Life is Beautiful

主に進化生物学の理論のブログです。不定期更新予定。

「行動生態学」

※この記事は、生態学会ニュースレター2014年5月号に掲載された、私自身による書評のHTML版です。数式や脚注などのスタイルを、はてなブログ用に最適化してあるつもりです。

Amazon.co.jp: 行動生態学 (シリーズ 現代の生態学 5): 沓掛 展之, 古賀 庸憲, 日本生態学会, 沓掛 展之 担当編集, 古賀 庸憲 担当編集: 本

行動生態学オワコン*1か?–これは2012年日本動物行動学会大会におけるラウンドテーブル(自由集会)のタイトルの1つであり、華の時代を謳歌してきた「行動生態学」へのアンチテーゼとして、反響を呼んだ。こと我が国においては、行動生態学の新しい手法や概念は積極的に取りいれられ、多くの教科書も編纂されてきた。「行動生態学入門」(粕谷)、「動物生態学」(嶋田・粕谷・山村・伊藤)といった重厚な教科書は、行動生態学研究の成果の体系と言えよう。しかし21世紀に入ってからは、私の知る限りは「行動生態学」を体系的に俯瞰する和書はでていなかった。これまでの知見の蓄積を改めて見渡すため、(そしてオワコンなのか確かめるべく、)本書を紐解くこととした。なお本書評では、なるべく各章の書評を独立にかつself-containedに構成するよう努めたので、気になる章の書評だけを参照することも可能である(本心を言えばすべて読んでもらえると冥利に尽きるというものだが)。

さて本書はその道のプロによって分担執筆され、完結的な各章から構成されているわけだが、第1章は、「行動生態学の基礎」。表現型ギャンビット、戦略モデルの原理、進化ゲーム理論、進化的安定性、血縁淘汰といった行動生態学の基礎である枠組みがまとめられている。そのなかでも圧巻は、行動生態学の金字塔の一つであるHamilton則を、Grafenの秤を用いてエレガントに導出しているところだ。ただ一つ物足りない点は、「相互作用のコスト・ベネフィット」の「適切な(=Hamilton則が意味をもつための)」解釈や、Quellerの回帰血縁度との整合性が呈示されていないことだ。しかし多くの解説で散見される(時に誤謬と誤解を導く)「コスト・ベネフィットの割り算」方式を採用しないことによって、コスト・ベネフィット・血縁度がそれぞれマイナスの値をとる場合などにまで、Hamilton則が幅広く適用可能であることがよくわかる。群淘汰と血縁淘汰との理論的な等価性や、「群淘汰」というターミノロジーの誤用・誤謬とそれに関する議論、そして「戦略モデルの原理」のキーになるPrice方程式についても言及が欲しかった、というのはあまりにも欲深い感想だろう。

第2章では「採餌・捕食回避」という相補的な2つの行動セットが概説される。個人的に、この理論についてはあまりフォローできていなかったため、とても楽しませてもらった。まずは採餌行動。最適餌選択理論は昔から非常に多くの知見の蓄積があるのだが、それが明確に示されている。特に、理論が大きな効力を発揮するところが何度も強調されていて、好印象だ。この最適餌選択理論は検証可能な予測を生み出す行動生態学理論の代表なのであろうが、現在は一体どのような問題に直面しているのかが気になった。たとえば私が想像したところでは、採餌というのは繰り返し実現される行動であるから、多くの動物は学習機構を備えていると仮定すると、「餌Xは取りにくい・取りやすい・質が高い」といった情報(統計的には、採餌成功・効率・味などに関する分布)を、Bayesian Updateすることが期待されるだろう。それは遭遇する餌価値の期待値や分散に大きく依存するし、遭遇機会も考慮する必要がある。また、ベルトコンベア式の採餌ではなく、資源可利用の不確実性が強い場合の採餌行動は、その不確実性の強さに大きな影響を受けるだろう。あるいは、局所的な餌場において点在する餌の可利用性に、大きなバラツキがあることもあろう。そういった(比較的)新しい考え方のレビューもあれば、尚良かったように思う。さて、採餌行動の次は、捕食回避の進化のレビューだ。私にとってはここも鮮烈で、特に、カムフラージュのセクションや、Bates型擬態とMüller型擬態とがcontinuumという説明はきわめて明解だった。こういったビジュアルな情報というのはヒトの目から見ても「精巧度」と「成功度」が直感的なので、さぞかし多くの研究者の興味を惹きつけてきたことだろう。英語のレビュー論文を一本読むよりも、よほど手っ取り早い。私にとっては、本書を通じてもっとも満足したところであった。

