Life is Beautiful

主に進化生物学の理論のブログです。不定期更新予定。

海外研究者と日本で交流しよう

以前のエントリで、日本の公募システムに対する意見を述べたのは、当然ながらそこへの不満があったからなのですが、日本の(少なくとも進化生態学の)学会などが、国外からの研究者を学会に積極的に呼ぼうとしていることについては、本当に素晴らしいと思います。

もちろん、僕は日本国籍を持ってはいても、アメリカに住んでいるので理論上は「海外研究者」なわけですが、ここでは「日本国籍を持たない海外研究者」を考えます。現に、いくつかの科学研究費などは、日本国籍を持つ研究者の招聘については、除外していることが多いです(し、それで良いと思っています)。

僕は、修士や博士のころに、積極的にヨーロッパでの*1国際学会へ出かける習慣がありました。特に、たとえばラボ全員が行くような国際学会は、極力避けていました。みんなで同じ宿に泊まったりするのも楽しいでしょうが、学会に行ってまでラボの人とずっとつるんでいても仕方ないし、単騎で乗り込むほうが、社交性も英会話も鍛えられると思ったからです。*2

それでも、国外に行くのはとても高い。そこで目をつけたのが、国内で「海外研究者を招聘する学会」です。これは非常に良い。日本で安い旅をして、海外の研究者と交流できる。最高です。

ということで、いくつもの、日本での国際学会に行きました。東北・京都・滋賀・などなど。そこであえて国外の研究者たちと交流することには、いくつものメリットがあります。すこし打算的な表現ですが、メリットです。

日本人だけの環境において、英語で話しかけられると嬉しいだろう

日本語を話せる人口はそう多くありません。日本語を話さない彼ら彼女らが日本へきて戸惑うのは間違いなく言葉の問題です。そんな環境において、彼らに英語で積極的に話しかけるのは、間違いなく好印象をもたらします。

打算的でしょうか?でも、自分が国外へ行って同じようにしてもらえたら、嬉しいですよね?お互い様ではないですか?*3

僕は、学部の頃には、「英語で日本語を教えるボランティア」を一年だけしていました。キャンパスで、道に迷っている人を見つけたら、一緒にそこに連れて行ってあげたりしていました。今思えばそうした経験は、非常に貴重です。いまでも町中で外国人にはいろいろ教えます。

ある意味で「四面楚歌」な彼らに救いの手を差し伸べる勇気がありさえすれば、簡単に友達になれるわけですね。

英会話へのスウィッチ

みんなでご飯へ行くときに1人だけ外国人。そんなときは思い切って、英会話にスウィッチしましょう。それはふたつのメリットがあります。ひとつはもちろん、自身の英会話感覚の向上に関する部分。はっきり言って、みんな「へたくそ」なわけです。でもそれでいいんです。下手か上手かよりも、日本人としての英会話を行なって、意思疎通がとれたらそれでよいのです。

もうひとつは、そこにいる非日本語話者に、日本人の英会話ペースを理解してもらえることです。みんながみんなペラペラ話せないことを分かってもらえるだけでも、日本の状況への正しい理解につながっているわけです(悲しいかな)。

大事なのは、間違いを恐れないこと。僕の経験では、他者の英語を笑う人は英語の向上が遅いです。理由はシンプルで、「うまく話さないといけない」という誤解をしているから。

「日本で会いましたね」

上にも関連しますが、日本で共有した経験は、自分が異国へ足を踏み入れた時に巡り巡って返ってくることがあります。僕はいままで何度、国外で「日本で会ったね!」という挨拶をしたか分かりません。外国人と簡単に経験を共有できる環境が、日本にも提供されているわけです。彼らもそうそう薄情ではないわけで、まわりのひと達にも「彼とは日本で会ってね…」といった紹介をしてもらえるわけです。

ま、これもちょっと打算かも知れませんが、「日本で会った」という経験の共有は、ただ単に再会する以上の気持ちを呼び起こすわけです。学会の目的が人と話すことである以上、僕にとってはそうしたシンパシーがとても自分の研究の原動力になっている気がするのです。

日本まで来てくれてありがとう!とメールする。

学会が終わったらこうしたメールを一通送るだけで、相手は相当喜ぶはず。自分も気持ちいいし、一石二鳥。内容なんて、雑談のはしっこの「この論文面白いよ」とかでもいいわけです。それに、あなたの日本語の名前、思った以上に覚えてもらえていませんよ。日本人の名前って難しいんです。でも、メールを書いて覚えてもらったり、送付先リストに加えてもらうだけでも、まったく違いますよね。

ただし…!

挨拶メールの書き方。これはともかく経験しないと上達しません。失礼のないように気をつけた方が良いでしょう。

友達になろう

日本人は年齢次第で態度を変えることが美徳とされていますが、アメリカやエウロパではそうではないと思います。フランクに、友達になっちゃいましょう。FBでもTwitterでも何でもよいんです。SNSは友情を表すとは限らないし、握手やハグするだけで、その結束は変わってくる。でも相手の出方を見ましょう。フランスだとほっぺ同士をぶつけあいますが、下手すると顔がぶつかりそうになります。まるで、廊下ですれ違いそうな相手をよけて右に歩んだら相手も同じ方向によけてくるパタン。気をつけて。

自己紹介をしっかりと!

