Life is Beautiful

主に進化生物学の理論のブログです。不定期更新予定。

任期付きポジションの是非

きっとこれからも永遠に俎上に載るであろうこのトピック。

色々な意見があるとは思いますが、(ただいま任期付きポジションにある)私個人の考えを書きます。

まず、「任期付きポジションの完全撤廃」は良くないと思います。任期付きには任期付きの良さも無くはなくて、とにかく「講義等の他の義務なく研究に専念できる」というのは大きなアドバンテージです。もちろん、立場が不安定になるというディスアドバンテージも大きいのですが、スタイル次第では、「講義の義務をこなしつつ研究もする」というポジションよりも、タイミングや都合上、適合する人もいるのではないかと思います。

また、私個人の偏った考え方になりますが、「学位をとれた、即、自立済」は、一般的には成り立たない命題だと思います。実際、学位を取ってから論文が出ない人の研究スタイルには、なにか問題があるのではないかと私は思いますし、私はそう判断します。あるいは排反でないですが、ビッグラボで「うまく」こなした人がそういうポジションを埋め尽くしてしまうのではないかとも思います。*1

かといって、「若手はすべて任期付き」も良くないと思います。日本の博士課程の学生が、ただでさえ不安定な立場で研究を続けてきて、その先にも不安定な立場がまずは確実に待ち受けているという現実に直面したとき、アカデミアは人材をごっそり失うことになると思います。長期的永続のための必要条件は短期的永続なので、少なくとも短期的に維持するシステムのデザインが必要だと思います。

「万年助教が出てくるから」という批判もありますが、アカデミアや教育って、そういう人たちで維持してきた側面もあると思います。これもバランス問題で、要は「研究という知の追求行為への熱意を欠く人」がすべてのポジションを占めてしまうのが問題なのであって、ずっと助教として教育やシステム維持に貢献された方の存在や貢献事実を否定するのは良くないと思います。

前提としてそもそも、「任期なしポジションに就いているということは優秀な証」といったエリート意識的な社会評価を自分にも他人にも適用するのは、やめたほうがよいと思います。*2 そもそも、私は「優秀だ」を褒め言葉として受け取れない(具体性を欠くため)し、アカデミアは能力主義であるべきではないので。

いろんな意見があるということはいろんなポジションが望ましいということなのかもしれませんが、一番良くないのは対立構造を深刻化させることだと思います。「若手は〜」とか「シニアは〜」という主語で語り尽くせるほど、問題は単純ではないのでしょうね。かといってじゃあどう表現するか、という問題があるのだと思いますが、人の人生はそれぞれ一度きりなので、カテゴリ化は難しいのではないでしょうか。*3

ということで、任期付きポジションも任期無しポジションも、あったほうが良いのだけど、そのバランスが現在非常に悪い(任期付きが多い)ということなのだと思います。

私が学生に伝えたいことは「“うまくこなす”を主成分ベクトルとするなかれ。知識・熱意・哲学を、育て続けよう。」

*1:実際、学位をとって7年経って思うのは、「学位とってからも、元の指導教員と論文を書く」というのは、分野とか色々事情はあれど、私にとっては避けたいなと思えることです(批判ではありません)。もちろん、学生の頃にやり残したテーマの出版であったり、対等な立場で議論して共同研究として出版するのであれば、わかるのですが。

*2:研究費獲得歴も、同じです。集中型の大型研究費とるなら素晴らしい研究成果を出す「責任」が生じるだけで、「能力の保証」が生じるわけではないのです。やはり、そんなに単純ではないのです。

*3:かといって、「複雑だな」を結論にしてはいけません。複雑なものを複雑なまま客観的に理解することは、私はできないと思います。

理論生態学:発表・学習・研究の道標

▶1. 講義

 1.0 実は:どんな講義もとって良い

カリキュラム(つまり必修・選択履修かどうか)は大学の事務的手続きで定められているのであって、学びたいという主体的意欲があるのであれば、どんな講義を受講しても良い。単位として認定されるかどうか、というのは、副次的に付随する結果である。もちろん単位取得は最低限行なうべきだが、それ自体を目的とすべきではない。学生のうちは、何を学んでも良い。色々な講義に出て耳を傾け、自分の興味を見つけると良い。学習目的がはっきりしていなくても、タイトルやシラバスから「何となくこれ面白そう」と思ったものは何でも受講すれば良い。有限の人生において、色々な専門家の講義を聴くことに集中できる機会というのは非常に貴重である。それこそが大学生にとっての最大の権利である。

私の場合:

  • 文学部英語 (毎週予習してきてその場で発表するスタイルのややスパルタな講義だった。講師の先生は言葉がキツめで正直怖かったが、その先生に褒められたときの嬉しさは、格別だった。脳みそから報酬物質がドバドバ出るのを感じた。)
  • 農学部生態学 (市岡 孝朗 先生が講師だった。数理生態学の内容にも触れられていて、非常に刺激的だった。)
  • 他大学の臨海実習

などを受講していた。いずれも非常に重要な機会であったと、今になると痛感する。

 1.1 自主学習:予習の活用

大学の講義は、その場で聞いてその場で理解するようにはデザインされていないことが多い。意外かも知れないが、だからこそ予習は絶大な効果を発揮する。

私が頻繁に口にするのは、「予習は復習を兼ねる」である。自分の到達地点を確認することなく前には進めない。また、自分の到達地点を確認するだけでは、前には進めない。新しいことを学ぶためには、これまでに学んだことへの理解度を見返ることが必須である。まずは予習してみると良い。そうすると、復習すべき箇所が見えてくる。

私の場合:

  • 高校生の頃は、先々に予習をしていた。すると、自分の理解度・到達点がはっきりして、復習せざるを得なくなった。そのサイクルを高校で確立させられたのは、幸運であった。
  • 格通知を受け取った年の3月、ε-δ論法を自習した。
  • 微積分学の講義のため、自分で演習問題に取り組んだ。
  • 初年度の夏休みは、後期で取り扱われるはずの内容(確か、広義積分など)についての自習を進めた。

予習することのメリットは枚挙にいとまがないが、講義の内容がスッと頭に入ってくる自己高揚感と、それに伴って「勉強がどんどん楽しくなる」という実感はあったように思う。

 1.2 講師の活用

予習したとて、聞いてもわからないところは必ず現れる。講義内容に直結する疑問は講師に積極的に質問すると良い。これは受講生の特権である。

ただ、講義の内容とは直接関係がないこと、あるいは教科書を開けば載っている基礎的なこと、を質問する前に、一歩復習を要検討である。講師は講師ではあっても、個人の家庭教師ではない。質問者自身が調べてみたり、自分の中の疑問を明確にしてから、疑問を文章として手短にまとめ、そしてメールなどで尋ねた方が良いと思われる。講師も有限の人生を生きる人間だし、講義後は疲れていることも多い。その場で答えないといけないというプレッシャーを与えることが目的でない限りは、落ち着いて考えるだけの余裕を講師にも与えた方が、双方にとって良いだろう。

▶2. 演習形式の講義・自主ゼミ・輪読

 2.1 準備

発表内容についての予告をする方が良い。そうすると担当講師含む聴講者たちも、どこまで読んでくれば良いのか、目安を立てることができる。また、概要について話すことで、一貫的な理解を深めることができる。予告するうえでは、

  • 概要
  • 日付と時刻
  • 分からなかったところ

などを提示すると良い。

ゼミ・輪読は、周りの学友や講師から直接的に問題点を指摘してもらえる絶好の場である。個人の趣味にもよるが、たくさんの問題を解くことや、急いで進めることを目指すよりも、少数の問題や定理や具体例にじっくり取り組み、徹底的な分析と理解を試みる方が良い。

もちろん、題材の難易度にも依るが、問題を徹底的に突き詰めることは研究において最も重要な姿勢である。説明したい内容については、一文一句のがさず理解することを目指すべきである。そのうえで、分からないところを分からないと述べ、自分なりの理解と、題材の当該記述を、比較すると良い。教科書が根本的に間違っていることや、数式のミスタイプ(タイポ)も往々にある。