第3章、「移動・どこに住むか」。Lévy飛行や理想自由/専制分布の解説から、多様なスケールで動物の移動パタンを解析することを可能にした最新の技術紹介まで兼ねた章である。特に、掲載されている移動ネットワーク図は、非常に印象的で驚異的だ。従来の移動現象の研究が直面してきたサンプリング問題や対象生物の選択に関する制約は、最新の技術を用いることで大幅に克服されるはずだ。本章においては適応的意義として環境効果や近親交配回避などが取り上げられて入るがしかし、血縁者間の競争、ヘテロシス、都市化や温暖化など、どういった選択圧が連鎖的に作用して移動形質は進化し、分布や集団構造を形成、そしてそれが逆に他の形質にどのような選択圧を与えるのか、という比較的あたらしい研究結果がレビューされていないのは残念だ。移動にかかわる生活史シンドロームは移動分散の研究において古今問わずホットなテーマであり、レビュー論文や書籍も数多く出版されている。それを詳解した和書がほぼ皆無である以上、解説は欠くに欠けないものではないだろうか。だがこれに関しては、「移動」という言葉の用い方に関して様々な作法があるという進化生態学の実状も、考慮する必要はあるというのが、事情をそれなりに理解している私からのフォローだ。たとえば、昆虫における長翅型・短翅型などの多型の進化や、翅の退化など(dispersal)は至近要因も究極要因も、盛んに研究されてきた。その結果としての分布様式(dispersion)や、哺乳類のグループ間の移動や交換(exchange)も社会行動において本質的である。さらに、本章で主眼的に取り扱われているのは「渡り」と言われるものだ(migrationあるいはpartial migration)。これらは、この分野において独立に研究が進められるとともに、皮肉にもそれ故に混同されてしまっているのである(特に、dispersal か migrationかに関しては、ほぼ趣味や流儀の問題だ)。こういった移動分散の規模の違いや現象の意義の解明については、この教科書や著者の裁量という局所的な問題では全くなく、世界の移動研究界での混乱という大域的な問題であろう。

第4章「メカニズム・至近要因」。分子生物学で発展した手法が、表現型ギャンビットで突き進められてきた行動生態学ブラックボックスを埋める刺客として大きな存在感を示していることが、よく伝わる。表現型、可塑性、遺伝子型、というおおまかな概念やその解析法、そして著者自身の研究対象である生物時計や神経制御、最後に新しいトピックであるパーソナリティの研究への切り込みまで、発展と展望がレビューされていて面白い。一般的な概念と具体的なトピックとが並列されていて展開についていきにくい所もあったが、なるほど生態学的な一連の行動は、行為者の形態と強く連鎖したシンドロームであるはずだ(カブトムシの角・体サイズと交尾戦略との相関など)。その「行動の発生過程」にまで焦点を当てる「エコ・エボ・デボ」、そしてそのためのメカニズムの解明について、今後の発展への期待を改めて感じた。

第5章で展開される「表現型進化の理論 アダプティブダイナミクス」のアダプティブダイナミクス(AD)とは、特定の形質に関する表現型の収束・分岐を追跡するためのフレームワークの名称だ。和文での詳説は佐々木顕氏によるものに限られているので、改めて別の理論家による解説を読めるのは新鮮であった。本章はAD流行の草分けであるGeritz et al. (1998) *2を礎としているが、Abrams, Matsuda & Harada (1993) *3やTakada & Kigami (1991)*4といった日本の数理生物学者による成果がさらにその礎をなしていることも、日本人の手がけた和書にあってはぜひ示して欲しかった。さらに、各式変形や解析・解釈などに明確な根拠が与えきられておらず、その論理展開についていきにくい可能性も否めない(これは理論家特有の注文だろう)。しかし、ADのテクニカルな側面にも焦点を当てつつ、PIP*5を用いてグラフィカルにADの有用性が示されていて、初学者にとってもたいへん勉強になるはずだ。紙面の都合を無視して欲を張れば、単一形質のAD理論がツールとしては完成されつつある現状、(表現型可塑性ふくむ)高次元の形質の進化的収束・分岐への拡張や、ADによる種分化理論に関する論争の紹介、そして何より「自然選択は必ずしも最適化プログラムではない」ことが理論的にも明らかになったというメッセージや、ニッチ分化以外の具体例もあれば尚よかっただろう。自然選択の結果として均衡が達成されるための局所的な条件を調べる上で有効に機能するADは、もはや進化生態学者の誰しもが(使えずとも、知識として)備えていることを期待されるほどに標準的な手法である、と言うのが私の経験上の見解だ。それを呈示することに成功した、素晴らしい章だった。ただテクニカルな側面として、収束安定性は、「ベクトル値関数としての適応度勾配\( D = D(x) \)の、在来型の表現型値xへの線形的な依存性」で定義するほうがベターだ*6