「何研究してるの?」

は相手の最も大きな引き出しに手を伸ばせる、魔法の言葉です。そして自分の研究は英語で話せるようにしておきましょう。僕は、外国人のいる懇親会では、研究スライドを紙芝居のように持ち歩いたりしていました。

でまあ、我ながらこう書いてみると、僕の日本での行動は、常に国外を目指したものだったことに気づきます。指導教官からの影響は多大ですが、こういう行動は着実に、経験値となっていきます。こうした思いから綴った、長めのエントリでした。

*1:なぜかアメリカには行ったことがなかった。理由はご飯のせいかなあ?自分でもわからない。

*2:初めて単身で乗り込んだ学会は、ネイティブの知り合いが1人だけいる学会で、日本人がゼロ。これは本当に精神的に相当に鍛えられました。いまでもそこで知り合った研究者とは交流があります。当時、論文の出版もなくただただ自分の結果を引っさげて、イギリスはYorkまで乗り込んだわけです。今思えばむっちゃ楽しかったです。

*3:個人的経験では、いまんところ、アメリカ人と友人になるのは僕にはとてもむずかしい反面、別の国…たとえばカナダ、中南米、ヨーロッパ、アジアなどの国々からの人と仲良くなるのはむっちゃ簡単です。彼らも英語は非常に達者なのが普通ですけど、アメリカ文化への順応という困難を共有しているのはやはり大きい。同じ理由で、フランスでは別の国からの人たちと友達になるのは比較的簡単です。

だし茶漬けは簡単に作れる!

成田空港からサンフランシスコに飛び立つ直前、だし茶漬けをいただきました。

https://tabelog.com/chiba/A1204/A120401/12004604/

これは美味しい。ちょっと高めやけど、美味しい。和のファストフードとして確立してほしい。

しかし、すこし高い…と、飛行機の中でぼんやり考えていました。でも、飛行機の中でも考える程度には、お茶漬けに好印象を持ったということです。

で、バークレーに戻ってから、さらに考えてみたのですよ。でけへんかな?と。

できないことはない

いや、もちろんどの程度までこだわるか、ってのは、ゼノンのパラドックスのように、キリがありません。ここでは最低限の準備で作るだし茶漬けを目指します。

次のものを準備のこと( 優先度の高い順):

  • 炊きたての御飯
  • 永谷園 お茶漬けのもと
  • にぼし(だしが取れれば他でもよい!)
  • 水(コップ一杯強)
  • 具(海鮮でも何でもよし)
  • お漬物
  • 大葉(度胸がすわっていれば、セロリの葉でも、パクチーでも、何でもよし)
  • わさび

以上。ダシを取って(5分〜ほど)、いつも通りお茶漬けを作ればそれでよい。必要に応じて、適当にトッピングを入れたらおしまい。お湯で作るよりも断然美味しくてオススメです。

博多で培うラーメン感:"コスパ"から見たラーメン

僕はラーメンが好きですが、「コスパ」という言葉はあまり好きではありません。コスパというのは、コスト・対・パフォーマンス(コスト・パフォーマンス。費用対効果)の略です。この言葉はおそらくネットを通じて広まるところとなり、たくさんの人が使っているのを耳にします。

しかし、「費用対効果」って、「効果」を\( Y \)軸、「費用」を \( X \)軸にのせてプロットすると仮定すると、まっすぐの直線なの?ぐにゃぐにゃの曲線なの?といった情報もなければ、個人の経済状況の考慮なしに、「イメージが共有されていること」を強いる言葉だと思うのです。背景を共有しないと、「コスパ」に基づいた主張は意味を持たない。

さて、ラーメンは実に単純に人々に幸せをもたらしてくれます。「喰う寝るふたり住むふたり」という漫画には、ラーメンをすするシーンがたくさんでてきます。そのラーメン屋の店主は、近年の「健康志向ラーメン」「insta映えするラーメン写真撮影」「SNSでのシェア目的のラーメン屋めぐり」文化にたいして、次のような言葉をセリフとして述べています。

…ラーメンってのは腹がへったからざっと一杯かきこむような… 多少 体に悪かろうがうまけりゃいいっつー… そういうもっとシンプルなもんだろう…

もう、セリフからして、この店主のラーメンはうまそう。

博多のラーメン事情

日本のラーメン多様性の高さは、実に卓越したものがあり、これは驚くべきことです。世界を見渡しても、同じ「ラーメン」カテゴリでここまで多様性が高い、all-in-oneの食べ物ってのは、実はそうそうないのではないでしょうか。少なくとも僕には思いつきません。

僕は、「訪れたことのある都市」を、「そこでラーメンを食ったことがあるかどうか」によって定義しているくらいです。ご当地キティーちゃんもいいが、ご当地ラーメン。これは現地のラーメンに対するパッションだったり、ラーメンの文化における重要性を測る、よい尺度になるとすら思うのです。はい。過言です。

