Life is Beautiful

主に進化生物学の理論のブログです。不定期更新予定。

勉強の習慣

僕は中学生の頃、(英語以外の)勉強が大嫌いでした。中高一貫校の弊害だったかもしれません。一方、兄は同じ中高の3つ上の「先輩」で、成績は学年トップでした。親からも先生からも、いつも兄と比較をされていました。

まあそりゃ仕方なくて、僕は「特進クラス」のほぼドベ。兄は「非特進クラス」なのに、学年トップ。「出来の悪い弟」と認識されるのも、今となっては納得です。

父には、ずっと「勉強する習慣を身に付けろ」と口を酸っぱくして言われていました。意味不明でした。

しかしその僕も、少しずつ勉強するようになりました。まず、高校の数学が難しかった。「軌跡・領域」という項目は僕にとって鬼門で、高1の中間テストは、ゼロ点でした。満月。

これはさすがにまずいと自覚しました。漠然とした、大学受験への恐怖をいだきました。

とはいえ、どうすればええのか分からん…ということで、「毎日、学校が終わったら一時間だけ図書館に残って、座る」ということから始めました。あまり記憶がありませんが確か、数学の予習と、英語の予習をしていたのだと思います。

すると、当然、一時間では済まない。それは二時間になりました。期末では満点をとりました(非常に印象的だったのでよく覚えています)。

高校の化学も、僕には鬼門でした。たしか、中間テストで37点とかだったはず。じゃあどうしようか、ということで、教科書傍用の問題集を、徹底的にやり込むことにしました。

化学は「モル」という概念に苦労し続け、1年かけてようやく、80点を安定してとれるようになりました。

高校2年になってからは、学校が終わってから毎日6時間は勉強していました。何故か当時は阪大を目指していましたし、世界史、物理、古文、といった他の科目の勉強にも必要性を感じたからです。

ここまで書くと自慢のようですが、実際は、「勉強の習慣」というものが、実は研究者にとっても本質的な部分だと思うのです。僕は学部の間は友人たちと面白そうな数学の本を輪読するという勉強を毎日のように開催し、勉強・発表していました。朝から晩まで図書館に篭もる毎日でした。

僕にとっては、勉強は研究より楽しいものです。何故なら、責任が伴わないし、必ず実になるからです。勉強は知性の肥やしであり、人生のアクチベーターです。それは通常のことと思っていましたが、確かに「勉強の習慣」が身についていなかったら、苦しいことかも知れません。

ということで、一日一時間の勉強の習慣は、いまでも捨てていません。もちろん、物理的にかなわない日もあるのですが、きっと人生が充実します。一時間だけ、本を手にとって椅子に座るだけでも、まったく違うと思います。難しい本でも、易しい本でもいいので。

…ただ、その自由が許されるのは学生の間だけでしょうか。実質。

「一生勉強してはいけない」というルールが決まったら、研究をやめ、死を選ぶと思います。研究に殉じ、学修に殉じたい。