第6章は性と性淘汰(I)。一般的な性研究についておさらいされ、前半には性の実在から、有性生殖における繁殖様式や性比・性転換が扱われている。なるほど性の問題は古くから研究者を魅了してきただけあり、蓄積も豊富だが、ここでの「有性生殖の2倍のコスト」に関する記述は、厳密には不正確だ。本書では集団の増殖率という指標で有利不利を決定しているが、「(例えば1:1で)有性生殖をしている集団に突然変異で生じた無性生殖個体は、遺伝子頻度を高め、集団を乗っ取ることは可能か?完全に乗っ取ったあと、有性生殖個体は侵入できるか?」という収束安定性・進化的安定性の問題を論ずるべきである(そのための進化ゲーム理論とADだ)*7。さて、後半は性淘汰が論ぜられているが、特に配偶者選択において優良遺伝子仮説とランナウェイ仮説とが実はcontinuumの両端であり、多くはその中間的なモデルであるというKokkoの仮説は知らなかったので、興味深かった。ただ、ハンディキャップ原理に関してはGrafenによって進化的に安定な状態が存在することが証明*8され、Iwasaらによって量的遺伝学的に平衡点が安定に存在することが示されるなど、理論的なサポートも得られたことに関する言及がないのは少し寂しい。

第7章は性と性淘汰(II)。主として性的対立機構と配偶システムについての近年の理解が紹介されている。ここは第6章との棲み分けに大きな労苦があったことが推察される。前半の性的対立機構はさまざまなスケールで観察されることがよく伝わるが、特に後半の配偶システムの紹介は興味深かった。しかしここでは、移動分散(正確には、グループ間のメンバー交換、メンバーの加入)と子殺しとの関係があっても良かったように思う。なるほど配偶システムというのは様々な生態学的特性をうけて進化してきたものであると同時に、他の形質(性比、移動分散、社会行動など)を進化させる大きな力になるであろう。だが、どこまで「配偶システム」という言葉が意味を持つのかは、ここの記述からは不明確だ。ソリッドな配偶システムが見られる系のほうが稀である可能性はあるし、それが見られるとしても、その系統的な背景についてもここでは何も述べられていない(配偶システムの獲得起源)。おそらく実際は、さまざまな他形質とのjoint evolutionに従って獲得されてきたシステムなのであろう。

第8章は「親子関係・発達」。生活史というのは「点」ではなく「線」であるため、様々なステージにおいて行動が形成され、一連の行動形質を形作る(行動シンドローム)。それが大変わかりやすくレビューされている章だった。特にこの分野は、Triversが親子間対立に関する有力な仮説を提唱して以来、非常に重点的に研究されてきたことだろう、具体例がたくさん示されていて情報量が豊富であるとともに、そのコメントもひとつひとつが解りやすい。ただ、BOX8.3の「Triversの親子間対立仮説」においては、親から見た子の血縁度と子同士の血縁度とが互いに異なるために生ずる対立構造の質的な解説がなされているわけだが、「誰にとってのコスト・ベネフィット」なのかは、すこし分かりにくかったように思う。

