべての研究は、巨人の肩の上で行われるべきものです。

  • エディターが判断すべきは新規性ではなく、この段階では問題が生じにくい規準(トピックの妥当性、科学的・技術的な質)にもとづいて行われるべきだ
  • 当該の研究の新規性や、それがどのくらい科学の発展に寄与するかは、エディターによる最終判断に基づくべきではあるのだが、それはそのフィールドに長けたレビュアーに任せるべき仕事だろう
  • エディターが新規性を判断するなどという悪しき風習は排斥されてしかるべきだ
  • それは科学を破壊してしまいかねない。掲載可否の判断の恣意性が高まり、貧弱な科学的営みを助長するばかりだ

なかなかおもしろい論文でしたが、身につまされる思いでもありました。自信を持って、ほそぼそと自分の研究を続けていこうと思います…!

*1:でも、査読者に審査され、改善案や問題点を指摘された経験のある原稿のほうが、客観性と完成度の高い論文になりやすい、ということも有り得るかも知れません。とはいえこれは、後付のポジティブな考え方でしかありませんが

*2:後記:shnookという、「馬鹿者」を意味するスラングとの洒落なのかもしれません

*3:less informedという表現が用いられていた。特定のブンヤに対する無知に基づく、といった意味だろう