たとえば、ロトカボルテラ競走モデルの背景にある現象論的な仮定は何か?密度依存的な死亡と密度依存的な繁殖成功低下とは、どのようにモデルで区別されるか?こういった仮定を理解し尽くすことは、研究実践の上でも有効な訓練である。

特に大事なのは、「分かったふりをしない」である。自分を誤魔化すのが最も良くない。そして発表において他人をも欺くのは、損しかない。「だいたいこんな感じ」といった理解ではなく、徹底的に理解し尽くすことを目指す。必要に応じて参考文献を読み解くことも必要である。

 2.2 発表

自分の理解と、記述内容とを、相対化すべきである。そうした内容に実のある発表ができれば、及第点である。

しかし、内容だけでなく、形式も大事である。発表は、講釈ではなくコミュニケーションであることを覚えておくと良い。そのために、

  • はっきりと
  • ゆっくりと
  • ネクサス(主語と述語/結論)を明確に
  • 「えーっと」を減らすことを意識しながら
  • 自己混乱に気をつけながら
  • 話しつつ頭の中を整理しながら

話すと良い。また、

  • 定理は明文化する
  • 演習問題は前提を明文化する
  • 論理関係を明確化する
  • 図を使う

と良い。聞いているものは前提を簡単に忘れる。書いておくと前提の共有になるし、凡ミスを防ぎやすくなる。

発表はどうしても岡目八目なところがあることも覚えておくと良い。符号のミスなどはその典型である。書き間違い・言い間違いを指摘されることを恥と思う必要はない。だが自分の理解が怪しいような状態で発表を「こなす」ことを目指すのは良くない。有益な場とは、題材に関する参加者の相対理解が深まる場である。

なお、個人的には、アウトラインこそ確認する必要はあるだろうが、ノートを見ずに発表することを目指すと良いと考えている。それくらいに準備の段階で見通しよくかつ理解を深められていると、発表がオマケとなりうるほどにまで、実力がついたことの証左となる。もちろん難しい。だが、数学を学ぶ学生は特に、こうした理想形を意識しておくと良い。まあもちろん、発表時間がたんまりある場合にしか、この方法は採用できない。

質疑、あるいは参加者からの質問に答えるのは、難しくも本質的なものである。

  • 質問は、最後まで聞き、質問に返答を重ねない
  • エス・ノーで答えられることはまずそれを答えてから具体的な内容を説明する

と良いと思う。このあたりは、古田先生の「大学院で幾何の勉強を目指す学部生の方たちへ」に、至言がたくさんある。

▶3. 自主学習

 3.1 教科書をいかにして選ぶか

講義と関係なく教科書を読むことは、素晴らしい。だが残念ながら、適切な教科書を選ぶというのは(研究者歴を積んだとしても)とても大変である。読みたいから読む題材を選ぶのに、「読んでみないとわからないので選べない」という鶏卵問題に陥る。

前提として私は、多かれ少なかれ似た内容の本を何冊も取っ替え引っ替え読むより、一冊を精読することが、学生のうちは望ましい(ただし、研究する作法が身につくと、拾い読みするのが普通になる)と考える。つまり、一冊を選び抜くことにまずは注力すべきである。その際、初学者だけの見識で本を選ぶのはやめた方が良いこともある。指導教官や先輩の情報を活用して、読む本を決める方が無難である。もちろん、学生だけで決定することも良い経験にはなるので、あくまで無難である、と述べるにとどめる。何より、定評のある本はインターネットにもそれなりに情報があるが、信頼できるプロに聞くのがベストである。Amazonのレビューを頼るなど、もっての外である。

問題をさらにややこしくするのが、「独習に向いた本」と「輪読に向いた本」という二型の存在である。極論、たとえばマセマなどのかんたんで(はっきり言って単位をとることを目的としているだけの)薄い本は、わざわざ複数で輪読する価値がないであろう。一方、難しくて専門知識満載で行間がたっぷりで分厚い本を初心者が一人で読むのはやめたほうがよいだろう。これらは、本人が実際に手にとってみないとわからない。つまり、「"良い"本」という端的な形容は客観的に定義ができない。目的による。人による。知識レベルによる。それだけだ。

こうした理由もあって、一般に、(「おすすめできない本」はまあ、存在するのだが)「おすすめの本」に客観的指標は、一切無い。読み手、薦めた人の背景、社会的立場(学生?PI?)、といったあらゆる要素で、「おすすめの本」は不確定である。「Bさんを知るAさんがBさんにおすすめしたい本」は存在するかも知れない。web上で「おすすめの本」を検索しても、それは眉唾だらけで、時として営利性しかないことも多い。*1

まずは、目的をはっきりさせ、本屋に足を運ぶ。手にとる。読む。買うかどうかを決める。自分の立ち位置(理解度)を省みる。横着しない。そもそも、本は「とりあえず買って積ん読か〜」でも良いのだから。

なお、英語で書かれた本(洋書)の場合、研究者が内容を書評にまとめ、「論文」として出版していることも多い。書き手の主観は強く反映されているし、正式に出版された書評である以上、どうしても礼儀第一であり、率直な批判的感想のみを見込むことは難しいが、興味ある本の書評はまず読んでみても良いかも知れない。

ちなみに数理生態学に関して言えば、古典的名著やバイブルとでも呼ばれる本はそんなに多くない。というのも、多くの本はトピックやシステム(たとえば島の生物地理学)をベースに、現れる数式(たとえばマッカーサー・ウィルソン)を説明する、というスタイルであるためだ。ゆえに、トピック専門の本を読む機会が多いはずだ。数理解析を学びたいのか、それとも、系への理解を数式を通じて深めたいのか。このあたりは、教科書を読む目的そのものと照らし合わせながら決めると良いだろう。

 3.2 教科書を読むには

教科書を読むのは難しい。その背景には、新しい言葉遣いや概念の定義、あるいは独特の表現があることと、そして特に、行間の蘊蓄が不確定要素として紛れ込むことがある。行間全てを読み解くには、

  • 好意的分析(著者の意図を汲んだうえで記述内容を分析する)
  • 批判的分析(著者が間違っていることを分析して、正しい記述に直す)

を使い分ける必要があるため、非常に困難であり、ある程度の訓練が必要である。疑いすぎると本を読むモチベーションの減衰につながり、逆に信じ込むと新しい何かには繋がりにくい。一貫してやはり、誤魔化しなしで読むことを目指すと良い。

ノートを作ってまとめる、というのは学習過程としてとても有効だ。単純に、増えていく記述は過去の自分にとっても嬉しいものだ。しかしノートをとる量は程度問題である。読んで理解するよりも読んで書くことが唯一の目的となると、それは教科書を写しているのと変わらない。一方で、数学を含む学問には、「写経」により鍛えられるという節がある。個人的には、本当の意味での写経を考慮し、例えば「目をつぶって唱えられるほどに頭に染みつかせることを目的としつつ、染み込ませるべき内容についてはノートをとる」といった塩梅でバランスを取ると良い。

なお、新しい概念に出会うことは頻繁にあるだろう。ノートの最後のページを単語帳にしたりすると、いちいち以前のページを探すことなく、意味を思い出すことができる。付箋を用いたり、あるいは全て電子化して、OCR検索が可能なようにしておくのも良いだろう。

私は、大学三回生の春から卒業までの間、ノートをナンバリングしていた。大学院に入ってからやめてしまったが、50冊近くはいったと思う。さて、今、その内容をどれだけ覚えている、あるいは身につけていることだろうか。たぶん数冊程度だろう。でも、まあ(自分の脳みそは)そんなものだ。

▶4. 研究を行なうにあたって

 4.0 数学の学び方?

