Life is Beautiful

主に進化生物学の理論のブログです。不定期更新予定。

メーリングリストでの“迷惑”なメール

私が登録しているメーリングリスト(ML)において最近、ある人物が、疫学モデルに基づく感染者予測が(氏いわく)破綻したことをあげつらう内容や、果には反ワクチン内容を投稿し始めてしまいました。科学者ならこれらの医療(システム?)を疑うべきだ、という投稿もされていました。(ちなみに、文体は崩れていて、読むのは非常に困難な文章でした。他には、コロナはただの風邪、PCR検査はゴミ拾いなど)

これは非常に困った事態です。まずもちろん、私は迷惑に感じました。やめてほしい、と感じました。きっと多くの人もそうだろう、と考えました。

また、社会へ与える影響としても害悪があると考えました(以下、「悪影響」と言います)。ワクチンは、本人はもちろん、社会全体が接種を推進・推奨することで、集団免疫が達成する確率を高める効果があるからです。

いっぽうで、上の「悪影響がある」というのは、私の個人的な意見です。他の人がどう考えるかは、私は知りません。「迷惑している人がいる」のは想像できますが、「私にとって不特定の多数が受信しているML上の、多くの人が、迷惑であると感じている」かどうかは、私にはわかりません。

迷惑である、悪影響である、というのは、特定の個人が主張した意見に対して貼るラベルとしては非常に大きすぎるので、問題点を丁寧に指摘する必要があると思います。

しかし、そうしたことを指摘すると、ML上は「大荒れ」でしょう。いまはなき2ちゃんねる(私はちゃねらーでした)では、「荒らしには無視・スルーが鉄則」でした。「迷惑な」投稿をする人は、レスポンスがあると、余計に喜んで、エスカレートしてしまうことも多いからです。

さて、まいった。どうすればよいか。

「はた迷惑です」

そういうメールが連投されてしばらくした後、ある方(国外でPIをされている)が、大意ですが

  • はた迷惑なので止められた方が良い
  • こういう議論は別のところでやって[いただきたい]
  • 論文を[]発表されてからご自分のTwitterなりで宣伝して[いただきたい]

という反応投稿をされていました。一見、ストレートに意見されていてわかりやすいのですが、なぜ投稿主が、私やその他の人たち(=はた)が「迷惑」していると知っているのか、私にはとても不思議でした。

もちろん推測は可能です。しかし、「迷惑である」というのは個人の主観的感情であって、「社会にどういう影響があるのか」については何も言っていません。

さらに、これは、「立場のある、力のある者にだけ」許されるやり方です。私にはありません。あったとしても、それを行使はしなかったと思います。何故ならば、己の力を振りかざすことは、他者を容易に抑圧することが可能であるためです。

このように、一人の個人が、ML上の大多数の共通意見であるかのように「はた迷惑である(からやめろ)」と、一人の個人を嗜めることは、果たして正当でしょうか。そもそも、「社会の共通意見である」が正しいこととは限りません。それはappeal to majorityという誤謬です。 lambtani.hatenablog.jp

もとの投稿主は学位をお持ちの年輩研究者で、「科学者ならば」という立場で意見を述べられている以上、「力と立場」ではなく「科学者」として対応すべきだったのではないでしょうか。

反論するという態度をとるのであれば、たとえば反ワクチンがもたらす問題(実害)について、論ずるべきなのではないでしょうか。ただ、この内容は、私が登録しているMLの趣旨とはズレてしまいますし、レスポンスするとさらに荒れてしまうという問題に直面します。

それでも、「はた迷惑である」という論旨で弾劾することは、私には(まだ)正当には思えません。それを更につきつめて、MLからの除名依頼などは、ただちに思いつく対処でしょう。しかしそれでは、香港で言論が弾圧・統制されているという構図と、あまり変わらないのではないかと思います。社会に向けられた個人の意見を、正当な基準なく抑圧することは、将来的に大きなリスクのある態度であると私は思います。

私のやったこと

私は、もとの投稿主のスタンスをいかに否定することなく、しかし自分の立場を明確にできないか、と思案にくれました。でも宣伝したい内容がある…。

そこで、以下のような序文のメールを投稿しました。

ようやくワクチン接種の予約ができました[実名]と申します。[中略]●●を開催いたします[のでお知らせします]。

思案の末に思いついたのがこのやりかたでした。

ひょっとして、と私が考えていたのは、私に元の投稿主から、批判・攻撃が届かないかということでした。そうすれば、私は管理者にそれを報告することができるでしょう(なぜならその場合、個人が個人を攻撃しているので)。幸か不幸か、今の段階ではそうした事態には至っていません。

このやり方が「良かった」のかどうかはわかりません。迷惑だったかも知れません。正直、私にはわかりません。でも私は、個人を公に抑圧・攻撃することなく、自分の意志を明確にすることを、信念にしています*1。この信念を崩すことをしなくてよかったと今でも思っています。

追記: 「はた迷惑」という件の投稿は、MLと個人の付き合い方を考えるよいきっかけになりました。感謝申し上げます。

*1:とはいいつつ、昨今の政治にあまりに腹が立って、いろいろと言ってしまうことは多い……………………