Life is Beautiful

主に進化生物学の理論のブログです。不定期更新予定。

言葉の構造:なぜ英語での会話に飛び込むのは困難か?

僕は英語を話す環境に生きています。人と話すのは好きですが、英語は得意ではありません。いまでも、英語で発表する直前は異常なまでに緊張します。

実はむしろ、日本で多くの留学生と接していた僕は*1、英語にちょっとした自信すらありました。

まずそうした自信が脆くも崩れ去ったはじめての経験は、スイスのローザンヌに住んでいた頃です。ローザンヌは、フランス語圏の地域です。毎日、学科の友達と12時に建物の一階で待ち合わせてランチに行くという習慣があったのですが、そのメンバーが、スイス・イギリス・フランス・ブラジル・イタリア・コスタリカといった様々なバックグラウンドの人々で構成されていたため、ランチでは英語が“公用語”として用いられていたのです。そのランチでの英語での会話には、ほとんど全く、入り込むことができませんでした。時々助け舟を出してくれる友人や、「ついてこれた?」と直接的に聞いてくれる友人も居て、本当に救われました。

しかし言い訳の仕様もない英語での会話の困難さが、ここアメリカでは僕にとって、更に顕著です。初めてアメリカに住み始めた頃には、ローザンヌ同様、聞き取りさえままならず、とても苦労しました。しかし、その後の努力(というか、ドラマ F.R.I.E.N.D.S 鑑賞)によってかよらずか、会話の内容を把握して、新しい話題の枝葉を提供できるようにはなりました。それでも、会話に完全に入り込んでいくのはとても難しいと感じた(し、今でも感じる)のです。

その理由を自分なりに考えてみました。

そもそもの言語としての違い

これは言うまでもないことだとは思いますが、我々はローマ字アルファベットとは全く異なるアルファベット(ひらがな)を使います。また、ドイツ語・オランダ語といったゲルマン系の言語はもちろん、フランス語・イタリア語・ポルトガル語スペイン語といったロマン系の言語とも共通点の多い英語は、そうした言語を母語*2として話す人たちには、発音はまだしも、文法などが比較的容易であることが想像されます*3

しかしこれを完全な「理由」として挙げるとなると、同じようにローマ字アルファベットをアルファベットとして用いない人たちはどうか、という自然な疑問が浮かびます。たとえば僕の経験では、中国や韓国出身の留学生や研究者たちは、僕よりは少なくとも「流暢」に、英語を話しているように聞こえます。そうなると、アルファベットという根本的な理由以外のファクターがあるような気がします。

文化の違い

これは、日本語を母語とする人たちを一括りにするかのような言論にはなってしまうかもしれませんが、ご容赦ください。

僕の認識している限り、日本人の会話には、ひとつの強い規範があります。それは、「他者が喋っているときにはそれに重ねない」というものです。実際、僕がそれをされると、少し…いやかなり、迷惑な気持ちがします。そしてその感情は、多かれ少なかれ、共有して頂けるのではないでしょうか…。

こうした美徳的価値観から形成される感情そのものも面白いのですが(「期待されないこと」というネガが規範を形成するのでしょう)、焦点は、そもそも我々には「会話を行なうときは、しゃべるのは“順番”に」という習慣があることです。それはturn-taking conversationと言われます:

Turn-taking - Wikipedia

ここは、少なくともアメリカでの会話とはだいぶん異なるという印象を受けます。

ではなぜそもそも、こうした文化の違いが生じたのでしょう?それは言葉の構造が密接に関連しているのではないか、というのが僕の今回の(科学的には、いかにもアヤシイ)考えです。

言葉の構造の違い

もう少し踏み込んで考えてみます。僕たちの用いる日本語はどのような構造をしているでしょうか。次の例文を考えてみます。

「私は昨日、トムがスーパーでりんごを買うのを見かけましたよ」

主題は、私がトムを目撃したということかあるいは、その目撃の瞬間にトムが何をしていたか、の2つだと思います。が、もしも後者が主眼であれば、日本語では

「昨日トムが、スーパーでりんごを買っていましたよ」

という表現のほうが自然だと思います。そこでここでは、目撃したということを主張していると仮定します。2つの文章は、主眼こそ違えど、構造(つまり見た目)は同じで、いずれも結論を導く動詞である、「見かける、買う」が最後に来ています。ということは、聞き手は、話を最後まで聞かなくては、相手の伝えたいことが、分かりません。

このことが、日本人を、言語によらぬ「聞き上手」たらしめているのではないかと考えられるのです。ちなみにこの文法構造はSOV型と言われ、目的語(Objective;動作の対象となるモノ)が動詞(Verb)の前に現れる傾向にあるのがその特徴です。

一方でみなさんもご存知の通り、英語の構造はSVO型であり、結論・主眼となる動詞が、主語の直後に置かれます。すなわち、(動詞の後の展開はさておき)結論・オチが早い段階で、文の中で明らかになるのです。

たとえば、先程の例を英語に直すと、

I saw Tom buying an apple at a supermarket yesterday.