私が言うのもおこがましいかも知れない。だが、数学や関連分野には、

  • 「定義」/ 「公理」
  • 「定理」/「命題」/「系」
  • 補題
  • 「例」

といった、様々な主張概念が登場する。これらのニュアンスであったり意義は知っておくと良い。

定義(Definition)は、なにか概念を決め、文脈をはっきりさせる。基本的に、矛盾がないのであれば何も定義して良い、というある程度の自由さがある。たとえば、非常に大げさであるが

1+1=2である。この式を、自然数の基本性質と定義する。

といった定義づけも可能である。別の本を読めば別の定義や名前になっていたりする。「本書/ここでは、…と定義する」という脳内補足をしてもよいだろう。ただし、学術界に広く浸透した概念(“常識的”概念)に対しては、いちいち定義を与えないことも多い。そもそも定義は文脈依存的である。したがって、ある程度の記憶が必要となる。ちまたで耳にする、「数学はすべてが整合的」という言論は、まあ概ね正しいと思うのだが、「整合的になるように人々が設計した」と考えておいたほうが良い。つまり、ややこしい定義を見たら、「こう定義しておくと、都合がよい、あるいは整合的なのだな」という信頼があったほうが学習効率は良いだろう。定理や命題にたどりつくことなく定義でつまる、というのはもったいない気がする。もちろん、著者や既存理論が根本的に間違っている可能性も否めないが、もしそれを発見している場合は、もはやその教科書を読んで理解する必要が薄れているとも言えるだろう。

公理(Axiom)は、概念を限定的に定義づけると約束するためのものである。定義よりも自由度が低く、公理は文脈ごとに決めるというより文脈ごとに採用するものである。「〜が成立するものと約束する」というニュアンスである。約束は効力を発揮し続けるし、約束を勝手に変更することはできない。そういう意味での限定性である。生物学で現れる公理は常識的なものに限られており、マニアックな公理は現れない。有名な公理には選択公理がある。

定理(Theorem)とは、定義から論理的に導かれはするが証明するのが自明とは言えない(と考えられる時代が少なくともあった)ような主張のことである。 たとえば、フェルマーの最終定理、ペロン・フロベニウスの定理、ラウス・フルヴィッツの定理ポアンカレ・ベンディクソンの定理、などがある。

命題(Proposition)は、定理と呼ぶほどでもないが、証明しておきたい主張である。

(Corolary)は、命題や定理の主張における仮定をキツめにしたり、特殊な場合を考えたりしたときに、直ちに導かれる結論のことである。たとえば、ラウス・フルヴィッツの条件は、\(n\)次元ヤコビ行列のすべての固有値の実部が負であるための必要十分条件を定めるが、\(n=2\)の場合などを考えると(それは高校生のころに学んだ、2次方程式の解の配置問題であって)「系」である。

補題(Lemma)は、ある命題や定理を証明する途中で紹介・証明・応用される主張である。

は、定理や命題や定義において、特殊なケースを考えるというものである。実は、この「例」には、システムのエッセンスがぎっしり詰まっていることもある(極端に単純化されていて、考えるまでもなく当たり前であるような例は、「自明な例」と呼ばれる)。いくつか鍛錬を積んでみるとおわかりになるかと思うが、自明でない例を構成して、それについて理解し尽くすことは、たいへん難しい作業である。「非自明だが簡単な例」はいわば「良い例」であり、数学者の口からもよく出てくる言葉である。例を通じて概念を理解するということは非常によくある。だが、その例に囚われすぎることなく、より一般的な定義や定理の仮定を知っておくことは非常に重要である。あわよくば、良い例良い反例(非自明で簡単な、今回の場合には定義や仮定に当てはまらないような例)の両者を構成することを目指すと良いだろう。

 4.1 数理解析

研究を実際に行なうにあたって、数理解析は最も本質的な作業である。勉学では、他社の設定した問題に、解答があることを前提として取り組んできたが、研究での数理解析は、解答の存在が自明化されていない。答えがないかも知れないのに、取り組まねばならない。言い換えると、数理モデルを用いた理論研究では、自分が出題者かつ回答者かつ答えの存在を知らない者というのが基本構図である。

とはいえ、行える基礎的解析キットとでも呼ぶべき、最低限の基礎はある。私はこれを、「まずは最初にやる解析」、として「初手解析」と呼ぶことがある。数理生態学の場合は、モデルを作ったらまずは、

  • 無人化によってパラメータ数を減らして
  • 平衡点を求めて
  • 平衡点まわりで線型化して
  • 固有値を求めて安定性を調べて
  • 相図を描く

のが初手解析である。線型安定性解析と呼ばれるものだ。まずはこれが脊髄反射でできるようになることを目指すと良い。もちろん、高次元になると、多項式の根の位置を調べるためにはラウス・フルヴィッツなどの、複雑な条件式を調べる必要がある。こうした解析技術は多いに越したことはない。

とはいえ、まだまだできることがある。線型安定性解析をするだけなら、計算機でオートマ化できなくはない。つまり、初手解析は機械的操作である。真にイノベーティブな研究者を目指す上では、さらに行える解析手段があると良い。

たとえば、数理生態学では、多種が共存するかどうかを調べるときに当然ながら固有値を利用するわけだが、ロバートメイは、ランダムな行列には固有値の漸近的分布理論(ウィグナーの理論)が存在することを利用し、「安定性の分布」を調べた。これは、線型安定性解析から一歩踏み出した、イノベーティブな研究である。

初手解析は、必要であって充分ではない。あくまでスタンダードである。それがスラスラとできるようになったら、そのことを誇りに思い、自己を称え、喜びを噛み締めつつ、自分の個性や核をなすとも言うべき、「次手解析」について、思慮を巡らせると良い。どんな数学も、次手解析には有用である。

 4.2 数値計算・プログラミング

論文を書くには計算機技術は必須である。なぜならば、すべての図が計算機によって作成されるからである。計算機を扱うには慣れが必要なのは自明であるから、一刻も早く慣れ親しんでおくと良い

どの言語を選ぶか、については決定的指針が無い。私の時代では、C言語が主流であったが、最近はPythonやJuliaといった言語を使う学生も多いと聞く。どの言語にも、得意なことと不得意なことがある。これも、詳しい方に聞くと良いだろうし、あるいは信頼に足るプラグラミング言語資料はweb上にも少なからずある(特に公式のものは素晴らしい)。まずはHello worldから少し四則演算や行列演算などを試してみると良いのかも知れない。

ちなみに私はMathematicaでしか数値計算をしない。はっきり言って、これはちょっと公言が恥ずかしい。そもそもMathematicaはまじめに計算しようとしすぎるために計算速度が遅い、と世間では言われる。しかし、パフォーマンス・チューニングは、どんな言語でも可能である。もちろんそのためには専門知識が必要ではある。計算速度の速い言語を選ぶか、計算速度をプログラミング技術で補うか、という意思決定次第だろう。何より、一つの言語を学ぶと、派生的に色々な言語を学びやすくなる。まずは学んでみること、そして手を動かすことだ。たとえば論文の図を部分的に再現することを目指す、といったことは、良いモチベーションになるだろう。他人の整頓されたコードをもらって、いじりながら動かして挙動を学ぶこともアリだろう。

たとえば、ロトカボルテラの競争モデルには、大雑把に言って四つの挙動があり得るが、アイソクラインを用いたそれらの分類の図を作ることを目指す、などは初学者には良い演習問題である。あるいは、ヒステリシス効果があるような力学系は常識の範疇で構成することが可能なので、その分岐図を描いてみることも良いだろう。

ちなみに、意外に思われるかもしれないが、数学的素養と、プログラミングの素養とは、無関係ではない。数値計算のあらゆるアルゴリズムには数学的背景があるので、数学を学ぶとプログラミングのコツが掴みやすくなる。高速フーリエ変換などは、数学として非常に豊かな理論が数値計算的にも非常に有効である好例だ。もちろん、数学を学ぶだけでは不充分なのではあるが、それでも、数学はいつでもどこでも役に立つのである。

