Life is Beautiful

主に進化生物学の理論のブログです。不定期更新予定。

なぜ学際研究は難しいか[追記あり]

私は現在、学際的な研究を目指すチームに所属しています。チームの目標は、数学という共通言語を用いて、分野を問わず科学の様々な分野の未解決問題にアプローチし、解決策を与えるというものです(ざっくり言うと)。人類が現象を理解するために用いることができる数学ツールというのは実に限られているため、一見すると関係のない現象同士が、背後の数学で深く結びついていることがあるのです。

私の研究分野は、いわゆる数理生態学・進化学です。数理モデルの役割が尊重されていて、それから得られる予測が非常に影響を持つ分野です。私は数理モデルを用いて、生態・進化現象の将来を予測したり、現在のパタンを説明したりすることが専門です。数学の研究者ではありませんが、多くは耳学であっても数学的な背景はそれなりに有しているわけです。

それでも難しい協働研究

本格的に学際的な研究推進を目指してみたものの、やはりとても難しいなと感じる日々です。理由は様々ですが、いくつか思いつくことを述べます。特に生物学についてです。

システムと専門用語

当然ながら数えきれぬほどの生物システムの生命現象と、それを表す名前がついていて、それらの概念を、限られた人間の頭で共有するのには限界があります。

追記:さらに、そうした現象自体に興味がある人と学際研究を行なうとは限らないのです。

なので、うちのチームでは、現象を説明するよりも数式だけを見せたほうが速いということが起こります。でも、その数式こそが、欲しいものだったりするわけです。

分野が違うとマーケット事情が違う

あまり人間をマーケットに乗せる考え方は好ましくないのですが、比喩だと思ってください。

分野が違うと、業績の評価基準が違います。たとえば生態学では、conference proceedingという文化がありません。また、出版のテンポは、物理学や情報工学佳と比べると遅めです(これも分野によります)。よって、被引用数は、それら分野と比べても低めです(たぶん*1)。さらに、雑誌のIF(インパクトファクター)を非常に重視します。

こうした、異なる基準で評価されうる若手研究者たちの交流からのアウトプットがいかに評価されるのかは未知です。たとえば、Journal of Theoretical Biology (JTB) というジャーナルは、理論生物学では主流のジャーナルですが、数学科や物理学科では、別の主流ジャーナルがあります(Physical Review系とか。数学はあまり知りません)。仮に数学者や物理学者と学際的な研究をスタートさせて、JTBに論文を載せたとして、私はともかく、彼ら彼女らの「業績」としては、残念ながら認められにくいということになります。

もちろん、ジャーナル名で論文の価値を判断することを肯定している意図はありません。ただ、そういう審査員もいるだろうし、こと分野外の研究者を審査するとなると、そういう基準が持ち出されることは想像に難くないという事実を想定しているだけです。

そうなると、分野を越えて誰もが知ってるジャーナルに投稿しようという動機付が、当然ながら生まれます。たとえばNature/Science/PNASなどはそうでしょう。大きな成果を目指すということです。この野心は重要ですが、限られた任期の中でいかにそうした成果を出せるかというと、リスクがあります。

大きな仕事は面白い。しかし、今の社会では時間が限られすぎているかもしれません。

研究は料理に似ている

よくある誤解だと思うのですが、厳密な数学的議論に精通された方々が、現象を知って数理モデルを構築できるとは、限らないのです。

これは、適切かは分かりませんが、「ご飯が食卓に並ぶまで」というプロセスと比べることで、解釈することが可能です。

レストランでは、ご飯を注文すると、厨房で調理がなされ、テーブルに運ばれ、口にすることができます。つまり、レストランというのは、「食べたい目標」を入力すると、「その食べたいもの」が出力される関数、と言えます。

もしも、数学者がレストランであれば、生物学者が「数理モデルで解析したい現象」を入力すると、「数理モデルの解析」が返ってくるはずです。しかし、もしそんなに単純であるなら、世の中からは、「数理生物学者」は居なくなっているでしょう。[追記:]よって背理法により、仮定は誤り。数学者はそのような「関数」になっていないということです。

そもそも、料理というのは、果たしてそんなに単純な過程でしょうか。料理には、テナントが要ります。食材が要ります。包丁が要ります。しかし、シェフはこれらを確保する立場には必ずしもありません。

テナントはオーナーが提供するでしょう。

食材は(根本的には)生産者の方あってこそでしょう。

そしてそれを仕入れる方が必要でしょう。

つまり、食事が食卓に並ぶまでの過程は、マルチプロセスです。各過程のプロが、それぞれの仕事をしたうえで初めて成立する、まさにコラボレーションです。

研究もそうです。仮に数学者をシェフとするのであれば、適した素材(現象)を仕入れる(数式にする)ことなく、シェフの調理は行われません。

客が注文→できあがり、という単純な図式に研究活動はなっていませんし、そもそも、「客」という立場の研究者から、協働は始まりません。料理に協働的に参加するという「主体性」が必須です。

そして、それよりも、関係の対称性はもっと大事です。どちらかがどちらかに依頼する、サービスする、というのでは明確な非対称性があります。実際は、美味しいご飯を食卓に並べるためには、包丁を持ち寄る人と、食材を持ち合わせた人の、対称的な関係があるべきと思います。

包丁捌きの優れた方がえらいのでも、食材を持つ人がえらいのでもないのです。どちらが欠けても、料理はできない。互いに相補的であるという意識です。

それでも楽しい異分野交流

私は学際研究は難しく、かつ、だからこそ楽しいと感じます。これからも模索していきますし、自身の主体性を発揮していこうと思います。

みなさんは、どうやってコミュニティを跨いだ異分野の交流を行ない、どのように成果をあげ、自身のキャリア構築に繋げていかれましたか?もしヒントがあれば教えてください。

*1:すくなくとも、被引用数は強くskewしていると思います