Life is Beautiful

主に進化生物学の理論のブログです。不定期更新予定。

「平等性と公平性」イラストを再検討し、一歩先へ進む

追記@11/16

下記の画像を人種間格差において用いた例なんてあるのか?という疑問をお持ちの方が居たようですが、その反応に僕は戸惑っています。知らない方がいたことを知らずにいて、すみません。

www.washingtongrantmakers.org

earlylearningntx.org

まあ、探せばいくらでも出るんですが、僕は格差・差別・偏見において、無知であること・無意識であることは、とても重大な問題という立場です。

また、systematic oppressionという言葉を用いたら、それは何?と言われたことも、僕にとってはショッキングでした。

en.wikipedia.org

Systemic oppressionとも言いますが、既存のシステムが、特定のグループに属する人たちにとって、ベースラインが不利な設計になっている状態を指します。

ま、ご自身で調べてみれば分かることって、たくさんあって、僕はそれ全てに答える立場にはないです(部分否定)が、systematic oppressionについては、また別のエントリーを書くかもしれません。いずれにせよ、無知の人たち自体に“罪”はないが、知らない差別・格差・偏見の存在を認めることから始めるのは、悪いアイデアではありません。

www.youtube.com

追記@11/15

本エントリーでは、問題の画像が、人種間格差とその“是正”を強調する文脈で頻繁に用いられているという背景をご理解の上で、お読みください。 *1

【みなさんありがとう】

lambtani.hatenablog.jp

このブログポストが話題です(なのか?)。やはり、数理モデルは、問題を数値化・可視化して、描像をクリアにしてくれるなと思いますし、あのブログを読んで、少しでも考えるべきことが生まれた方々は、日本社会をこれから改善していく力を持っていると思います。

【本題】

とか書いていると、スピリチュアルな方向に行きそうになりますが、今回話題にしたいのは、平等性・公平性。

ググれば出てくるし、必ず一度は見たことのある、この画像。

https://miro.medium.com/max/3600/1Sbu0UfWk6FZGoUIYFGqrUA.png

Equality(平等性)とEquity(公平性)の違いを一発で「理解」できるように可視化したこのイラストは、実に見事。

言い換えれば、こんな塩梅でしょうか。 *2

  • 平等であること:全員に同等のサポートを施すこと。
  • 公平であること:全員が同等な結果を達成できるようなサポートを施すこと。

最近では、東京大学における“女子優遇”制度がSNSで話題になりました。参考:

家賃補助は女性優遇か? - 教養学部報 - 教養学部報

つまり過程が平等であることではなく、結果が平等になるような社会にせねばならない。そうした認識が取り沙汰され、徐々に意識の変化に向かっているのは素晴らしいことです。僕も、こうした動向から多くを学んでいます。

このように分かりやすいイラストには、数理モデルの予測の可視化と同様、明解な説得力があります。

【問題】

先述の通り、あのイラストは、平等性と公平性の根本的な違いをクリアにする、重要なイラストです。それは間違いない。じゃあ社会は、equityを達成することに向けて動くべきだろう。個人でもそれを始められるだろう。そう思うわけです。

しかしあのイラストには、決定的な問題が潜んでいます。特に、racial equityの観点では。

下を読む前に、考えてください。何で問題なのでしょう?僕も、調べ、勉強し、深く考えるまで、まったく気づきませんでした。これこそが無意識のバイアス。

その1:生物学的に違う?

そもそもあのイラストで並ぶあの三人の少年は、身長に差があります。でもこれは環境要因によってもたらされるものばかりではない。つまり、遺伝的要因によっても左右される。

そう、あの三人の違いは、生物学的な要因にも起因する。

ということはあのイラストによって得られるメッセージは、生物学的な違いによって、我々は差があって、それを補う必要がある、ということのみです。

本当にそうでしょうか?

僕はアジア人です。この生物学的理由によって、たとえば、機会を損失・能力を欠如していて、そこへの社会からのサポートが必要なのでしょうか。いや、違う。

僕はアジアに生まれたという環境的要因によって、機会を損失する・した可能性があるため、そこへの社会からのサポートが必要なのです。たとえば、僕は英語ネイティブな環境に生まれていない。だから、英語でのコミュニケーションにおいてサポートは必要です。僕がアジア人だから英語ができない、のではないのです。

この違いはとても大きいです。前者の、つまり生物学的解釈だと、特定の生物学的背景を持っている人たちが、それを持ってない人はその生物的要因がために何か(たとえば数理モデルを解析する能力)を欠いている、というステレオタイプをむしろ生み出してしまうからです。