▶︎5. 研究

 5.1 研究-勉強バランス

これは永遠の課題である。私は今でも、勉強に時間を割きすぎる節がある。この点に関しては、私は二枚舌である。

  • じっくりと学びじっくりと研究することは非常に重要である。最低限、確保すべきである。
  • 効率よく学び効率よく研究を進めることも非常に重要である。必要に応じて学ぶべきである。

インプットとアウトプットのバランスを保つことを常に意識すると良い。すでに行なった計算を整理することや、それをプレプリントに上げるなどの工夫があると良いとの意見もある*2。私はこの点に関して、決定的に有益なアドバイスを与えられる立場や状況にはないと思う。だが、どんな勉強も(研究にとって直ちに有益かはともかく)人生を豊かにすることは間違いないだろう。

▶︎6. 「力」に惑わされれないように

世の中、「女子力」「料理力」「研究力」といった「力」ワードがありふれている。しかし、これらすべては、曖昧で明確な定義がなくて、「〜力が足りない」といったアンパンマン的な発想を招くだけで、問題解決には決してならない。断言するが、絶対に、「〜力が不足している」は、無意味な課題である。

幸い、研究においては、かなり多くの問題点が、明確化可能である。詳細は

lambtani.hatenablog.jp

をご覧になってほしい。博士課程というのは、問題を明確にして分析することが目的なのであるから、自身の問題を分析することも目指してほしい。

*1:そもそも、異ンターネット上には、全く信頼に足らない情報(のほう)が多いことを、前提として知っておくべきである。

*2:Yuji TachikawaさんのHPに至言がある

社会で自律した研究者

研究が研究者の仕事であるということは間違いない。

しかし、研究者というのは、壮大な科学分野の中の一個の人間であり、コミュニティの中の一つの点である。つまり社会との交わりなくして、あるいは他の研究者の存在なくして、成立しない、常に相対化された存在なのである。

常に人と関わるということ。それはつまり、常に人に影響を与える存在であるということだ。

その意味で、研究者というのは責任重大である。講義したり勉強を教えるのはもちろん、研究指導、セミナー運営、有機的な組織運営…コミュニティ成立にともなう、ありとあらゆる責任があると言ってよい。

多様な研究者がいることは良いことだ。いろんなスタンスがあって良いだろう。しかし、社会との接点に対して無自覚であることは、研究者としての責務の放棄である。常に自分より若いステージの研究者に、研究者は見られている。心は見えないので、行動を見られている。どのような研究者になりたいか?心は真似できないが、行動は真似できる。研究者の行動は、次世代のコミュニティのあり方を大きく左右する。

これはどんな会社でも多かれ少なかれそうかも知れない。しかし、研究者の「ニッチ構築」効果は、会社と比べても顕著だ。会社は、内部改革を経て変わることや、社会情勢の結果で一新されることがある。畳まれるのは一つの形だ。一方アカデミアは、新しいことをするために前人の轍を歩むという性質上、引き継がれ続けるものが多い。これは、研究の内容に限った話ではなく、職業研究者のあり方そのものにもあてはまる。

学生の模範になる、なんて必要はない。だが、自分の態度、精神、研究、行動、あらゆるものが、見られている。プロの研究者であるということは、それら総体をどう律してしているか、ということに懸かっている。

あらゆる研究室において、心理的安全性が重要なのは間違いない。だが、プロとしての規律のない態度では、ヌルい研究室になるだけだ。自立的で自律した研究者。私は、それを目指したい。

なぜ関係なさそうな数学を学ぶと良いか

私は数学が大好きなので、数学を勉強する習慣がありました。免許合宿では待ち時間に『解析演習』で解析演習問題に取り組み、友人との海外旅行には『多様体の基礎』、遊びに行くにもアルバイトに行くにも、先々に数学書を懐に忍ばせていました。

ただ、数学は得意とは決して言えませんでした。それでも数学が素晴らしいのは、難しさの勾配が非常に緩やかで、論理さえ追えれば(大学数学レベルであれば)必ず再現可能で、そして自分の頭に一旦 自然なものとして身につけば忘れてもすぐ思い出せるということがあります(それだけではありません)。

そんな私は、今は数学を用いて生物現象を表現・解析・予測運用するという研究をしています。学生のころは手法も限られていたし、そこまで複雑な数学を用いることはないだろう、と思っていたのですが、いざ研究を始めてみると、やはりというべきか、複雑で難解な数学的問題に直面することが、ままあります。「こんな数式、無理やろ」といった絶望感に打ちひしがれ、数値計算のみで済ませるということもありえます。*1 すると、数値計算の技術をひたすら磨くという方向にエフォートを割かざるを得ません。そして一方で大学で学んだ抽象的な数学概念を直接的に運用する機会は少ないと感じます。すると、頭に定着していた定義・概念・定理も、忘れられていきます。

それでも私が比較的、誰でも再現可能なレベルで解析的な立場から研究を続けられているのには、深層記憶への定着…というとカッコつけすぎですが、いわば「あ、これ、昔○○でやったやつだ!」という進研ゼミ・スタイルの活用があります。私は、大学の図書館で難解な数学書を開いて眺める(読むとは限らない)のが趣味だったのですが、そのときにちらっと眺めた数式が、姿も形も文脈も全く変えて、自分の研究対象として目の前に舞い降りることがあるのです。その数式は、10年前に眺めたものかもしれません。あるいは耳学問かもしれません。それでも、不思議なことに記憶には残っていて、ハッと気づいてきっかけを得て、webや教科書で検索して純粋数学的背景を調べることに至るのです。数学というのは、一旦概念が定義されると、そこに(自然に)付随する性質を調べることが可能な学問なので、そうした性質を利用すると、形式的な計算が可能になったり、その声質なしには無理だった計算を進められたり、あるいは結果的に数値計算の効率も向上したりするのです。

たとえば、いろいろな無限和を計算する文脈が、確率論ではあるのですが、だいたいの(!?)無限級数和(正確には、母関数)は、Fisherの超幾何級数で表現することが可能です。あるいは、指数関数が関与するような式の逆変換(\( y=f(x) \) と書かれていた式を、\( x = ...\)として書くということ)も、Lambertの\(W\)関数として書くことが可能であることも多いです。さらには、なにかの値が非常に小さいという条件で所与の積分を実行するときには、シュワルツ超関数理論(超関数微分や、付随する部分積分などの諸定理)が現れることもあります。

数学というのは、裏で何もかもが有機的に繋がっています。そして一見異なるように見える計算も、圏論という立場からは本質的には同一(そして唯一)、ということも多くあります。

大学生の間は膨大な時間があるので、そのときにはわからない、どう「役立つ」かわからない、といった数学を学ぶと良いと思います。どんな数学も、直接的に、あるいは間接的に*2、役に立ちます。あわよくば楽しみながら、なんでも勉強して挫折してまた勉強して、繰り返すと良いと私は思います。数学を学ぶというのは一生続けられる趣味ですから、たとえ役に立たなくても、人生を豊かにすると思います。

*1:しかし数値計算の方法は、コード等を一行一句で明文化しないと、結果が再現できないこともあります。

*2:私は、新たに必要な数学を学ぶ必要があるとき、抵抗が一切ありません。それは、大学生のときに、わからないなりに何でも勉強する習慣が身についていたことが大きいと思います。つまり、数学を勉強するという習慣そのものが、間接的に役に立っています。

共同研究の始まり

このツイートには大変同意するところがありました。思うと共同研究の開始はいろいろな形があるのですが、一緒に仕事をしたいと思わない相手とは仕事ができません。もし「あくまで仕事だから」という形で共同研究を始めたとして、どちらかがどちらかを搾取(含 便乗)するという形になってしまいかねません(必ずしもそうなるとは言っていません)。せっかく研究(⊆仕事)をするなら、一緒に働きたい方としたいものですよね。アカデミアは能力主義ではないので。

私は論文数は多くありませんが、過去にどういう形で共同研究を始めたか、書いてみたいと思います。順不同ですが、どのステージで誰に対して共同研究を依頼したかも記録しておきます。指導教員や雇用主は含めません*1。 私は現在研究員(任期付)ですが、その前はポスドク、更にその前は学生でした。

