Life is Beautiful

主に進化生物学の理論のブログです。不定期更新予定。

知っておきたい誤謬7: homunculus fallacy(ホムンクルスの誤謬)

定義

原理上、無限に後退させることが可能な推論。

分類

形式的誤謬。

論理形式

Phenomenon X needs to be explained. Reason Y is given. Reason Y depends on phenomenon X.

Homunculus Fallacy

説明

論理形式がやや分かりにくいが、終わりのないループによって、命題を示すこと。Infinite regressとも。

この終わりのない推論はただのトートロジーと同じというわけではない。 現象Xを、原理Yによって示した結果、原理Yが現象Xを内包してしまっていた、というパタンである。 この誤謬は、いくらでもスケールを広げたり、レベルを大きくできるようなメカニズムを用いて、命題を示してしまった時に起こる。

用例

  • 自我の起源を考える。「どこか別の世界の誰かが自分を操っている」という原理で自我の起源を説明すると、「操っている誰か」の自我の起源は非自明である(これをさらに操っている者はいない、という可能性は常に否定できないため、永遠にこの推論は終わらない)
  • よくできた生物の世界は、「デザイナー」によって作られたものだ(創造説)。これで地球上の生物の起源や多様性が説明される。(すると、この「デザイナー」をデザインした存在の可能性を否定することは出来ない)
  • ホムンクルスの誤謬:感情の起源を考える。感情というのは、それを操作している小人(ホムンクルス)によって生ずる感情の反映なのである。(ではそのホムンクルスを操るのは誰?メタ・ホムンクルス?)

分析

一般に、無限を(無垢な)推論で扱うときには、最深の注意を払わねばならないことが知られている。脚注にふたつほど例を挙げる*1。だが、この誤謬の本質は、プロセスの原理を、同じプロセスを用いて説明するという点にあるのであって、 「無限の推論」が常に許されないというわけではないことには、注意をせねばならない。

派生的誤謬:悪魔の証明

悪魔が存在することを証明することはできないし、悪魔が存在しないことを証明することもできない。 これはAppeal to ignoranceと呼ばれる。

用例

  • 「悪魔は存在すると思う。だってさ、存在しないなんて証明はないし、できないでしょ?」(「証明が存在しないこと」が、「存在しないこと」の根拠として用いられてしまっている)
  • 所有権証明の困難性:ローマ法以来の古い歴史を持つ。ある(財的価値のある)物の所有権を積極的に証明しようとすると、困難に陥る。たとえば、「父から継承した」ことを示したとしても、「父が祖父から継承した」ことを示さねばならないのである。こうしたプロセスをずっと繰り返すうちに必ずほころびは出てくる。これにより、所有権を証明することは実質的に不可能なのである。
  • 痴漢あかん:「きゃー!この人、痴漢です!」「お、俺はやってない!!!」「じゃあ証拠を見せろよ!」(痴漢で「冤罪であること」を証明するのは、非常に困難である)

教訓

僕の中にいるリトル本田の中にいるリトル・リトル本田の中にいるリトル・リトルリトル本田の中にいるリト

*1:

  • ヒルベルトパラドックス:無限の部屋数(1号室、2号室、3号室、…)をもつホテルに、たくさんの客(ただし簡単のため有限人数)がやってきた。フロントによると、部屋は満室らしい。これでもどうしようもない。しかし客の1人が、「それでは、それぞれ自室を二倍した部屋に移るように、いまのお客さんにお願いをしてください」とフロントに提案した。1号室の客は2号室に。2号室の客が4号室に。3号室の客は6号室に…という塩梅である。すると、(無限にある)奇数の部屋は全て空室になり、やってきた客は全員、泊まることができた。めでたしめでたし…

このヒルベルトパラドックスは論理的に誤った推論ではない。しかし、実は現代数学には「無限に必要な操作」に関して厳密である:

  • 選択公理:さきほどのホテルにある無限の客室はすべて「ダブル」で、どの部屋にも2人が宿泊しているとしよう。簡単のためその2人を「ペア」と呼ぶと、ペアもまた無限にあるということになる。ホテル側は朝食券を用意し、ペアのうちどちらかにだけ(代表として)渡すことをするという。ホテル側は、無限にあるペアから代表を選抜し、朝食券を渡せるのだろうか?

一見すると「できないわけがない」ように思えるが、実はこの操作を保証するには、定義や定理、命題ではなく公理(axiom)を課す必要があるのである。一種の前提でありルールのようなものである。このルールがあると、色々と都合がよい…し、それどころか、このルールがないと、論理上の困難が現れ、数学の体系の根幹自体が危うくなってしまうのである。

だがこのルールを採用するとまた、不思議なことが起こることもまた、知られている。詳しくはバナッハ・タルスキのパラドクスを参照してほしい:

バナッハ=タルスキーのパラドックス - Wikipedia

現代の数学にはいまでも、このような公理の問題が残されているし、この問題が解決されることはない。このように、数学の根幹を支える「無限」という概念には、文字通りの無限の深淵さがあるのである。

ではなぜ数学的帰納法は許されるか?ということを考えると、どつぼにはまる。「超限帰納法」「整列可能定理」について調べられるとよい。選択公理も関わってくる。