そんななかでも、福岡博多のラーメンは、世界一うまい。4年間住んだ博多への贔屓目なく、これほどまでにラーメンが美味い都市はありません。驚くべきは、その「●●ラーメン」という観点からの多様性は低いこと。ラーメン・イズ・豚骨。それ以外はラーメンにあらず。いや、博多ラーメンが、ラーメンから分化しているとすら感じる。あれは別の食べ物なのだと思います。

さらに驚くべきは、その値段の安さ。この点においては、いくらかのバリエーションがありますが、僕の経験では、アベレージ700円で、替え玉アベレージは100円。安すぎるのかも知れないけど、それだけ繁盛しているのだから、サステナビリティ的には大丈夫そう。 特に、長浜ラーメン550円

【改訂版】博多ラーメンよりも超濃厚!?福岡名物“長浜ラーメン”が評判のお店8選 | favy[ファビー]

…外国からこの写真を見るのはすこし、自爆テロに近い。もとい、この長浜ラーメンは、実に中毒性のある美味さなのでです。工事現場のおっさん、学生、サラリーマン、おじいさんおばあさんはもちろん、親子連れ、女の子も足繁く通うラーメンが長浜にはある*1。老若男女が長浜ラーメンで育つ。それが福岡。

飲み会のあとはラーメン。

風邪引いて治ったらラーメン。

他県への土産はラーメン。

コメと一緒にラーメン。

生活がラーメンに満ちているのです。

コスパ

先ほども述べたように、とにかく安いのです。そしてその、病理的美味さを味わえるのです。そんな都市に長らく住むと当然、ラーメンにおけるコストに対してもパフォーマンスに対しても、ハードルがグッと上がるのは致し方ないこと。

一蘭一風堂?うん、有名なチェーン店は美味しいのですよ。しかし、あれらの店では、1,000円くらい払うわけでしょう。そんだけ払うなら、美味いラーメンが出てこないと困る。だから僕はそうした店にはなかなか足を運べない。

Berkeleyにも一風堂ができました。一同拍手喝采。しかし、15ドル〜20ドル払うのでしょう?ビールとかも飲むなら、30ドルは払うわけです。これはもうパーティーですよ。でも、ラーメン一杯?…そうか〜。

対策

もちろん、福岡に行くのはもっとお金がかかる。だから博多ラーメンのコスパをアメリカから語るのはナンセンスというのは分かります。 しかしそれでも!20ドルも払って一風堂に行くくらいなら、僕は、Tokyo Fish Marketで棒ラーメン(棒状のラーメン)を5ドル(2杯分)で買って、自分でさまざまなスパイスとかアレンジしながら食べたほうがいいよなあと思うのです。

だから困るのが、友達と集まったときにたまになる、「一風堂、行ってみようか」という話。この経験、何度あったことか。しかし僕はこれまで、すべて神回避してきました。

一度は行列がすごかった。二度目はなんと奇跡的に、ちょ〜〜〜〜〜うどBerkeleyが停電になって、一風堂にも入店できなかったとき。最後は、奇跡的な臨時休業。神を信じかねないレベルの神回避。

繰り返すと、僕は「コスパ』という言葉は決して使わない。except for Ramen

*1:ただ、「どちらが正統元祖の長浜ラーメンか」で、分家してしまっているそうな。藤原家かよ。

アメリカのコイン両替問題

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イギリス。フランス。スイス。ベルギー。マダガスカル。タイ。韓国。アメリカ。

我ながら意外にも、空港から外に出て、地面を踏んだ国はこれだけです。そこで食事をしたり、お土産を買ったり、お酒を飲んだり。

そうすると必ず直面するのが、コインの異常増加。コインが判別できないから紙幣で払う傾向に陥り*1、コインが異常に増え、財布がパンパンに膨らむわけです。

日本では、コインに慣れているためか、レジで払う時に細かい値を出すのにうまく使えたりします。あるいは、銀行のATMに行って、コインをジャラジャラとすべて預けてしまうこともできるわけです。

しかしここはアメリカ。ATMのサービスはそんなによくない。コインの投入口など、ありません。もちろん最近こそ、現金で支払うシチュエーションはめっきり減ったものの、それでも着実にコインは増えていくのです。財布はパンパン。コインを抜き取り、デスクに入れる。コインはまた増える。デスクに入れる。デスクにコインがジャラジャラ貯まる。

この問題をいかに解決するか。Webで調べたり友人に尋ねたりもしましたが、僕は他の人とすこし違う解決策を見つけました(最後に書きます)。

そもそもとして:増やさない

レストランなどではチップを受け付ける・求めるところがほとんどですから、最初から、お釣りで発生したコインをすべてチップとして用いてしまってもよいわけです。応用すると、カードで払ってもチップをコインで払ってもいいわけですね。

両替機

Coin Starというサービス(両替機)が、Safe Wayというスーパーにはあるようです。

https://www.coinstar.com/GetCash

しかし、11.9%の手数料がとられる。…高くない!?