第9章は「社会行動」。さっそく「種の保存論の呪縛」をぶったぎる論調は非常に軽快だ。「そもそも種とは、ヒトが生物を分類するために作り出した概念であり、ヒトが作った概念のために生物の行動が進化するという目的論は元から論理的に成立しない」というフレーズには、私はつよく心を打たれた。これほどにまで、種の保存論を論理的に非正当化しているフレーズを、私は見たことがない。さて、本章の主旨はもちろん種の保存を否定することではなく、社会進化をいかに説明するか、というところだ。ここでもっぱら取り扱われているのは、社会性でも特に「真社会性」である。そのための準備としてHamilton則が紹介され、社会行動の分類が行われている(BOX9.1)*9。続いて社会進化や血縁認識が取り扱われているが、いずれも具体例が呈示されていてわかりやすかった。正直なところ、膨大に蓄積されている社会進化の研究をほとんど全くフォローできていなかったため、よく勉強させてもらった。なかでも特に、著者自身によるシロアリ女王のフェロモンの特定が、もっとも興味深く圧巻だった。論文や本書からは察しきれぬ、多大な苦労が伴ったことだろうが、コロニー内の化学的なコミュニケーションは、社会進化において本質的なポイントである。女王のフェロモンが正直なシグナルとして機能していることはよくわかった。しかしそうなるといったいどこまでワーカーは鋭敏な受容体を有しているのであろうか。疑問は尽きない。

第10章は「信号・コミュニケーション」。コミュニケーションの生理的な機構の紹介から始まり、コミュニケーションのスケールなどについて逐一紹介されている。しかしこの章は、他章とも重複するさまざまな現象を広く取り扱うことにならざるを得ない(信号やコミュニケーションは普遍的である)ためか、各論の紹介にとどめられており、私のような初学者にとっては、整理しながら読むのにかなり苦労したというのが本音だ。もう一度あえて断るが、他の章との棲み分けがむずかしい章だというのはよくわかる。それだけに要点が私にはよく理解できなかった。それならば、著者らの趣味を反映させた、思い切った構成にしても良かったのかも知れない(たとえば、「騙し・盗聴」など)。いずれにせよ、この信号・コミュニケーション現象の一般性じたいはとても興味深い。人間の知覚・認識を超えたコミュニケーションが、野外では常に交わされているに違いない。なお、感覚便乗仮説SEHの説明(p.220)において、SEHの最も大きな功績として従来のモデルや理解に要請されていた条件が説明されているが、ここで私はとても混乱してしまった。私の理解はこうだ:(1)オスの装飾形質とメスの選好性形質が娘・息子に等しく遺伝される必要は、ない。ただし娘・息子に等しく遺伝すると、進化の速度は大きい(つまり、進化上は「効率が良い」)という期待は尤もだろう;(2)ヒッチハイクによらずとも、あくまで、交配に選択がかかることによる同類交配の結果として、連鎖不平衡は生ずる;(3)(1)は「遺伝相関」というよりも「メンデル遺伝」やゲノム刷り込みなど、遺伝様式に関する記述である(遺伝相関すること自体は必要な仮定だが);(4)性選択の雌雄の形質をコードする遺伝子が性染色体上にあったとしても、連鎖によるヒッチハイクは要請される仮定ではない。たとえ、オスの装飾形質の遺伝子とメスの選好性形質の遺伝子が、それぞれ性染色体上にのっているとしても、それが遺伝する限りは、娘・息子の好みや装飾が進化的に有利たり得る;(5)「ヒッチハイク」は揶揄的な表現ではなくもはや、連鎖不平衡を導く至近的な現象として一般的に用いられるターミノロジーである;以上の点については自身の根本的な勘違いに起因する可能性もあるので、認識を新たに、勉強し直したいと思った次第だ。

最終章、第11章は「進化・系統」。進化上の問題を比較法によって論ずるには系統関係(歴史)の考慮が必要であるということ、量的遺伝モデルによる選択圧の測定、種間比較アプローチの有効性などがまとめられていて、たいへんおもしろい。これは、多くの数理生物学の教科書では言及されていない所だ。私自身は系統解析を自ら行なった経験はないのだが、原生の生物の形質群はすべて歴史を負った結果として形成されてきていることを改めて認識させられる。(私自身も採用している)表現型ギャンビットはこういった種間比較法に対して時として脆弱であるからだ*10。その事実は行動生態学に実際的な苦労をもたらすことが往々にしてあるが、それと同時に、議論の幅を拡げる大きな可能性を与えるだろう。たとえば、共進化解析や、特定の形質(群)が歴史の中でどれくらい独立に獲得されてきたかという解析は、我々の観察している生物の形質群がいかにロバストか稀かを推定するための、大きな武器とも言えるわけだ*11。深く頷きながら読ませて頂いたが、さらに、著者の興味対象である協同繁殖のパートも、簡潔にまとめられていて勉強になった。要点とメッセージ、その具体例がコンパクトにまとめられた、最終章にふさわしく素晴らしい章であったように思う。私自身は、この章を読んで初めて、協同繁殖に興味を持ち勉強するに至ったため、たいへん感謝している。