■ 主著論文

メールして学会で議論した(学生→PI)

よくあるパターンだと思いますが、発表を聞いたり論文を読んだりしてから、研究者に話しかけたパターンです。 私はそのとき学生でしたが、そのPIの方はなんと丁寧にも、私の指導教員に、私との共同研究許可のメールを送ってくださいました。 そもそも指導教員とは雇用関係もないとはいえ、指導教員には私を指導する責任があるわけで、そうした了承というか同意があるのは、お互いに安心だと思います。

文献調査および該当箇所の記述を依頼した(ポスドク→学生)

私は理論解析・執筆を担当していましたが、実証研究文献調査について、学生に手伝ってもらったことがあります。共同研究は「手伝う」程度では成立しないので、文献の内容を一緒に議論したり、図をどう見せるかといったことでアイデアをもらったので、最終的に共著論文という形で執筆しました。

外国から日本に呼んで知り合いになり訪ねた(学生→PI)

昔から憧れていた研究者を呼ぶ機会があったので日本に呼んでしまい、その一年後に、その方を尋ねて渡航しました。指導教員のコネが特にあったわけではありませんが、そのときに、呼ぶだけの機会があった点で私はラッキーでした。

研究内容かぶってそうだったので、メールして「一緒にやろ?」ってお願いした(独立研究員→学生+PI)

ふえぇ…いままで頑張ってきたのに…ふえぇ… ってなって寝込んでしまったので、思い切ってメールして一緒に研究しました。

特定のデータを説明するための仮説を理論で定式化してほしいと頼まれた(ポスドク←研究員)

以前から知り合いだった方だったので、広い意味では冒頭のパターンに該当するのだと思います。 しかし、私はポスドクという立場だったのに、こうした依頼を受けてしまっていて、それを許してくれた当時のボスに感謝です。 最終的に、私が定式化・解析・執筆した論文は私を主著として執筆しましたが、共著論文や、同等貢献論文も書きました。

いずれのパターンでも、私は、「一緒に研究したい、と思える人を選んでいる」と言えます。繰り返しますが、アカデミアではみんな高い能力はあるのだから…

■ 共著論文(全部ではない)

SNSを見て、おもろそうな私に特定の計算をしてほしいと頼まれた(研究員←研究員)

SNSでも始まる共同研究!SNSで愚痴垂れてばっかりでなくてよかった。。まあ、コロナ禍だからこそかも。

勉強会を立ち上げて、アイデアを共有した(研究員→研究員)

内部で勉強会を立ち上げて、アイデアを交換したり共有する会を定期的に開き、でてきたアイデアから論文を書きました。 私はあくまで共著者ですが、主著者の方が、アイデアをうまくまとめ、エレガントな論文を書いてくださいました。

SNSを通じてやりとりして、「一緒にやるか!」で始まった(研究員とPI)

コロナ禍にあって、たくさんのウェビナーシリーズができましたが、そのほとんどが、ヨーロッパ時間ベースか、アメリカ時間ベース。仕方ないとはいえ、「太平洋ゾーンは科学をやってないと思われているのか…?diversity/inclusionとは…?」という思いが少しあった中、日本の学会で知り合ったニュージーランドの研究者とやりとりを開始。定期的ミーティングをセットし、共著論文(投稿済)・主著論文(投稿しそう)・グラント(二回蹴られたけど)を書きました。

共著論文を一緒に書いていた方のなかには、私のこれまで関わってくださった方のなかには、能力だけを買ってくれた人もいるかもしれません。でも、そういうスタートを切った共同研究は、私はなかなか続きません。

みなさんはどうやって共同研究を始められましたか?

*1:そもそも指導教員とは一報しか一緒に書いていないのです

僕は論文が書けない

この記事は、数理生物学会ニュースレター(2021年10月)に掲載された内容を、いくつかのタイポを修正した上で、掲載したものです。

■序言

光栄なことに、日本数理生物学会から、「研究奨励賞」を授かった。その奨励賞に寄せる本稿は、研究内容を整理したり将来の展望を説く、良い機会と思える。しかしそれはしない。かわりに、賞に無縁で自信喪失的で論文をテンポよく出版できぬ、真面目だがいかに無精者だったかを、意味ある形で、おもに私より若いステージの方へ向けて、述べたい。本稿が少しでも励みになると嬉しい。

以下、私は「真面目系」という言葉を頻用するが、それはあくまで私自身のみを指す批判的な表現とする。また、以下には少しだけの見栄・自慢も含まれる。だが私が大学院生の間に自慢できることはほとんどない。

■真面目系無精者の誕生と、自立した研究者への推移

転機1:研究より勉強

私の研究活動はM1/2011年4月、九州大学大学院(当時)・巖佐庸教授の研究室への進学時に始まった。 私はまず移動分散の進化に興味を持った。特に移動分散が血縁者間競争を軽減するという、Hamilton and May[1977]の観点が面白かった。しかし解析法は複雑で、勉強が必要だった。かくも学習意欲はくすぐられ「研究より勉強!」という真面目系への一歩を踏み出した。

そこで手にとったのは、

  • D S Falconer『量的遺伝学入門』(田中嘉成・訳)
  • 粕谷英一『行動生態学入門』
  • 安田徳一『初歩からの集団遺伝学』

であった。また当時、巖佐研には森下喜弘さん、野下浩司さん、廣中謙一さんら、勉強熱心な方々がおられ、多様体論・情報幾何学微分幾何学機械学習統計力学等さまざまな勉強会を実施した。更に、もともと英語が好きなのもあり、使えそうな英語表現をノートに箇条書きにしていた。とにかくインプットを楽しんでいた。

M1の秋に、数理生物学会(於明治大学)で口頭発表した。Hamilton and May[1977]の移動分散を、条件付けられた2形質(表現型可塑性)に拡張したものである。結果は、端的に言えば二次元の形質の進化動態が中立安定。以上。生物学的に同じ機能を持つ形質群をひとつ追加しただけでは、自然選択がこれら形質の違いを「見分ける」ことができないことによる、中立性である。つまり新しい発見はない (M1の学生の成果をここまで辛辣に書くのは、あくまでも自分のことだから、である)。

この自明な結果をどうふくらませるか。そのアイデアがなかった。Hamilton and May[1977]の拡張論文の多くでは集団遺伝学・合祖理論に基づいた非常に技巧的な計算が行われていた。理解には勉強が必要だった。研究アイデア不足(目的)の問題を、勉強不足(手段)のみの問題とすり替えてしまった。真面目に勉強するが論文を出版しない“無精者”の誕生だった。*1

あたたかい環境にいたことは、私の場合、幸であり悲劇でもあった。インプットだけは豊富なので、他者の研究を批判・指摘・分析・提案することは、さもいっちょ前にできてしまった。更にはこうした「曲芸」を学会でも披露したりことで、「デキる学生」という過大評価が、直接的にも間接的にも耳に届いた。こうして私は、自分の方向性は正しいという勘違いをした。おだてられた真面目系。愚直に勉強に傾倒するも、結果の出ぬ日々が続き、研究室への足は重くなり、夜型生活へ移行して生活リズムは乱れ、飲酒量は増え、果には悩んで一日中寝ている日もあった。

こうした、自律神経の問題はおそらく、潜在的には多くの研究者が経験したことのあるものだと思う。私の場合、サッカーする友人、雑談する友人、旅行する友人といった、気晴らし仲間に本当に恵まれていた。私は医者ではないので、医療に関する助言はできないのだが、カウンセルを受けるという選択肢のハードルがさがると良いと感じる。

転機2:海外経験からの自我の芽生え

D1/2013年夏前その頃だったと思う。巖佐先生に、「論文を書き、外国へ行き、学位をとる。この限りは、 何をしても構いません」と言われた。当時の私はただ「そんなん、研究者として当たり前やんか」と思った。「わかりました、そうします」と答えたと思う。

