ここは、本論文が数学的な構造を紹介するという主旨のためか、けっこうあっさりまとめられています。
著者自身は、進化ゲーム理論と包括適応度理論とは、ただの意味論的な違いしかないという疑問にはNOと答えたいということのようです。ネットワーク上での協力ゲームは進化ゲーム理論にもとづき、他のモデルは包括適応度理論にもとづいていて、それらを互いにスイッチしあうことはそう簡単でもない、と結論付け、特に、ゲームが相加的でないとこれら2つの理論が一致しないというのは重大な問題であると述べられます。
しかしここも僕はまったく理解できません。ここで紹介されたメソッドは包括適応度理論ではなくPrice方程式です。僕なりの回答としては、
- 包括適応度理論はDynamical Insufficientではない。
- 包括適応度理論は頻度依存選択が作用しても機能する。
- 包括適応度理論は色んな「弱い選択の入れ方」に対してロバストである。
ということです(つまりこの論文で取り沙汰された「包括適応度理論の弱点」は全て誤解であるというのが僕の理解)。別に僕は包括適応度理論の専門家ではない*1し信者でもなく、この論文での論調はアンフェアだと考えているのです。
次のパラグラフでは、協力行動には(おそらく、緑髭や血縁認識ではなく)アソートメントが本質的だろう*2と述べられ、「アソートメントは結果か、要因か」という議論のまっただ中であることがコメントされています*3。
時間がなくてすこし駆け足となりましたが、Traulsen (2010)はこんなもんです。
全体的に、いざしっかり分析してみると、コンセプチュアルな箇所、それこそまさに、弱い淘汰、DS、頻度依存性などに関してしっかり勉強できたので、読んでよかったと思います。しかし、これは明らかにNowakやWilsonに擦り寄る論調で、誤った認識に基づいた記述も多く散見されました。そして、数学的な構造の違い、と大々的にタイトルづけしている割には包括適応度理論の背後にある深淵な数理解析(Rousset & Billiard 2004とか、Ajar 2003とか、Rousset 2004、そしてRoze & Rousset 2008などなど)がまったく解説されていないのは、どういうことなのでしょうか。。
近年、包括適応度理論の、理論家むけの本はぽつぽつとしか出ていません。レビューもそうでしょう。僕も、Foundations of Social Evolution (Frank 1998)、Genetic structure and selection in subdivided populations (Rousset 2004)、この2冊を2年間かけて読み、そして現在はPrinciples of Social Evolution (Bourke 2011)などを読んでいますが、確かに難しいし、数学的にはけっこう大胆な近似とかを平気で行ないますし、テクニカルです。ひょっとすると、包括適応度理論というのは包括適応度理論家のための理論でしかなくなっているのかも知れません*4。そういった閉じた(可能性のある)コミュニティに、比較的中立的に*5切り込んでいくこの論文には、僕はそれなりに価値はあったのではないかとは思います。
次回からは、この論文に対する挑発論文を読み進めていこうと思います。あるいは、Charles GoodnightのContextual Analysisの勉強をして、まとめてみようかなと。