特に人種間の格差の要因は、歴史・文化とシステムという、環境に基づくものであって、生物学的なものではないのです。

もちろん、生物学的な差がヒト内には存在しない、ということを主張したいのではありません。たとえば、“日本人”の腸内には、海苔を消化するのを助けてくれる細菌が存在することがわかっています。

natgeo.nikkeibp.co.jp

海苔は冗談めいた例ではありますが、たとえば、松葉杖をついているひと、車椅子に乗る人、視力に問題を抱えるへのサポートは必要です。

要は、生じている格差を生物学的差異に帰着させるのは乱暴であるということです。

その2:非対称な貢献

イラストでは、身長の高い人が、一番低い人に、土台を譲っています。これは公平性をもたらす優しさと捉えることは可能です。

しかし、ですよ。

このイラストでは、一番低い人は、資源(土台)を持つ者から資源を獲得して利用し、一番身長の大きい人に、何も提供していません。つまりイラストの中では、一番身長の低い人からの貢献はない。

このイラストは、マイノリティの貢献を度外視しているにほかならない。

考えすぎ?いやいや、でもこのイラストを文脈抜きで見ると、そうでしょう?イラストでは、一番低い人の、社会(この場合、三人)への貢献はない。

これもまた、差別的な思想に他ならない。

この論調は、以下のブログから得たアイデアなのですが、読んだとき、僕はしばらく理解すらできませんでした。理解した今ではわかる。自分の無意識がいかに深刻であったか。

medium.com

マイノリティが社会にもたらす貢献は、マイナーではない。

たとえば、僕は英語ネイティブではありません。科学的営みの文脈ではサポートが必要です。でもそれは、ぼくがもたらす貢献がないことを意味しない。

もっとも身長の高い人に着目することは、とても気が滅入ります。(生まれつき)恵まれた人だけが、公平性に貢献することを、あのイラストは描いている。

【実は痛い思い出がある】

これに関して、僕は、ショッキングな思い出があります。

2016年に九州大学ポスドクをしていた頃、所属していた研究室に、オランダからの留学生(女性)が来ました。彼女はサッカーが趣味ということでしたし、僕が所属していたKONAMIアクションサッカーでのチームに加わってもらいました。毎週、夜に試合をする5,6人のメンバーで構成された我がチームは(というか、他チームも基本的に)全員男子。まあ、知り合いにはアクションサッカーでプレイしたい女の子がいなかったし、その性比問題は今回はおいておきましょう。

で、KONAMI公式ルールによると、女性が一度ゴールを決めた場合は、得点は二点。僕は彼女に、そのことを英語で伝えました。すると彼女は、とても不愉快な感情を顕にしました。“Why? Why?”

もちろん、「それがルールだから」といえばそれまででしょう。でも彼女は、生物学的に異なる運動力をもつ(可能性がある)男女という違いは、自分にあてはまることなく、同等に貢献できるという自負があった。

それを尊重せずに、試合を行なってよいのでしょうか?

当時の僕は、審判に話をしましたが、話は通りませんでした。もちろん、審判の方は悪くないのです。KONAMIは大きな会社であり、公式リーグを開催している以上、審判の一存で、得点ルールを変更することはできない。それは僕は、最大限に強調したい。

そして彼女は一緒にプレイしました。得点もしました。1点で換算してくれ、と審判に訴えました。でもそれは通らなかった。

僕はそのとき、解決の仕方がわからなかった。でも今ならわかるのです。たとえば、彼女に両方のオプション(2点換算か、1点換算か)を提供できていればよかった。現に彼女は多くの得点を決めました。ちなみに、彼女は日本でおこなった研究で、Plos Computational Biology誌に論文を出しました。

彼女は、幅ひろく、絶大に、貢献した。差異は、存在を前提にしてはいけない。

他の「問題」

野球観戦は、一人が見ようと二人が見ようと、その価値は変わらない。

しかし、飴玉が一個の場合、一人がまるまる口に入れると、他の人は食べられない。

つまり資源が分配不可能な場合をあのイラストは考慮しきれていない。

描き直し?

ではこのイラストはどう描き直せば、僕らは、equalityとequityを「正しく」理解できるのでしょうか。

きっとその「正しさ」は時代とともに変化するものですよね。親しい友達・家族と話し合って、「多様性」を一緒に考えるのは、人生を豊かにするきっかけになるのではないか、と僕は思います。

少なくともその意味では、(こういう観点がどこかに明文化された場合には)あのイラストには価値があるのかもしれません。

*1:The problem with that equity vs. equality graphic you’re using | Cultural Organizing

*2:日本語での解説も、様々なキュレーションサイトでなされています。たとえば: buzzap.jp