Life is Beautiful

主に進化生物学の理論のブログです。不定期更新予定。

任期付きポジションの是非

きっとこれからも永遠に俎上に載るであろうこのトピック。

色々な意見があるとは思いますが、(ただいま任期付きポジションにある)私個人の考えを書きます。

まず、「任期付きポジションの完全撤廃」は良くないと思います。任期付きには任期付きの良さも無くはなくて、とにかく「講義等の他の義務なく研究に専念できる」というのは大きなアドバンテージです。もちろん、立場が不安定になるというディスアドバンテージも大きいのですが、スタイル次第では、「講義の義務をこなしつつ研究もする」というポジションよりも、タイミングや都合上、適合する人もいるのではないかと思います。

また、私個人の偏った考え方になりますが、「学位をとれた、即、自立済」は、一般的には成り立たない命題だと思います。実際、学位を取ってから論文が出ない人の研究スタイルには、なにか問題があるのではないかと私は思いますし、私はそう判断します。あるいは排反でないですが、ビッグラボで「うまく」こなした人がそういうポジションを埋め尽くしてしまうのではないかとも思います。*1

かといって、「若手はすべて任期付き」も良くないと思います。日本の博士課程の学生が、ただでさえ不安定な立場で研究を続けてきて、その先にも不安定な立場がまずは確実に待ち受けているという現実に直面したとき、アカデミアは人材をごっそり失うことになると思います。長期的永続のための必要条件は短期的永続なので、少なくとも短期的に維持するシステムのデザインが必要だと思います。

「万年助教が出てくるから」という批判もありますが、アカデミアや教育って、そういう人たちで維持してきた側面もあると思います。これもバランス問題で、要は「研究という知の追求行為への熱意を欠く人」がすべてのポジションを占めてしまうのが問題なのであって、ずっと助教として教育やシステム維持に貢献された方の存在や貢献事実を否定するのは良くないと思います。

前提としてそもそも、「任期なしポジションに就いているということは優秀な証」といったエリート意識的な社会評価を自分にも他人にも適用するのは、やめたほうがよいと思います。*2 そもそも、私は「優秀だ」を褒め言葉として受け取れない(具体性を欠くため)し、アカデミアは能力主義であるべきではないので。

いろんな意見があるということはいろんなポジションが望ましいということなのかもしれませんが、一番良くないのは対立構造を深刻化させることだと思います。「若手は〜」とか「シニアは〜」という主語で語り尽くせるほど、問題は単純ではないのでしょうね。かといってじゃあどう表現するか、という問題があるのだと思いますが、人の人生はそれぞれ一度きりなので、カテゴリ化は難しいのではないでしょうか。*3

ということで、任期付きポジションも任期無しポジションも、あったほうが良いのだけど、そのバランスが現在非常に悪い(任期付きが多い)ということなのだと思います。

私が学生に伝えたいことは「“うまくこなす”を主成分ベクトルとするなかれ。知識・熱意・哲学を、育て続けよう。」

*1:実際、学位をとって7年経って思うのは、「学位とってからも、元の指導教員と論文を書く」というのは、分野とか色々事情はあれど、私にとっては避けたいなと思えることです(批判ではありません)。もちろん、学生の頃にやり残したテーマの出版であったり、対等な立場で議論して共同研究として出版するのであれば、わかるのですが。

*2:研究費獲得歴も、同じです。集中型の大型研究費とるなら素晴らしい研究成果を出す「責任」が生じるだけで、「能力の保証」が生じるわけではないのです。やはり、そんなに単純ではないのです。

*3:かといって、「複雑だな」を結論にしてはいけません。複雑なものを複雑なまま客観的に理解することは、私はできないと思います。