あるいは、手数料無料で、Gift Cardに交換することも可能。

銀行

銀行に行くと、銀行口座がある人は無料で交換してもらえるようです。ただ…

https://losangeles.vivinavi.com/eb/index/?topic_id=1-01-JA-eb-1061399484-d41d&show=s20

9: HIMA*HIMA 銀行でもらえる紙製のものはCoin Holderと言います。 必要な金種用のを必要な数だけ無料でもらえます。 ただその支店に在庫がある場合と無い場合があるので、 足りなかったら別の支店でも聞いてみると良いです。 こうして自分でカウントするのが面倒な人は、 銀行の窓口で両替手数料を払えばやってくれます。 でも友達はそれで$15取られたって言ってました。 ホルダーなんていくらでもタダでくれるから自分でやることをオススメします。 ちなみに私の彼は渡米2年で溜まったコインを私がこうして両替したら$45以上ありました。 コインをホルダーに詰めるの、私は結構好きです(= ̄∇ ̄=)

銀行でコインホルダーをもらって、それにひたすら自分でコインを包んで…ということをせねばならぬ模様。

募金

いっそのこと、「掛け値なし」で募金してしまう。手数料100%のナニカと思えばしかたない!?

うちのラボにはコーヒー好きのLが運営する「コーヒー基金」があって、共有するコーヒーを購入する(coffee fund)ためのdonation boxがあります。友人Cは、そのdonation boxにコインを全部入れてるわと言っていました。笑った。Cから横流しされたコインを、Lはどうしてるんやろ…

あるいは、一部の国際空港では、あまった外貨をいっせいに回収する箱があるとかないとか。

パーキング

友人Yは、車にのって駐車したときにコインをジャラジャラ使うと言っていました。ただこれは、上限があるのが問題かな。

僕の解決策:空港の電車の券売機!

最近、知ってしまったのです。サンフランシスコ国際空港のBART(電車)の券売機は、例外的に、コインを受け付けてくれることを。

僕はそこですべてのコインを投入し、Clipperという電子カードにすべてチャージ。空港に行く機会は一年に数回はあるわけで、そのときにすべてチャージしてしまっているのです。これは便利!!

ただ、1セントは受け付けてくれない。これは困った。

ということでオススメです。一番現実的なのは、Coin Starなのかな。

*1:カードで払うことも多いが、カード会社から手数料を取られるためにカードでの支払いに制限を設けているお店も多い。

年上を敬う社会は、年下を蔑ろにする社会であるべきではない

「先輩」・「同期」・「後輩」という日本語は、社会的な生活を送る日本人であれば、毎日でも口にしてもおかしくない言葉です。「先輩相手なら敬語を使わねばならない」などの、社会的な違いを明確にするための言葉でもあります。

これらは、社会的な文脈に限らず個人的な文脈にまでおおきな影響をもつ概念です。 なぜなら、プライベートでも先輩への態度は「うやうやしく」なくてはならないからです。つまり日本の、ビジネス以外にまで広く浸透した文化です。

日本のTVをつけてみましょう。たとえば吉本興業の芸人たちは、「先輩」への絶対服従を、それはもうあからさまに、体現しています。先輩に敬語を使わないものなら「お前先輩やぞ!」と(文字通り)周りから叩かれる。*1

あるいは、先輩相手には楽屋への挨拶はせねばならない、というのもありそうです。もちろん「今日はよろしくお願いします」くらいの挨拶は、お互いに気持ちのよいものであり、素晴らしいことです!しかしたとえば、先輩が後輩に対して楽屋挨拶をするという話は、すくなくともテレビにおいてはあまり耳にしません。*2 そんな文化があるとそら、世代交代できないわけです。そして未だに1980年代に成功したタレントたちを中心的に起用するテレビ局の大きな罪です。世代交代のできないコミュニティには終焉しかない。若い芽が出ない!

より卑近的には、会社でも、そして研究者の集まり(研究室や学会)でも、雑用が「後輩の仕事」というのは、耳にしたことがあるのではないでしょうか。体育会の部活などでもそうかも。バイトでもそう。どこでもそう。家族でもそうかも?

僕は長く、「先輩」「後輩」という概念と格闘することが多かったのですが、ひとつの経験をとても鮮明に覚えています。それはパリでの学会でのことです。たまたま日本人の「先輩」がその場にいたので話していたのですが、知り合った人に"Is he your colleague as well?" と言われて、どう答えたらよいのかわからなかったのです。先輩ってなんというのだろう?と。Older colleague? ではなぜ、年齢や立場を、そんなところで言葉にせねばならないのか?なぜ、「友達」ではダメなのか?(自問自答)結局、僕はしどろもどろな返答しかできませんでした。*3

従順な後輩として振る舞うことは、有利である

自分に対して「従順な後輩」は、さぞかし可愛いことでしょう。すると「従順な後輩」として振る舞う方向にインセンティブは当然として働くわけです。「上」への態度は社会的成功において非常に重要なファクターと思います。

繰り返すと、「先輩」を絶対視する行動は、日本社会では「利得」が、なんせ高い。だって、上から可愛がられるわけですから。そうした先輩への服従を行動で示すだけでなく、自分の周りにもそれを強いる人は「先輩」という「上」の立場になったとき、どういう基準で「下」の者を評価するのでしょう?考えるだに恐ろしい話です。だって能力そのものよりも、従順性が評価されるのですから。アホらしい。

だから僕は「後輩として」自分に従順な人に対して、どのように接したらいいのか分からないのです。もっと、対等に意見しあえる関係が望ましいし、その人が「先輩」になった時に別の態度をしていたとすると、それはもうニセモノだと思うのです。

なぜ現状を良しとするのか?