全体を通じて。何よりも好印象だったのは、各ターミノロジーの英語表現がすべて述べられている点だ。これは情報の応用性を非常に高める。また、その道に精通した専門家が分担執筆するというスタイルも、それぞれの章を独立なレビューとして読み進めるうえで好ましいように思う。総合的に見て、2010年代を代表する素晴らしい教科書だと思う。本書評においてはあえて、各章の担当者の氏名を明記しないように努めたが、編集者や各章の著者の皆様には、深くお礼を述べたい。今後も私ふくめ多くの研究者が何度も手にとってお世話になること、請負だ。ただし、多くの落ち度も思い当たる。たとえば、性比や分散、繁殖システムのシンドロームについては何も言及はないし、同じようにたとえば大型哺乳類のネットワークや紐帯の構築、子殺し、分散、雌雄の繁殖戦略など、一連の行動現象がいかにして形成されていて、それは進化的にどのような意義があるのか。こういった、一般的な現象をまとめあげる形で集団は成立しているはずだ。統合的な見地に立った意見やレビューがあっても良かっただろう。

さて、はたして行動生態学オワコンだろうか?ファジィに答えるとその可能性はあるだろう。が、今後はその射程圏を拡げることが可能なのではないか。動物の行動のなかでも、人間から見るとただの間違いや不注意、ミスとみられる行動にも進化的な意義がある可能性はあるし、他にもたとえば、植物による社会行動(他個体との相互作用)の進化や、ミクロスケール(特に細胞レベル)の進化、Evo-Devo、生態・進化フィードバックについても、これからも行動生態学で発展されたアプローチや概念を武器に、切り込んでいける。その意味で、「行動生態学」はその礎を築くことに成功している。行動生態学は、確かに先人たちによって築き上げられてきた「コンテンツ」かのような印象にとらわれる。つまり先人たちの仮説をただ検証するだけの学問であるとなると、それはオワコンと言える可能性はある。しかし行動生態学はコンテンツではなく非常に有力なツールであると捉え直すことで、私自身はオワコン論に終止符を打つことは容易だと考えている。 本書評を執筆するにあたって、九州大学の粕谷英一氏には、非常に意義深いコメントを頂いた。この場をお借りして、厚く御礼を申し上げる。

*1:「オワった(時代遅れな)コンテンツ」、略して「オワコン」。2011年に流行ったインターネットスラング。なお、私は日本動物行動学会に参加した経験を有さないが、そういった自由集会が開催されるという噂を、様々な方面から耳にした。

*2:Geritz, S.A.H., Kisdi, É., Meszéna, G., & Metz, J.A.J. (1998) Evolutionarily singular strategies and the adaptive growth and branching of the evolutionary tree. Evol. Ecol. 12: 35-57. ADを用いて進化を解析するほとんどの場合には引用される論文(ただしちょっとした「宗派」があり、引用の傾向にはバイアスや趣味が見られるように思う)。

*3:Abrams, P., Matsuda, H., and Harada, Y. (1993) Evolutionarily unstable fitness maxima and stable minima in continuous trait values. Evol. Ecol. 7: 465-487. 自然選択が必ずしも最適化プロセスではないということを先駆けて示した論文。これも進化ゲーム理論における大金字塔の1つだ。

*4:4. Takada, T., & Kigami, J. (1991) The dynamical attainability of ESS in evolutionary games. J. Math. Biol. 29(6): 513-29. 進化的に安定な状態が自然選択の結果として達せられるか、ということを数学的に定義し、どういった適応度関数のクラスでは均衡状態が達成されることが期待されるかの分類も行なっている。なお、Attainability(Takada & Kigami 1991, Christiansen 1991)は、Convergence Stability(収束安定性)よりも「進化的な安定性が達成されるか」をあらわす素直な言葉遣いなので、私は気に入っている。

*5:Pairwise Invasibility Plot, 通称「ピップ」。進化する形質に対して、横軸に野生株の表現型、縦軸に変異株の表現型をプロットし、候補となる平衡状態にむけて自然選択が作用するか、そしてその平衡状態は進化的安定か、という(いずれも局所的な)安定性を可視化した図。1次元形質でしかPIPは再現されないが、視覚的にダイナミクスを理解できるという絶対的メリットがある。計算機の環境次第では、初学者には、Hitchhiker’s Guide to Adaptive Dynamicsは色々と遊べて面白い:http://adtoolkit.sourceforge.net/

