Life is Beautiful

主に進化生物学の理論のブログです。不定期更新予定。

年上を敬う社会は、年下を蔑ろにする社会であるべきではない

「先輩」・「同期」・「後輩」という日本語は、社会的な生活を送る日本人であれば、毎日でも口にしてもおかしくない言葉です。「先輩相手なら敬語を使わねばならない」などの、社会的な違いを明確にするための言葉でもあります。

これらは、社会的な文脈に限らず個人的な文脈にまでおおきな影響をもつ概念です。 なぜなら、プライベートでも先輩への態度は「うやうやしく」なくてはならないからです。つまり日本の、ビジネス以外にまで広く浸透した文化です。

日本のTVをつけてみましょう。たとえば吉本興業の芸人たちは、「先輩」への絶対服従を、それはもうあからさまに、体現しています。先輩に敬語を使わないものなら「お前先輩やぞ!」と(文字通り)周りから叩かれる。*1

あるいは、先輩相手には楽屋への挨拶はせねばならない、というのもありそうです。もちろん「今日はよろしくお願いします」くらいの挨拶は、お互いに気持ちのよいものであり、素晴らしいことです!しかしたとえば、先輩が後輩に対して楽屋挨拶をするという話は、すくなくともテレビにおいてはあまり耳にしません。*2 そんな文化があるとそら、世代交代できないわけです。そして未だに1980年代に成功したタレントたちを中心的に起用するテレビ局の大きな罪です。世代交代のできないコミュニティには終焉しかない。若い芽が出ない!

より卑近的には、会社でも、そして研究者の集まり(研究室や学会)でも、雑用が「後輩の仕事」というのは、耳にしたことがあるのではないでしょうか。体育会の部活などでもそうかも。バイトでもそう。どこでもそう。家族でもそうかも?

僕は長く、「先輩」「後輩」という概念と格闘することが多かったのですが、ひとつの経験をとても鮮明に覚えています。それはパリでの学会でのことです。たまたま日本人の「先輩」がその場にいたので話していたのですが、知り合った人に"Is he your colleague as well?" と言われて、どう答えたらよいのかわからなかったのです。先輩ってなんというのだろう?と。Older colleague? ではなぜ、年齢や立場を、そんなところで言葉にせねばならないのか?なぜ、「友達」ではダメなのか?(自問自答)結局、僕はしどろもどろな返答しかできませんでした。*3

従順な後輩として振る舞うことは、有利である

自分に対して「従順な後輩」は、さぞかし可愛いことでしょう。すると「従順な後輩」として振る舞う方向にインセンティブは当然として働くわけです。「上」への態度は社会的成功において非常に重要なファクターと思います。

繰り返すと、「先輩」を絶対視する行動は、日本社会では「利得」が、なんせ高い。だって、上から可愛がられるわけですから。そうした先輩への服従を行動で示すだけでなく、自分の周りにもそれを強いる人は「先輩」という「上」の立場になったとき、どういう基準で「下」の者を評価するのでしょう?考えるだに恐ろしい話です。だって能力そのものよりも、従順性が評価されるのですから。アホらしい。

だから僕は「後輩として」自分に従順な人に対して、どのように接したらいいのか分からないのです。もっと、対等に意見しあえる関係が望ましいし、その人が「先輩」になった時に別の態度をしていたとすると、それはもうニセモノだと思うのです。

なぜ現状を良しとするのか?

「お前、先輩に対して失礼やぞ!」というこの言葉。意地悪な見方をすると、おなじことを『同期』や『後輩』に対してなら、やってもよいということ?んなアホな。

もしも「敬語を使わないなんて失礼」なのだとすると、同期や後輩にはそうした失礼を働くのは許されているということ?それこそ失礼な話です。

ぼくはこうしたものは全て、年齢差別だったりカーストに近いものだとすら思います。 年齢による差別は、もっと深刻な現状があります。たとえばなぜ履歴書には生年月日を書かねばならないのか?

もしも「それが日本の文化だから」というのであれば、なぜそうした文化を批判的に検討し直すことをしないのか? 行動やルールの原理が最終的に「伝統だから」というものでしかないなら、そんなルールは馬鹿げている。人を幸せにしないようなルールは、なくしてしまえばいい。

なかなかうまくはいかない現状

たとえば僕が会社に勤めていて、同じ部署の「後輩」なる女の子に対して、「敬語でなくてよいよ」と言ったとします。そして彼女がそれを実行し、タメ語で話すようになったとします。そして仮に僕が既婚者だったと仮定*4すると十中八九間違いなく起こる噂が

「あの2人、デキてる!/不倫してる!」

文春が小室さんの不倫を報じ、たくさんの方が文春のゲスなビジネスに反吐を出す点ではまだ健全な社会だと願いたいです。しかし、これは、カカシを殴るようですが、まず間違いなく(いまの)日本の文化では、起こる。

そうした噂がために尚一層、2人の社会的な成功度は低くなる可能性があるのです。敬語文化は一旦確立すれば局所的に均衡状態であり、敬語を用いない(小数の)突然変異の侵入に対して堅固なのです。

宗教的な理由?それはお互い様!

こうした、上を絶対的に敬うのは、儒教的なルールだから(仕方ない・当然)、と言われるかも知れません。しかし宗教には自由があります。儒教を信仰する自由は同時に、儒教を信仰しない自由も保証するはずです。僕は儒教者ではないので、そうした文化には、宗教的な理由によっては、従いません。

丁寧語がナンセンス、というのではない

丁寧語というのは文字通り、丁寧な印象を与えます。だからたとえば、初対面の方に丁寧語を使うのは悪いアイデアではないはず。

いや、ひょっとすると僕の論理を一貫させるのであれば、僕は全員に対して丁寧語を使うべきなのでしょうね。それができない僕はその意味で、ご都合主義的なものかも知れませんね。

年齢フリーな関係を:年齢より大事なことがある

僕はもしも、研究室を運営するようになったら、なるべくそうした立場の違いで不利益や不都合が被ることを防止したいです。 そして年齢以上に、共通目的への協力を重視したいです。そして、年上を敬うのと同じくらいに、同い年・年下を敬う社会にしたいです。

*1:いちど、島田紳助が「しゃべくり007」という番組のゲストで出演したのを観たことがあります。ネプチューンくりぃむしちゅーも、迎合迎合で、本当に興ざめする回でした。大好きな番組なのにな…。

*2:おぎやはぎの、このやりとりは面白かった:

おぎやはぎ矢作、楽屋挨拶をやんわりと断る所ジョージの気遣いに感心「打ち合わせ中なので、ノックしないで下さい」 | 世界は数字で出来ている

*3:いまは、"senpai"というスラングがあるらしい。すげえな。

「先輩」 「後輩」って英語でなんて言うの? - DMM英会話なんてuKnow?

*4:この仮定は偽ですので、この文脈ではいかなる命題も正しくなってしまうのですが、まあ、そこは置いとこう