「お前、先輩に対して失礼やぞ!」というこの言葉。意地悪な見方をすると、おなじことを『同期』や『後輩』に対してなら、やってもよいということ?んなアホな。

もしも「敬語を使わないなんて失礼」なのだとすると、同期や後輩にはそうした失礼を働くのは許されているということ?それこそ失礼な話です。

ぼくはこうしたものは全て、年齢差別だったりカーストに近いものだとすら思います。 年齢による差別は、もっと深刻な現状があります。たとえばなぜ履歴書には生年月日を書かねばならないのか?

もしも「それが日本の文化だから」というのであれば、なぜそうした文化を批判的に検討し直すことをしないのか? 行動やルールの原理が最終的に「伝統だから」というものでしかないなら、そんなルールは馬鹿げている。人を幸せにしないようなルールは、なくしてしまえばいい。

なかなかうまくはいかない現状

たとえば僕が会社に勤めていて、同じ部署の「後輩」なる女の子に対して、「敬語でなくてよいよ」と言ったとします。そして彼女がそれを実行し、タメ語で話すようになったとします。そして仮に僕が既婚者だったと仮定*4すると十中八九間違いなく起こる噂が

「あの2人、デキてる!/不倫してる!」

文春が小室さんの不倫を報じ、たくさんの方が文春のゲスなビジネスに反吐を出す点ではまだ健全な社会だと願いたいです。しかし、これは、カカシを殴るようですが、まず間違いなく(いまの)日本の文化では、起こる。

そうした噂がために尚一層、2人の社会的な成功度は低くなる可能性があるのです。敬語文化は一旦確立すれば局所的に均衡状態であり、敬語を用いない(小数の)突然変異の侵入に対して堅固なのです。

宗教的な理由?それはお互い様!

こうした、上を絶対的に敬うのは、儒教的なルールだから(仕方ない・当然)、と言われるかも知れません。しかし宗教には自由があります。儒教を信仰する自由は同時に、儒教を信仰しない自由も保証するはずです。僕は儒教者ではないので、そうした文化には、宗教的な理由によっては、従いません。

丁寧語がナンセンス、というのではない

丁寧語というのは文字通り、丁寧な印象を与えます。だからたとえば、初対面の方に丁寧語を使うのは悪いアイデアではないはず。

いや、ひょっとすると僕の論理を一貫させるのであれば、僕は全員に対して丁寧語を使うべきなのでしょうね。それができない僕はその意味で、ご都合主義的なものかも知れませんね。

年齢フリーな関係を:年齢より大事なことがある

僕はもしも、研究室を運営するようになったら、なるべくそうした立場の違いで不利益や不都合が被ることを防止したいです。 そして年齢以上に、共通目的への協力を重視したいです。そして、年上を敬うのと同じくらいに、同い年・年下を敬う社会にしたいです。

*1:いちど、島田紳助が「しゃべくり007」という番組のゲストで出演したのを観たことがあります。ネプチューンくりぃむしちゅーも、迎合迎合で、本当に興ざめする回でした。大好きな番組なのにな…。

*2:おぎやはぎの、このやりとりは面白かった:

おぎやはぎ矢作、楽屋挨拶をやんわりと断る所ジョージの気遣いに感心「打ち合わせ中なので、ノックしないで下さい」 | 世界は数字で出来ている

*3:いまは、"senpai"というスラングがあるらしい。すげえな。

「先輩」 「後輩」って英語でなんて言うの? - DMM英会話なんてuKnow?

*4:この仮定は偽ですので、この文脈ではいかなる命題も正しくなってしまうのですが、まあ、そこは置いとこう

うなぎなき未来

シラスウナギの漁獲高のニュース。これはかなりストライキングというか、ショッキングです。

https://news.yahoo.co.jp/pickup/6268189news.yahoo.co.jp

前年比がこれ…って、もう絶滅の一歩手前まで来ていると言えるのではないでしょうか。 その理由は明確です。持続可能なレベルを越えて、過去の僕らが食べすぎたからです。

僕は、2013年の4月から禁鰻、すなわち鰻絶ちをしています。 僕が日常(と言っても、ぼくは一年に一度、食べるかどうかでしたが)で摂取すること自体が、持続可能なレベルを超越していると自覚したためです。そして、安価な取引で持続不可能なレベルの商売を行なう企業には(少なくとも、鰻を通じては)貢献したくないからです。