Tom was buying an apple at a supermarket yesterday.

an appleまで聞けば、あとはどうでもいい情報が並びます(もちろん、「昨日」を強調したいなら、Yesterdayを最初に持ってくるなりすればよいでしょう)。そこまで聞いた段階で、聞き手は口をはさむことが可能です。

f:id:lambtani:20181103101707j:plain

SVOとSOV型

Wikipediaによると、SOV型・SVO型の頻度は次のようであることが知られているようです。

Subject–verb–object - Wikipedia

この2つのタイプが言語のほぼ90%を占めるようです*4。韓国語と日本語はサンスクリット語から影響を受けているのは知っていましたが、文法の観点においても共通点があったとは。

ちなみに同頁には、他の構造を持つ言語も紹介されています。まったく知りませんでしたが、ドイツ語・オランダ語はすこし特殊な構造を持っているのですね。

11/6追記:以下は韓国語との比較であり、論旨が散漫です。

韓国語との比較

言語構造上は似ているにもかかわらず、僕個人的な経験に基づけば、韓国出身の方々や、韓国在住の方々は、日本人に比べると、平均的には、英語をそつなく話す印象があります(旅行や交流などに基づく、僕自身の印象です)。

なにが違うのか。韓国における英語教育の状況を調べてみました。

Education in South Korea - Wikipedia

English is taught as a required subject from the third year of elementary school up to high school, as well as in most universities, with the goal of performing well on the TOEIC and TOEFL, which are tests of reading, listening and grammar-based English. For students who achieve high scores, there is also a speaking evaluation.

小学校三年生から、義務教育課程における英語学習がスタート。日本では中学1年生からですから、3年早い段階で、英語に触れる機会が訪れるということになります。

その3年でどこまで差がつくのかは不明ですが、英語教育への投資は家庭レベルで一般的らしく、

Because of large class sizes and other factors in public schools, many parents pay to send their children to private English-language schools in the afternoon or evening.

英語塾に子供を行かせているということや、

There are more than 100,000 Korean students in the U.S. The increase of 10 percent every year helped Korea remain the top student-sending country in the U.S. for a second year, ahead of India and China. Korean students at Harvard University are the third most after Canadian and Chinese. In 2012, 154,000 South Korean students were pursuing degrees at overseas universities, with countries such as Japan, Canada, the United States, and Australia as top destinations.

そもそも米国には10万人もの韓国からの学生が住んでおり、毎年10%増えているのだとか。一般的に見て、国外への留学はかなり行き渡った文化・戦略のようです。

ちなみに日本は、この資料によると、2016年度時点では96,641人の学生が留学に出ているとのことです。年度が異なるので単純な比較はできないのですが、人口比になおすと、韓国は(2012年データによると http://ecodb.net/exec/trans_country.php?d=LP&c1=KR&c2=JP)5020,0000人のうち 154,000人が留学ということですから、総人口に対して0.3%に相当する留学生が国外に出ているのに対し、日本では0.076%に相当する留学生が国外に出ているようです。それだけ、留学に対する積極性の差があるようです。

在留邦人総数

ちなみに外務省によると、125万8263人が在留邦人総数として2013年にはカウントされているようです。 そして韓国からアメリカ(その他の国での状況は分かりません)への移民者数は、2015年段階では106万人と推定されているようです。 https://www.migrationpolicy.org/article/korean-immigrants-united-states これだけ、国外移住への意識がある中で、国内人口も増加していて、それだけ日本との根本的な状況が異なり、言語的な構造のみでは、英語学習に関して結論を直接的に導くというのは無理があるということがわかります。

つまり、教育状況とか、留学にに対するハードルの低さ(精神的・規範的なもの?)などの様々な要因が絡んでいるということです。単一要因ですべてが決まることはないですからね。

それでも

こうした言葉の構造の違いを理解し、それに基づく英会話のペースを理解するだけでも、英会話への参入はグッと簡単になります。 もし他人が喋っているときに遮るのがひじょうに気後れするのであれば、会話の終焉あたりで飛び込めばよいのです。僕は最近ようやく、それができるようになってきた気がします。話を聞いて、タイミングよくjump-inすればよいのだと思うようになりました。

まあ、そんな難しいことを考えず、主張したことを正当に主張する。そのうえでコミュニケーションがうまくいかないのであれば、それはそれで改めて考える。それでいいのだと思います。

*1:日本でのラボには国外からの研究者がたくさん訪れてきていたというのと、学部生のころには留学生に日本語を英語で教えるというチュータ・ボランティアをしていたため

*2:ここで僕の立場をはっきりさせていただければと思うのですが、僕は決して、「母国語」という言葉を用いません。もちろん、国の「公用語」は存在します。個人には「母語」も存在します。しかし、(個人が第一言語で話す)言葉というのは、その人が国に対して持っている関係性 — 国籍等 — とは無関係に定義されるものであるはずです。たとえば、日本語での教育を受けた後にアメリカに移住した方々の「母国語」はどう定義すべきでしょう?

*3:もちろんこれは、「充分」な教育を受けた者による思想かつ、そうした人たちと知り合う機会のほうが多いという、明らかなバイアスの結果であって、一般的な傾向ではありません。なので「比較的」という言葉を用いました。

*4:11月4日、追記:この分布の単純計算は、系統的相関を無視しているので、本当はあまり意味がありません。言語は(文化的に)進化していくものですから、系統樹から論ずるべきことだろうと思います。