巖佐先生から、私が学生として受けた主たる助言はこれに尽きる。博士課程に入ってから、巖佐先生に研究内容の相談をしなかった。おそらく数回は議論を試みたが、「難しい問題に取り組んでるなぁ!(ケラケラ)」という反応を受けるばかりだった。巌佐先生とは、お茶部屋で雑談をしたり、他の人のセミナーの場で雑談したりすることはあったので、もちろん巖佐先生は私への指導をおざなりにされていたわけでは無い。しらんけど。

さて、どの甲斐あってか、着想を得て、論文の執筆を開始できたのはM2の秋だった。巖佐先生は幸い、1週間以内にチェックできた所までチェックしたうえで、原稿を返送してくださった。結局、論文の投げあいは数回で済んだ。英語が好きなのは、執筆にも多少なりとも活かされ、初めての原稿にしては、英語だけはそれなりのものを書けたようには思う。別誌でのリジェクトを2回ほど経て、Theoretical Population Biologyに投稿したのは、D1の夏前だった。

同年の夏には、イギリスのヨークとロンドン、二つの学会をハシゴする20日間ほどの旅をした。自分の獲得した資金で自分ひとりで国外に渡航するのは初めてだったし、特に前者の学会は、日本人は私一人だった。しかし、Axel Rossberg博士や、Zena Hadjivasiliou博士(当時学生)といった、日本でできた知己に助けられ、当時の拙い英語でも孤立せずに親交の輪を広げられた。家族・指導教員から物理的・経済的に離れた、生の実感すら憶えた。私は日本からの研究者が多く参加するような国際学会を避ける「楽しさ」を知った。「せっかくの国際学会やし、英語で生きたい!」と思った。

だが、そんな国際的な場でできた友達に、自分の研究内容を気に入ってもらえたわけではない、という実感は、残酷なまでに味わった。論文出版経験のないRyosuke Iritaniなる学生の複雑な名前は覚えてもらえず、“I'm a PhD student with Yoh Iwasa”一言で文脈が形成されるその恩恵にあやかっていた。それを人脈の恩恵として活用できるか、あるいは屈辱を憶えるか。個人差があるだろう。私は、完全に、後者だった。

今の私なら分かるが、巖佐先生の「論文・外国・学位」の真意は、「自立せよ」だったのだ...と思う。巖佐先生は、早い段階から、論文出版のない私を研究者として認め、自立を促してくださったのだろう。論文は、指導教員の名前を言わなくても通じる実績・ネームである。外国は、指導教員から物理的に離れた研究舞台である。学位は、指導教員から巣立つ資格である。これらは研究者としての自立の構成要素だ。

私自身、件の屈辱から、“Yoh Iwasa's (student)”でいたくなかった。便利な名刺だったが、それは“私”ではない。かといってその名刺なくして、当時の私には誰も興味を持たない。自己を確立、つまり自立して、巖佐先生のもとからいち早く離れたかった。論文を自分で書き、自分の意志で生きる場所を決め、次のステップにつなげたかった。真面目系は欲張りなのだ。

同年10月にアクセプトされた初めての論文Iritani and Iwasa[2014]は、不完全な解析、図の拙さには大いなる余地がある。好意的な査読者と巖佐先生の助けがなければ、そもそも出版すら叶わなかっただろう。査読者からの

“I fully support the publication of the ms”

は、私が学生であることを考慮してのものだったと思う。*2これは、巖佐先生の力を借りた最初(...で最後...?)の論文である。なお、出版社のウェブサイトで、自身の論文が見れるようになった時の感動は今でも忘れられないが、出版社上で、Ryosuke & Yoh (accepted)というやけにフレンドリーな表示を目にし、血の気が引いていく思いは、それ以上に忘れられない。そう、私は姓と名を間違えてProofを提出していた。良い子の皆は気をつけよう。

同年10月。フランス・モンペリエ渡航し、6週間を過ごすことになった。モンペリエは、もちろん自分で決めた場所である(詳しい経緯は、JSMBのNL2017年9月第83号を読まれたい)。巖佐先生からは、「モンペリエは昔ぼくも行ったんや。野生のウマがいるんやで」と聞いていた。「え!マジスカ!!」と心躍らせつつ、旅に出た。

だが当時は乗り継ぎのある飛行機旅程の予約法すらも知らず、乗り継ぎのある複数の国際便を別々に予約してしまった。するとパリ・シャルル・ド・ゴール空港での乗り継ぎの間に荷物を拾う必要が生じ、そのせいで乗り継ぐべき飛行機に乗り遅れた。もはや、急いで走って滑り込もうなる気力すら沸かない。打った瞬間にホームランを確信したバッターの気分はこれか、よし、気分転換に晩飯だ!と、空港のレストランに入り、ステーキを注文すると、出てきたのはステーキ・タルタル。これはユッケ、いわば生肉ステーキである。状況は完全にMr. Bean(Restaurant episode参照)である。衝撃的で全く味がしなかった。

そんなホームランの結果、一便ズラして乗継便に搭乗し、モンペリエ市街の駅で、深夜を迎えた。そのせいで、宿泊先のAirBnBのホストがすでに就寝しており、締め出されてしまった。人生初の野宿ははじめて降り立つ地、モンペリエ駅。輝かしい野宿デビューである。しかもモンペリエを常夏の楽園と勘違いし、半袖しか持ってきていなかった。夜間の冷え込みはひどい。首にタオルを巻いてがたがた震えながら、盗まれまいとキャリーケースを抱いて駅で寝た。巖佐先生を頼っていれば、こんなことはなかっただろう。自立の一歩としては散々だった。ちなみに本稿掲載までに、本件を巌佐先生に報告したことはない。野生のウマ?見つけたらチタタプしてユッケにして食べたわ!

悪夢の一晩は無事に明け、心機一転、初めての国外生活を迎えた。よく言う「フランスでは英語は使わない」なる冗談は、そういう印象を抱く方が多くても仕方ない、という程度には当たっていた。街中やルームメイトはもちろん、研究所(CEFE)でも公用語はフランス語だ。英語で接してくれる方にも、拙い英語でしか返せない自分自身が悔しかった。しかし、人々と主体的に繋がっていく実感をおぼえた。滞在中には招待をうけ3つの研究グループで発表をさせてもらったし、分野が遠い人と知り合っていくのは楽しかった。とにかく、自由だった。また、英語を話さないスーパーやレストランの店員や、ときにはまわりの客までもが、一生懸命に英語を使って私と意思疎通しようとしてくれる優しさには、感涙をワインとともに飲み、バゲットやチーズを口に運んだ。結果、フランスに馴染む努力の一環、そしてフランス語圏を将来の居住地の可能性として高めるべく、フランス語と英語を学ぼうと決めた。美食に魅了された節は否めない。

D1/2013年の11月末。国外で刺激をたっぷり浴びた身のままに帰国した。そこから執筆開始し、12月に投稿した論文 Iritani [2015]は、修士二年の冬休みに学んだ凸解析(Kuhn-Tuckerの定理)を用いて、Iritani and Iwasa[2014]を拡張したもので、巖佐先生には解析内容も原稿も見せていない、単著論文である(解析には、実は、非常に大いなる余地がある...)。当時の私は「どんな些細な結果も論文にする」と息巻いていて、真面目系がちょっと研究者らしくなったのだろう。

しかし、同論文は投稿から査読にまわるまで(査読が完了するまで、ではない)10ヶ月かかり、更にはハンドリングエディタ(HE)が途中で降りてしまうという事件に見舞われた。これを主エディター(CE)であるSergei Petrovskii博士に申し出ると、丁寧にハンドリングしてくださって、査読・改訂後、すんなりアクセプトされた。*3査読にまわってからは一ヶ月半程度だったと思う。それまでの10ヶ月の損失は、博士課程の学生にはあまりにも大きい痛手であった。掲載は、投稿からは実に一年以上が経過したD2の12月だった。巖佐先生にメールで出版報告したところ、「おめでとう。これからもがんばってください」というシンプルな言葉を頂いた。自立に一歩近づいた気がした。