正直に言うと、鰻がそこまで好きでもないという理由もあります。ほとんどタレの味じゃないですか…?*1

それでも難しい禁鰻

禁鰻を行なってから現在2018年1月までの半分以上の期間を海外で過ごしているため、神戸の自宅へ戻ると、両親はたいそう喜んで、もてなしてくれます。

特に母は、肉や魚などを用意して、振る舞ってくれるわけです。鰻も例外ではない。母としては喜ぶ僕の顔が見たくて鰻を振る舞うわけですが、僕は食べることを拒むので、母をがっかりさせてしまったこともありました。

こうした僕の行為は時として「空気の読めない」行動になることでしょう。

例えば友人たちとの楽しい飲み会。居酒屋で鰻料理を注文しようという話になった時、僕が「NO」と言ったら?*2こうした「思想」が「空気」や「同調」よりもプライオリティの低いものとして見なされているのが、残念ながらいまの日本の状態です(過去にはどんな社会もきっとそうだったと思いますので、すこしずつ改善されていけばよいと思います)。社会適合者であることと、社会の現在の全てを受け入れることとは、等号ではないはずです。

鰻は絶滅するか?その根拠:研究者による著書から

漁獲高は必ずしも、潜在的な個体数に比例しているわけではありませんが、鰻の個体数のよい(あるいは、唯一の)指標と言えると思います。それでも、詳しい現状は、なかなか(僕のような研究者でも)簡単にアクセスできる情報として明らかにされていません。

しかしうなぎの保全生態学についての著書

https://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/B01N102RDA

によると、次の点が指摘されています。

http://d.hatena.ne.jp/shorebird/20170710 より引用)

  • 日本で養殖されているウナギの半分以上が密猟・無報告漁獲・密売を経たものである.これらの違法ウナギは正規のウナギに完全に混ざって流通しており,取扱業者も正規・非正規の区別はできない.
  • 現行の漁獲量規制は全くのザル法で漁獲量削減の効果は期待できない.
  • 養殖場において成長の悪いウナギが選択的に河川に放流されている.
  • 消費量の削減のみによってウナギの保全がなされることは期待できない.劣化した成育場の環境回復が必要である.

問題は深刻です。日常的に口に運ばれるウナギの多くが、「闇ルート」を通じて収穫されたものだということです。

あまりにも残念な現状

規制が行われていない現状は深刻ですが、もっと深刻なのは、人類に対して総合的知見を提供するための機関である大学ですら、その現状を認識・重視していないということです。

一部の大学では、生協のメニューで鰻丼を安価(生協なので当たり前)で提供しているのです。水素水を生協で売っている大学も福岡市の西区にありますが…。

ちなみに、リベラルなアメリカ西海岸でも、鰻への危機感が認識されているわけではありません。

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レイク・タホへの道中に立ち寄った、韓国系スーパーにて。値段を見る勇気が出ず。

なぜそもそも守らねばならないか

ここは議論の筋道が間違いなく別れるところですが、 地球生態系というのは現在の人類だけのものではないのです。地球のあらゆる資源は、将来的に持続的な形で利用されるべきです。 「では、なぜ持続させるべきか?」は、我々よりも若い子どもたちの顔を見てから考えてみてほしいです。

「おとうさんやおかあさんがウナギを食べすぎたからね、もうきみたちはウナギを食べられないんだよ」

「へー!愚かだなぁ!」

さらに、ウナギが滅びた場合、ウナギを餌として利用していた動物たちはどうなるでしょうか?あるいは、ウナギが餌としていた生物たちは増えすぎてしまう。 こうした「生態系のバランス」は、いつ地球に計り知れぬ危機をもたらすでしょうか?

人類史には、リョコウバトやドードーなどが人間の手によって滅ぼされてきたという、恥ずべき過去があります。 次はライオン?サイ?ゾウ?トラ?チーター?動物園にいるあんな動物やこんな動物が、実は絶滅の危機に晒されているのです*3

それだけではありません。花を咲かせる植物、樹木、目にも見えぬような微生物、深海の生物たちも絶滅の危機に晒されている可能性があり、持続可能なレベルを保つことができるのは人類だけです。そして絶滅においやることができるのも。

地球上の生命体はすべて、考えられないような時間のかかった進化という歴史の産物です。いわば地球の、かけがえなき財産そのもののはずです。

「食べるな」とは言えない。…けど…

FBやInstagramでもたま〜に目にする、ウナギを釣った写真、食べている写真、もろもろ。 やっぱりちょっと、いやかなり、悲しい気持ちになります。

乱暴な言葉で言えば「貧すれば鰻を食うべからず」なわけですが、鰻を食べるならそれ相応の対価を払ってほしいと感じるのです。*4

よくある返事❓

  • 「絶滅するの?それなら急いで食べなきゃ!」
  • シラスウナギが絶滅したら、他のウナギをとればいい」

僕はこれには、さすがに言葉を失います。

  • 「ウナギで商売をしている人たちはどうなるんだ!」

どの程度、持続可能な取引をしてきたかが問題なのです。もしもその資源が尽きようとしているのであれば、取引を減らすのは当然のことでしょう。

代替案:ナマズはどうだい?