*6:6. 僭越ながら代替案を提示したことには、2つの理由がある。まず、そのほうが複数形質への拡張がスムーズで容易であるからだ。より具体的には、適応度勾配ベクトルDの表現型値ベクトルへの依存性として、内部平衡点における、適応度勾配DのJacobi行列の負定値性によって、(強い)収束安定性がダイレクトに定義できる。第二に、「適応度勾配の変化」による定義のほうがおそらく直観に馴染むからだ。単一形質に関する収束安定性の定義については「進化生態学入門」(山内)を参照されたい。あるいは、Leimar, O. (2009) Multidimensional convergence stability. Evol. Ecol. Res. 11: 191-208. がテクニカルな論文として、そしてTaylor, P. D. (1996) Inclusive fitness arguments in genetic models of behaviour. J. Math. Biol. 34: 654-674.がコンセプチュアルな論文として、それぞれ有用だ。前者は収束安定性の強弱や進化的安定性の強弱、後者は「安定性」の規準の定式化やそれの様々なクラスのモデルへの適用などについてまで、幅広くかつ詳しく扱われている。

*7:7. より正確には、「互いに遺伝子プールを共有しており完全に有性生殖する個体たちからなる集団において、部分的に無性生殖も少しだけ行なう突然変異個体は、その遺伝子プールにおいて遺伝子頻度を高められるか」という、有性生殖の短期的な有利さ(有性生殖の進化的安定性)に関する問題提起に相当しており、有性生殖が安定して維持されていることを思考実験する上で自然に要請される論理だ。なお、この論理に関する問題は、本書の異型配偶子の進化的安定性を説明するところにおいても同様であった。

*8: Grafen, A. (1990) Biological signals as handicaps. J. Theor. Biol. 144: 517-546. ハンディキャップ原理の成立仮定のもとで、進化的に安定な信号が非常に広いパラメタ領域で一般的に存在することを数学的に示した論文。既に1700件以上の引用があり、ハンディキャップ原理をかたる上では欠かせぬ論文である。Iwasa, Y., Pomiankowski, A., & Nee, S. (1991) The evolution of costly mate preferences II. The 'handicap' principle. Evolution 45: 1431-1442も同様にハンディキャップ原理の成立を、こちらは量的遺伝学モデルを用いて理論的に示したものとして挙げられる。なお、Maynard Smithによる、彼自身がハンディキャップ原理と格闘した経緯やGrafenの論文に関するコメンタリーがWeb上で観られる(URLの末尾を53にするとGrafenの論文の解説動画)。 http://www.webofstories.com/play/john.maynard.smith/51

*9:社会行動の分類に関しては、West, S. A., & Gardner, A. (2010) Altruism, spite and greenbeards. Science 327: 1341-1344が有用だ。たとえば、「コストを払って、他個体を傷つける行動」は、一見すると両損的(スパイト)である。しかし他個体の子供を殺してしまうことによって、自身の子供は資源競争が緩和されるという可能性もある。その場合、行為者はコストを払って他個体の子供を傷つけたはずが、実は他個体の子供を傷つけることによって利益を獲得していた(つまり利己的である)可能性がある。このように、社会行動の帰結を実証研究で量的に評価することは一般には難しいが、直感に訴えかけるように、行動の様式を分類することは、社会行動の進化理論では大きな意味を持つ。ただ、最近の包括適応度理論への攻撃的な意見を目にするに、こういった分類は「便宜的なものである」ということを強調する必要があるようには感じる。

*10:理論上は、hopeful monsterが進化しうるため。だから(少なくとも私は)進化モデルの中では「コスト」や「トレードオフ、負の相関」、「制約」を、(なるべく、自然な作法で)課そうとする。

*11:こうした系統的制約がむしろ武器となる理由は、表現型ギャンビットが調べる対象である「進化的安定性」が「進化の止まる(=ジェノタイプやハプロタイプが集団において単一になるような)候補点」であるのに対し、実際は地球が存在する限りは進化が止まることがほとんどあり得ないからだ。種間比較アプローチは、そのような原理的な制約を克服し、これまでの形質群の進化シナリオのロバストネスを推定できる。