Life is Beautiful

主に進化生物学の理論のブログです。不定期更新予定。

自然主義の誤謬

自然(natural world)を観察すると、様々なものの在り方、すなわち現象が人々の頭にインプットされます。しかしそれらは、「そうなるべきだった」かどうかという必然性を教えてはくれません。

自然主義の誤謬というのは、「自然ではAはBなのだから、人もCであるべきだ」などといった主張のことを指します。

たとえば。

『【正論】長谷川三千子氏 年頭にあたり 「あたり前」を以て人口減を制す』

http://www.iza.ne.jp/kiji/column/news/140106/clm14010603200001-n3

実はこうした「性別役割分担」は、哺乳動物の一員である人間にとって、きわめて自然なものなのです。妊娠、出産、育児は圧倒的に女性の方に負担がかかりますから、生活の糧をかせぐ仕事は男性が主役となるのが合理的です。ことに人間の女性は出産可能期間が限られていますから、その時期の女性を家庭外の仕事にかり出してしまうと、出生率は激減するのが当然です。そして、昭和47年のいわゆる「男女雇用機会均等法」以来、政府、行政は一貫してその方向へと「個人の生き方」に干渉してきたのです。政府も行政も今こそ、その誤りを反省して方向を転ずべきでしょう。それなしには日本は確実にほろぶのです。(埼玉大学名誉教授)

太字で強調した部分は、自然主義的誤謬に陥っています。この論調が認められる場合、「一部の哺乳類では、オスによる子殺しが起こる。それが自然です。なので、男性は子供を殺すべきである」というとんでもない論調が認められてしまうことになるのです。子殺しの要因は色々と考えられていますが、オスが、よその子を殺すことで、その母親を繁殖可能状態たらしめることができる、というのが有力です。

「それは倫理的にまずい」という話になったら、「自然に倫理はありませんよ」と僕は返すでしょう。意地悪かのように思われますが、ジェンダー論という、ヒトの(それこそ自然選択をうけて進化してきた)「文化」の問題から論点をずらすだけの論調なのです。社会問題は、自然ではなくヒトが解決すべき問題です。しかもそのあとで「合理的」などという表現がみられるのが、ちぐはぐ感を引き立てます。

なお余談ですが、当該の箇所は、もう一つの誤りに陥っています。ナイーブな群淘汰です。少なくともオスは交尾回数に比例して適応度が高まります。よってこの長谷川氏の論調は実質的に、自然における一夫一妻の進化は、一夫一妻というペアの利害にもとづいて進化が起こった、という考え方に基いているのです。それは特定の文脈では考えられることなのですが、すくなくともここでは僕はそれを「自然だ」と断言してよい根拠は、全くないと思います。

群淘汰は、簡単な思考実験で、だいたいの場合は誤謬であることが"論証"可能です。一夫一妻の進化をこのように、夫婦の利害に基づいて考えてみましょう。すると、夫は浮気するほうにインセンティブが働きます。つまり、浮気するオスのほうが適応度が高まり、次世代で遺伝子頻度が高まります。一夫一妻を重んずるオスは明らかに不利だからです。つまり、一夫一妻は、夫婦の利害に基づく限りは、個体の利害に敵わず、進化的に安定ではないのです。

…と、いうことは、ここでの長谷川氏の論調を、

  1. 自然主義の誤謬 2.ナイーブな群淘汰の誤謬

にもとづいて、意地悪に解釈すると、

  • 男は子供を殺すべきだし、
  • 浮気もすべきだ

という結論が得られる(可能性がある)ということになってしまいます。もちろん僕の答えは、両方NOです。

自然はそんなに都合よく、社会問題の答えを教えてなどはくれません。