現実的な代替案だと思います。ナマズは形がグロテスク?もしそうなら、ウナギもけっこうグロテスクの分類に入るのではないかなあ。

portal.nifty.com

めっちゃ美味そう。

おまえ、マグロ食べてるやん!

クロマグロもそろそろヤバいはず。安い消費をやめるべきですね。鉄火丼はもう、食べたくないなあ…うまいけどなあ…

果たして僕はこの一生を、ノン・ベジタリアンとして過ごすことができるでしょうか。

子どもたちに鰻を

僕が一匹の鰻をたべることを我慢することで、僕の子どもが少しでも鰻を食べる可能性が高まるのであれば(いや、高まらなくても)僕は喜んで、鰻を絶ち続けます。いつか子どもを持った時、4年に一度くらいは、鰻を食べさせてあげたいなあ(僕は食べないけど)。

*1:僕はサラダにドレッシングはかけないし、マヨネーズも基本的には使わないし、刺し身も醤油なしで食べること多いし、焼肉にはタレなど絶対につけません。炊き肉のタレについては、強い反発すら覚えます。あれ、肉の味を殺しすぎ!

*2:実際のところはこれまで、「気にせず頼んでいいよ、僕は食べないだけ」という対応をします。

*3:とくにサイは、その角に媚薬としての効能があるという迷信によって、個体数がどんどん減っていっているようです。もちろん密猟。知性と教育の重要性を痛感させられます。

*4:繰り返すが、ぼくは正当な価格での取引であったとしても、もう購入しない

海外からのアカデミア就活:日本への遠い道

海外に住んでいても、日本国内の公募を目にすることがあります。

そのだいたいは「簡易書留で書類を提出のこと」。そして「別刷りをX編Y部印刷」。

単純計算のため、一編の論文を10Pだとして、5編10部印刷するとしましょう。両面印刷にして、10×5×10÷2 = 250枚の紙が必要になります。A4一枚はだいたい4gとのことですから*1、250枚×4[g/枚]=1000gの書類に。重いなあ。

これをFedEx Rates and Transit Timesにていくらかかるか計算してみましょう。行き先は例えば、神戸大学としましょう。 Fedex Pakないし、Fedex Envelopで送付してみることにしましょう。詳しくは表示しません。結果はなんと

\[ 100ドル以上 \]

おっと、面接に呼ばれました。Skypeダメ?現地でやらないといけないんですね。えっ!旅費は出ないのですか…?そうですか…自費ですか…。往復1400ドルと見積もりましょう。

…ということは目下、郵便と飛行機で出費は100+1400=1500ドル…今のレートで16万8000円/応募ですか。

気を取り直して、5つほど公募に出してみましょう。16万8000円×5 = 84万円。*2

たとえば海外学振だと、年間525万円が「給与」として頂けます。1年に5つの公募に出すとすると16%以上が応募費に消え得る

おっと、しかも海外学振だと、日本に帰国している間は給与がストップされる…!?ということは、たとえば毎回4日ほど日本に滞在するとなると、20日分の給与が消えることになるので、16%というのは過小評価。*3

往復飛行機代1400は見積もりが高すぎる?いやいや、羽田や成田、関空から移動してホテルに泊まって外食して…となると、どうでしょう?

日本人の僕には出せません

そう。このままでは若手研究者は、海外からは戻ってこれないのです。

もしも現代の科学国策が若手研究者を海外へ送り込み、経験を積ませて帰ってこさせることなのだとしたら、前者はまだしも後者は功を奏しません。

だって帰れませんから。

ぼくが知っている公募の中には、電子メールでの公募を受け付けるものもあります*4。こうした公募がどれだけ有難く、ロールモデルとなることか。煎ずる爪の垢すら取れなさそうな素晴らしさ。

海外の研究者も出せません

だいたい日本以外の公募は電子メールでの応募を受け付けます。いや、たとえばポスドクとなると、事前のSkype面接だけで済ませるところすらあります。 そうなると、わざわざ郵便で100ドル以上かけないと出せない公募に、海外研究者が出しますか?いいえ、出しません。そんなことをする間に、ほかの公募にロウコストでガンガン出します。

オフィス・インタビュー

ここで、アメリカの友人に

  • メール応募不可
  • 論文をプリントアウトして送付のこと

ということを伝えたときの反応をご紹介しましょう。

  • “That's soooo ridiculous”
  • “What for? No emails?”
  • “Are there no printers in Japan?”

ご提案・要望

  • 電子メールでの受付を強く望みます。
  • 論文もPDFで提出させてください。
  • こうした改善は、国内の応募者にも有益かつ、公平です。
  • せめて提出方法を交渉させてください。
  • 「公平に取り扱う」のであれば、海外からの応募で著しく不利・不公平な立場の研究者を他の応募者と公平に扱うことを検討して下さい
  • どうか、若手の苦労を忘れず、会議での提言を行なって下さい。
  • 守るルールの根源的理由が「伝統だから」でしかないのてあれば、そんなルールは撤廃してください。

こうした意見は、若い研究者が発信していかねばなりません。そうすることで、日本の科学の状況を少しずつ改善する動きを見せるしかないのです。

追記

海外のポジションではだいたい、旅費をサポートしてくれる、ということを強調し忘れました。

また、本記事公開後、さまざまなご意見を頂戴しました。

全くもってその通り。履歴書や業績を(大学・研究所独自のスタイルで)提出するよりも、すでに確立されたORCIDという世界のスタンダードかつ画一化されたシステムを利用するのは、良いアイデアだと思いました。そしてそのうえで、さらに必要な情報があれば、追記させればよいと思います。

Couldn't agree more.