時は前後、D1/2014年1月に、モンペリエに再渡航した。研究の発展には相変わらず苦労した。たくさんの協働研究に取り組むぞ!と息巻いていたが、多くは空振りに終わった。Pierre-Olivier Cheptou博士からのサポートで執筆した論文Iritani & Cheptou[2017]は、植物の種子散布と繁殖様式(自殖率)の適応動態モデルを解析した成果である。投稿までには時間はかかったが、なんとか憧れだったジャーナル、Evolution誌にまず投稿した。結果は再投稿可のエディターリジェクト。コメントに沿って改訂して再投稿したが、別のエディターにハンドルされてエディターリジェクト。これで3ヶ月ロスト。

次にAmerican Naturalist(AmNat)誌に投稿した。しかし「似た原稿が投稿されており、査読に回すかの判断を保留する」という、今思うと投稿を取りやめるに値する理由で、査読にまわるまで3ヶ月かかった。 査読にまわってから2ヶ月後、つまり投稿から5ヶ月後、二人の査読者からの非常に好意的なレポートを受けとった。

査読者1: “This is an ambitious model, and I commend the authors for tackling such a challenging question”(意訳:野心的なモデルであり、こんなに挑戦的な問題に取り組んだ著者たちを讃える) 査読者2: “In conclusion, I like this theoretical excursion a lot”(意訳:結論、私はこの理論遊覧をとても気に入った).

..なんとも恐れ多い!こんなに褒められたことないわ!

だがHEは非常に不満だったらしく、

“I was not as enthusiastic about the manuscript as the reviewers”(意訳:私は査読者たちほどには感心していない)..

…そしてHE自身から50はあろうかという、客観的にも過度に辛辣なコメントが添えられていた。判定は「再投稿可リジェクト」。イケそうだ。D3の冬、学位公聴会の直前のことであったと思う。数ヶ月後、学位公聴会も終え、コメント通りに改訂し英文校閲にも出し、同誌に再投稿した。あとはエディターと意思疎通とりながら原稿を改訂していけばよいという自信があった。しかし、原稿はなぜか別のエディターにまわされ、査読にまわることなく、エディターリジェクトされた。

エディターリジェクトの理由は、「数学的な解析XXが複雑で多すぎる」第一回目の投稿時にHEから「数理解析XXがされていない」と言われたから追加したのに、である。要求に答えた結果としてそれが原因でリジェクトされたことで、ジャーナルへの信頼そのものが地に落ちた。初めて投稿してから10ヶ月目。ポスドク一年生になった春のことであった。このときの私は、出版した論文が2報だった。*4

博士課程で一番胸を張れるのが、理論の勉強と語学(英語・フランス語)の上達だった。そんな博士だった。かたや、学年こそ一つ下の山口諒さんが、巖佐先生と頻繁に議論しながらテンポよく論文を出版されていた。自分が、心の底から不甲斐なかった*5。学位を取ってから、巖佐先生にメールで「もっと論文を書かないといけません」という叱咤を頂戴した。当然だった。

一つ余談かつ問題提起をしたい。先程の、ジャーナルでの原稿の取り扱いについてである。私は、(1)「リジェクト〜。はい、別誌に投稿よろしくどうぞね」とは言わずに、「再投稿したら検討するかも」と再投稿インセンティブを与え、(2)出版時に公開される「初投稿」の日付を後ろ倒しにする*6ことであたかもジャーナルでの原稿のハンドリングが迅速かのように見せかける、という二重の搾取システムに、まったく賛同しない。再投稿へのインセンティブは、ポジティブに捉えればチャンスだが、私の例のように、別のエディター、別の査読者に原稿を回される*7というのでは、別のジャーナルに投稿するのとほとんど変わらない。「科学的正当性に対する判断」という大義名分には反論の余地はないが、学生著者の限られた時間の重要性を過小評価したシステムには道義的問題があるとすら感じる。こうした理由で、Evolution誌やAmNat誌には主著論文を投稿していないし今後もしない(選択肢を減らしても特に困っていない)。共著者としてもこれらの事実は主著者に正直に伝える。もちろん、投稿先を決定するのは主著者の自由判断である。

それと同時に、営利団体ではなく学会などの学術団体の運営するジャーナルに積極的に投稿し、それら団体を間接的にサポートするようにしている。これまで掲載されたものは

  • Evolution LettersやJournal of Evolutionary Biology(ともにヨーロッパ進化学会)
  • Journal of Ecology(英国生態学会
  • Ecology and Evolution(それらの協同運営)
  • Ecology Letters(フランス国立科学研究センター)

などが中心なのはそうした事情も背景にある。AmNatやEvolutionもまた、学会の運営するジャーナルであることから、投稿しないという意思決定については口惜しい気持ちはある。しかし、ジャーナルとの付き合い方も自分で決めたいと思うのである。もちろん、三者三様の経験や好みがあるであろう。あくまで、例として捉えていただきたい。あるいは、投稿経験のある仲間同士で標的ジャーナルを俎上にあげてみると、悲喜こもごも、様々な感想を共有してもらえるだろう。私はアメリカではこうしたトピックについての英会話も楽しんだ。In vino veritas – 英語雑談テーマとしてもおすすめである。

転機3:泳げぬまま大海へ“歩む”決意とその過程

また時は前後しD2/2014年の冬からD3/2015年の夏にかけて、スイスのローザンヌ渡航した。Laurent Lehmann研究室で、包括適応度理論の実践的手法について学ぶためだ。そしてフランス語だけでなく英語も公用語である国に住みたかった。この場に及んでなお、勉強とは呆れたものであるが、これほどまでに朝から晩まで、研究で用いる手法について手を動かし論文の計算を復元するという徹底的な訓練に集中できた時期はない。文字通り、滞在期間中ずっと、とにかく計算をしていた。そして電車に乗る間はずっと、フランス語を勉強していた。

2015年8月にそのローザンヌで開催された、ヨーロッパ進化学会にも参加した。そのときにはフランス語も少しは話せるようになっていた(飲み仲間からの、“I'm impressed with your French.”は私の小さな矜持となった)。ので、日本人研究者をパブやレストランにガイドしたりもしていた。さらに、それまで参加した国際学会や、モンペリエで知り合った方々と再会したり、果には知り合い同士をつないだりするのが、心の底から楽しかった。自分自身が、主体的に、ネットワークの中に実在し、ネットワークを提供している気がした。

自己紹介には、巖佐先生の名はもう要らなかった。大げさでなく私は、飲み会のヒーローだった(もちろん、研究のヒーローではない)。というのも、日本から持ってきた日本酒やお茶っ葉を、学会で知り合った人に振る舞い配るという“水商売”を行なっていたのである。懇親会の開催されていたキャンパスの小さなベンチコーナーで気分よく酔歩していた私は、仲よさげに話している2人の研究者のグラスに日本酒を注いだ。中洲川端の日本酒バー店長もびっくりする気前の良さである。ついでに、進んでないくせに研究の話もした。自己紹介すらしていない。私は酔うと、英語でも饒舌になる。そのお二人とは、やたらと話が噛み合う。「んお?あんさんら、何者や?」...と、名前を尋ねてびっくり、私の専門の包括適応度理論研究の世界的リーダー、Stuart (Stu) WestさんとTroy Dayさんだった(Stuとは後々、一緒に論文も書いた: Iritani et al. [2021], Abe et al.[2021])。研究者の自立の方向性としては疑問符こそ残るものの、そうした水商売の中でできた紐帯は強く、StuもTroyも、翌日以降の学会で出くわすたびに、いろんな人を紹介してくれた。

