利き手を骨折した。生活も研究も、そこそこ不便している。ただ、橈骨頭骨折ということで、ギプスをつけるのは肘を固定するためであるようだ。

完治までは(勝手に)全治1ヶ月だと思っているが、いざ利き手を自由に使えないとなると、それはそれで新たに学んだこともある。
左手で文字は書けない、箸は使えない
言わずもがな。子供の頃に、サッカー選手は両足で蹴れるようにトレーニングするケースも多い。文字を書いたり箸を使うのも同様にトレーニングしておけばよかったかもしれない。
靴紐を結ぶ、靴下を履くのが難しい
体が硬いという理由もあって難しい。だんだん慣れてきたが、案外左手でも履けるくらい上達してきた。
逆の手(左手)が酷使される
普段どれだけ右手に頼っていたのかがよくわかる。フルタイム右手なのである。シフト制を検討したほうが良さそうである。 おかげで今は左手がとにかく疲れる。負荷が一気に左手にシワ寄せられている。左手首の腱鞘炎は悪化した。いたわりが必要である。
世界は右利き優にデザインされている
マイノリティになって初めて気づくことは多い。ハサミ、改札、扉、など多くの機能が右利き用である。左手のパワー不足かと思ったが真面目に考えてみると違うっぽい。ハサミは、面白いほど切れない、ドアノブは、押す時は右側、引くときは左側にある、気がする。
満員電車で押してくる人・歩きスマホ・歩道爆走自転車
やめたほうがよい。
歯磨き
調べてみると、利き手骨折で虫歯になるという話はそこそこあるらしい。確かに歯磨きは相当億劫になった。
神エクセルがひどい
これが本当にひどい。ユニバーサルデザインの観点どころか、アクセシビリティの観点からも、やめたほうがよい。音声入力できるシステムでない書類は、基本的に健常者優位を前提に作られている証であり、改善必要性のシグナルがビカビカである。
スライド作りができない
最も時間がかかるのがこれ。骨折期間中の発表は、使いまわしで乗り切るのを基本としつつ、beamerを使うのがベスト。
書くことは考え創造することである
やってみたかった計算がすべてできなくなった。そのおかげで、この事実に気づいた。創造性は書くことから始まり、書くことが創造性へ繋がる。
読んだり聞いたりに集中できる
これまであまり真面目に読んでいなかった、とある集団遺伝学論文を真面目に読んでみた。かなり集中できたし、理解が進んだ。
また、セミナーに出ると普段と変わらず集中して聞けはする。手を使わないことで集中できないといったことはなさそうであった。 ただし、あらゆる作業にかかる時間が増えるため、出席するセミナーなどは極力減らし、集中時間を意識的に増やした。これは結果ではなく意思決定であるが。
茶化す人がいる
大部分の人は心配してくれるが、茶化す人もいるのは残念なことである。私は冗談は好きな方であるが、やっぱりこの生活にストレスは感じているにので、茶化してきた人との付き合い方は考え直すこととした。
私自身は、他人の骨折を幸せな冗談にする術を持っていない。いまのところ、茶化してきた冗談が面白かった例はなく、どれもサブかった。折れていない腕を磨くか、冗談の使い所をわきまえると良い。
優しい人は優しくなり、そうでない人はさらにそうでなくなる
分極化を感じる。きっと親切にしてくれる人は、怪我をしていなくても親切なのである。