鍵アカウントの方からは、「Reference Letterを(当然、別途)郵送させる大学もあった」とのハナシも聞きました。そうか。たしかに応募者が見ることの出来ない情報なんだし、別途郵送ということになるのか。

…え、海外からですか?

ほえ〜!それは知らなかった。でも、残しておきます。間違った記述を行なってしまった場合は、ここで言及してフォローしていきます。

コメント欄より

NIKIさん

遺伝研での公募に関する情報を頂戴しました:

国立遺伝学研究所の人事の教員公募

  • 応募書類はすべて電子メール送付でOK。
  • 論文別刷りはPDF。
  • 略歴書のみ指定の様式, 後の書類は自由形式。
  • 海外からも含め面接への旅費支給あり。
  • 照会者のリストだけで、推薦書の添付は必要なし。

となっています。ぜひ、関係するような公募があれば応募してみてください。

遺伝研、素晴らしいですね…。遺伝研には、海外からのポスドクがいるという話も聞くのは、こういうことでしたか。これぞ国際化。

vtpさん

今はjrec-inで、募集機関側がweb公募も選べます。それすらも、使っている機関を殆ど見ません。私は公募を、それこそweb公募でやってほしいと提案しました。事務は、前向きな反応でした。権限がある方々にも話し、反論もありませんでした。しかし、実際にやる段になると、そもそもそんな提案などなかったのごとく、今までやってなかった事はやらないという顛末でした。日本で地位が高くなった多く方々は、肩書が上の方々への忖度は非常に上手ですし、自分の評価に関連しそうな事には周りを犠牲にしても非常に敏感に対応します。しかし、彼らには、下々の苦労を解消するために、例え上からの評価基準に入ってなくても、新しい事(web公募も新しくも無いわけですが)をやってやろうという意欲が必要とされてこなかったんだと思います。

補足としてJREC-INとは、日本の仕事の広告を載せるポータルサイトのようなものです。そこにweb公募項目があったとは…。これがあれば直ちに状況を大幅に改善できると思います。

HMさん

素晴らしいですね。 現在、海外在住で日本国内のいくつかの公募にアプライしていますが、個人的に問い合わせしてみると、「メールでも大丈夫です」と回答していただける場合もあるようです。今のところ、「メール不可」というのはないので、公募主に事前に問い合わせてみるのも良いかもしれません。あと、公募されてても、いわゆる「出来レース」となっている場合もあるので、公募期間が極端に短いのは疑ってもいいかもしれません。公募なのに「公平」ではないのはどうかと思いますが、まあ日本ではいまだにそんなもんだとは思いますが。

やはり事前に問い合わせる、というご意見が多いようです。ぜひそうしたいと思います。

Sallyさん

改行に伴う改変が少し有りますが:

すぐ記録が出てくるのでも、

岡山大学グローバル・パートナーズ講師(特任)の公募(国際担当)

https://jrecin.jst.go.jp/seek/SeekJorDetail?fn=3&id=D118010012&ln_jor=0 (海外在住でやむを得ない場合)、

東京大学大学院理学系研究科 物理学専攻 研究員公募

https://www.shikoku-u.ac.jp/docs/koubo20171012_jidou.pdf

高知工科大学数学公募

https://www.kochi-tech.ac.jp/disclosure/img/mathematics20171206_1.pdf

東京大学国際高等研究所カブリ数物連携宇宙研究機構

http://www.ipmu.jp/job-opportunities

首都大学東京都市教養学部理工学系生命科学コース助教

https://www.houjin-tmu.ac.jp/extra/download.html?d=assets/files/download/recruitment/teacher/tmu/2632_260930.pdf

で電子応募がありました。制度の制約ではないのです。若手研究者の苦労に甘え過ぎだと思います。結果的に、余計な時間を多数の若手研究者に使わせて、昨今の、日本の研究情勢の衰退の一因になっていると思います。

ありがたい情報。結構ありますね。こうした改善がどんどん進んでほしいなあ。

追記2:愚痴ではない。

建設的にものごとを進め、改善に繋げられればいいなあと思います。

追記3:感謝

そのうえで、電子化を進めたり交渉などに柔軟に応じてくださる事務・大学教員の方々には、頭が上がりません。ありがとうございます。

*1:https://www.ddc.co.jp/mail/archives/20090323/110200.html

*2:タイミングがうまくあえば、面接を一度にこなすこともできるでしょうが、ここでは最悪のシナリオを想定

*3:追記参照。

*4:僕の分野で、僕が把握した限りだと、九大と理研の公募は電子メールでの提出でした