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主に進化生物学の理論のブログです。不定期更新予定。

グループ淘汰と血縁淘汰の形式的な等価性?その4 : Definition and necessity of weak selection.

弱い淘汰の定義と必要性

包括適応度理論*1では連続的な表現型値が仮定されます(量的形質ということ)。その場合、協力者、とは、確率\( p_C \)で協力行動をとる者のこと、裏切り者、とは、それよりも低い確率\( p_D \)でしか協力しない者のこと、と定義されます。進化ゲーム理論ではそれは混合戦略であるという仮定に対応しています。協力者が集団中で頻度を高めるかどうか、という進化のダイナミクスを論ずる上では、弱い淘汰という条件は \begin{align*} 0<p_C-p_D=:\delta \ll 1 \end{align*} で定式化できそうです。Wild & Traulsen (2007)では、これを仮定することでゲームのダイナミクスは非常に狭いクラスに落とし込まれてしまうことが指摘されています。具体的には、

という行列でゲームが決まります*2。行列ゲームは行列の定める2formで全て利得が決まるので、もし近似するとすると\( \delta^{2}\)の項だけです。実際、\( \delta^{2} \approx 0\)を実行すると、相加的なゲームが得られます*3。よって、その近似が正当化できる場合には、利得行列は、「c」とか「b」の項だけで表現されることになりますね。

ここで著者は、Nowakによって導入された、別の弱い淘汰の導入方法を紹介しています。それは、元の利得行列を

で定義するものです*4。ここで\( \sigma \ll 1\)は選択の強さです。前回のエントリーでは、一般の行列が相加的である条件は対角成分の和=非対角成分の和であること、というのを紹介しましたが、それは今回の行列でも(当然)同じであり、この行列が相加的である条件はやはり、\( R-S=T-P\)で与えられます。このような頻度非依存的なゲームでは、以上2つの弱い淘汰の入れ方は同じ結果に帰着されるのですが、もし頻度依存的な場合には、異なった結論が得られることが指摘されています*5。そしてこういった「ペイオフの相加性」とか「頻度依存性」、「弱い淘汰」というのは数学的に密接に結びついているがために、混乱が引き起こされている点も断られています*6。以上のように、量的形質の場合には包括適応度理論で弱い淘汰を仮定するのは適切だが、進化ゲーム理論は質的形質にも適用可能であり、示唆に富んでいる、と結論づけられています。

続いて、ではなぜそもそも弱い淘汰を仮定するのか、という問題提起がなされています。実際、野外で見られる形質というのは弱い淘汰を受けているというサポートはあるものの、数学的にはどういうことだろうか?というものです。

包括適応度理論では、それを仮定するのは血縁度を計算するためだ、と言われます。確かに、血縁度というのは、中立的な状況を仮定して、つまり「ほぼ中立である」と仮定して計算されます。強い選択がかかっている時には、家系図をたどって血縁度を計算するというのがむっちゃタイヘンです。いっぽう、進化ゲーム理論では、ダイナミクスを決定論的に記述するためだ、と述べられます。

集団遺伝学では、拡散近似などは弱い淘汰を仮定します。ところがマルチレベル淘汰*7理論ではそんな仮定は必要ない!ということが引き合いに出されています。また、Ohtsuki et al. (2007)のような円環上でのゲームでもそうだ、と言われています。弱い淘汰という仮定は、いろいろ便利だが、たとえば文化進化のようなものでは不適切な近似である、ということで締めくくられています*8

ここの論旨はけっこうぶれぶれでしたが、おそらく、弱い淘汰という仮定は、進化ゲーム理論には必要ないぜ(マルチレベル淘汰でもしかり)!という、一般性の高さを強調したかったのでしょう。しかしここは、「検証可能な予測を与えるかどうか」というところは完全に無視され、数学的な構造が解析されているに止められています。

近年のNowakらの包括適応度理論への攻撃をみるにつけ*9、数学的にrigidな理論を構築したいという野望があるように見えるいっぽうで、E. O. Wilsonのような耄碌生物学者権威を連れてきて、実証研究での包括適応度理論の適用を否定する…というのは、なんとも筋が悪いと言わざるを得ません。理論はいくつも存在し、それらは異なったフレームワークや数学的背景をもち、さまざまな現象にそれぞれ適用可能なのであれば、どちらも尊重し、論理的な誤りや近似、制約などを(攻撃ではなく)認識する、というのが科学者として真摯な姿勢なのではないでしょうか?アインシュタインの理論とニュートンの理論、どちらが正しいかと言われれば前者なのでしょう*10が、現実的に樹からリンゴを落とす実験やモンキーハンティングの計算をするのであれば、ニュートン力学で充分なはずです。それと同じで、厳密な理論というのは厳密であるがために多くの弱点を持っているはずです。そこを乗り越える近似を包括適応度理論は敷き、ある程度の理論整備を行なうことに成功しています。そしてその仮定が覆されたところにも適用可能なように、理論を拡張・外挿する。これが本来の理論家の仕事のはずです。

とだらだらと書いてしまいましたが、次回は、議論のパートを見ていきます。そして2本目の論文の精読に入ろうと思います。

あと、ペイオフの補遺を書こうと思ったのですが、時間切れにつき、次回(以降)に。

*1:包括適応度理論も、アダプティブダイナミクスでもですが。

*2:本エントリーの最後に補遺として解説しようと思います

*3:ということはつまり、\( \delta^{2} \)の項が、シナジーの効果を完全に決定しているということです。これを鋭く見抜いたのが、Ohtsuki (2010)でしょう。

*4:内容には無関係ですが:前回のエントリーもそうですが、Markdown方式でMathJaxを用いて行列にラベル(\( \mathcal{C}\)とか\( \mathcal{D} \)とか)をつける方法が、思いつきませんでした。。\pmatrix環境では行や列にラベルがつけられないでしょうし、よい案があったら誰か教えてください!

*5:ここで「頻度依存性」という言葉遣いには少し慎重な姿勢を保つ姿勢があることがよくわかります。自然選択が頻度依存性を持つとは、集団中の特定のタイプの割合(組成)が、自然選択の方向や強さを変化させることを言います。もしも、彼らがこの論文で「頻度依存性」という言葉遣いを、「ゲームが相加的か」という性質で定義しているのだとしたら、それは重大な誤解でしょう。この性質は、一般の協力行動の進化ゲームにおける普遍的に成立するものではありません。Nowakたちは、ただただ進化ゲームというのを行列の利得でのみ決めようとするために、混乱を経験しているのではないでしょうか?そして何より、Ohtsuki (2010)を読めば、そういう誤解は一瞬にして吹き飛ばされるはずだと思うのです。。

*6:ブーメラン?

*7:出た!という感じです。

*8:引用文献がないので、僕には判断できませんが、なんとなくそんな気はします。

*9:そして僕が指導教官と議論するにつけ

*10:この具体例の出し方は指導教官に教わりました。