水商売を果たした学会も無事に明けて帰国してからは、申請していた学振PDにも海外学振にも不採用だったことや、外国での自立活動があまりに楽しかったこと、そして電子応募の手軽さから、国外ポスドクに応募し始めた。ちなみにこの頃には精神的なストレスも大きく、学位を取る半年後には無職であることを想像し、家庭教師のトライの求人募集を調べる傍ら、10年後にもこの状況が続いて両親や兄姉に見捨てられた挙げ句に橋の下で生活を送ることになったりするのではないか、などの想像を逞しくしていた。

就活は実際、なかなかうまくいかなかった。思い切ってTroyにメールを送った。すると、研究費で雇えるかも知れないと言われた。だが、奇遇にも、Mike Boots博士から、Exeter大学の研究員としてUC Berkeleyで働く機会を頂いた。2016年1月のことだった。Troyに事情を説明すると、世界的に大きな大学であるUC Berkeleyに行けと言われた。UC Berkeleyで働くことが決まった。学会でTroyと会うと、いつもこの話をする。周りの人に「Ryoは僕のところに来てくれなかったんだよ~」と、バーでの笑い話にして頂いている。

しかし当時の私は、大海の先の地平線ばかり見ていて、泳ぎ方を知らなかったし、ずぶずぶと深みへ歩みを進めていた。自己のことだからこそ辛辣な言い方をすれば、泳ぎ方を自分が知らないことすら知らなかったと思う。外国に数年住むとなると、溺れて沈んでしまえば、取り返しがつかないかもしれない。

転機4:浮遊・連動・呼吸

泳げぬ自覚すらない私だったが、私の研究者人生を決定的に影響を与えたであろう助言をご紹介する。

一つ目は「作図の高品質化と自動化」である。私の作図は雑だった。グラフを出力し、ラベルをちまちま変えたり、更新するたびに貼り直したりするのが苦痛だった。そして図より数式のほうが重要だと思っていた。しかし私はそれまでの論文にあるような、雑で手作業更新の多い図作成方針をやめた。研究のコンセプト図を作ること、見やすいグラフの作成を学んだ。見栄えの印象は重要であるという人間の特性を受け入れた。これは、科研費の申請書や、発表スライドのデザインでも然りである。そしてそれらをより効率的に行うべく、Matheamticaファイルひとつでラベル・配色・フォント・サイズが見やすく調節されたグラフのPDFファイルを指定ディレクトリに出力させる、というセミ自動化を学んだ。これらを組み合わせた、プレゼン・マテリアルの質には、相当の自信がついた。真面目系は、ラクするためなら不惜の努力をする。

二つ目。これは立木佑弥さんからの助言で、「研究には、“いつ終わるか”ではなく“いつ止めるか”しかない」というものである。プレゼン準備・図作成・申請書・論文・解析、どれも「終わり」はない。止めた時が終わる時だ。特に数理解析は、いくら真面目にやっても不満な点があるので、自己満足との戦いだ。あらゆる研究過程で、やめる決断が必要であると思う(勿論、現在の私にとって、学生時代の粘り強い挑戦は、間違いなく貴重な経験だ)。さもないと終わらない。主体的に終わらせる。

三つ目に、より技術的な側面であるが、AndyGard-ner博士からの助言を紹介する。それは「生物学的な式変形をすること、生物学的な解釈を必ず与えること」である。数理生物学において、Mathematicaなどの数式計算ソフトにはまだできないことがある。それは、導出された数式に、生物学的な解釈を与えることである。たとえば、移動分散率をdとすると、1-dは移動しない確率である。Mathematicaではこれを降べきの順に-d+1と表示させる(もちろん、並び替えるための関数は存在するが)。さらにたとえば、同じパッチ由来の個体との競争(局所競争)を回避できる確率1-(1-d)^{{2}}という量が、無限島モデルに基づいた包括適応度理論では頻繁に現れるが、Mathe-maticaはこれを展開し、2d-d^{2} と表示してしまう。これは、確率dで分散したら局所競争を確率1で回避でき、1-dで分散しなかった場合は、割合dだけいる移入個体と競争すれば局所競争を経験しない、ということでd\cdot 1+ (1-d) \cdot d =d(2-d) だ。複雑な量になればなるほど、無機質な操作だけでは生物学的な意味が不透明になることは想像に難くないだろう。これが起こる要因は、解析(たとえば微分)によって意味のあるパーツがバラバラになることが多いためである。

もちろん、解釈を与えるといっても、それは、「こじつけ」ではない。手元にある数式を、仮に「親式」とする。親式を微積分・方程式を解くなどの解析的な「操作」によって得られる式を「子孫式」とし、その操作が非自明な場合を考える(たとえば、常にゼロを返すような操作は、自明である)。すると、親式が持っていた情報は、子孫式に「遺伝」(継承)される。遺伝されたその情報は、乖離(上の例でいうと2d-d^{{2}})・融合(d(2-d))することもあるが、いずれにせよ、いかにそれらを明確に統合・分解するかという過程には、研究者による解釈が必然的に介在する。これらは、計算機による決定論的・確率的シミュレーションだけでは困難であることも多いため、数理解析の大きな意義と言える。私はこの、生物学的な意味の提示を目指した系統的な数理解析に、相当の自信を持っている。その矜持には、現在所属している数理創造プログラムの研究員としての活動も大きな助けとなっているが、学生の頃に我武者羅に勉強していたために数学へのハードルが無いというのも大きい。学生の頃の勉強は無駄でなかったと今では確信している。

上の三要素はあくまで私個人のケースだが、私自身に欠けている技能であることとして具体的に意識・習得したのが肝である。泳ぐためには手足で水を掻き、思考・感覚で全身を律動させ、タイミングよく息継ぎして前へ進む、という総合的律動が必要である。同じく研究でも、問題点・目的・解決方策と実践という具体的なアプローチが必須である。研究の“才能”とか“素質”とか“◯◯力”ではない。研究のスキル・問題点・課題などは、あらゆる原因が具体的である。あるいは、具体化する必要がある。そうすると自分では解決できない要因も認知できて、社会問題として共有できる(たとえば博士課程の経済支援問題などはそうであろう)。

たとえば、仮に「論文執筆力」という力が存在するとする。あるいは「論文執筆力を身に着けろ」という助言を賜ったとする。その力とは、一体、何か?そもそも論文を執筆するとは、論理的に文章の構成、丁寧な図の作成、英語の文法の知識、文章の簡潔化、結果の見せ方、書くモチベーション、身体的な体力、思考を集中させるための休憩、長期的にそれを継続・実行するだけの充分な睡眠、研究しない時間を作って休憩、等など、数え切れぬほどに多次元なスキルや習慣の総体である。執筆力という一次元に射影されて情報量が少なくなった曖昧な概念としてではなく、自身の研究に必要な技能を照らし合わせ、それを具体的に課題として明確に意識し、質問・勉強・訓練・技能習得できないだろうか。それが難しいなら、その弱点を補う方法を考え、実践できないだろうか。 「水泳力を身につけるのだ」という決意を胸に、ただ手足をバタバタさせて沈みゆくだけでは前に進めない。人はそれを「溺れる」と呼ぶ。世間の言う「○○力」にも、全く同じ論理が適用できると感じる。分析して具体化すべきだと思う。

転機5:「自立あっての協働」を知った

学生の頃は、単独研究はしていても協働研究がうまくいかないことから、自分の能力を疑い続けていた。だがそもそも、自立あっての協働なのだ。たとえば泳げない二人が手をつないで泳ぐのは困難だし、陸上から海でバタバタしている人を引き上げるのは、協働研究という観点からは困難である。モンペリエでの協働研究の試みの多くが空振りに終わったのは、私が自立に程遠かったからだ。もちろん、学生の頃から協働研究を主導した方々は素晴らしいと思う。しかしそれが学生時代にできなかったとして、何も自己批判する必要はないし、ごく普通のことであると思う。

■僅かばかりのフィードバック

以上のことからわかるように、私は本当に恵まれていて、極めて幸運だった。もちろん、私は他者の実績に「幸運だ」という評価をあてはしない。しかし私の場合はどう判断しても、幸運という首の皮一枚でつながったギリギリ状態だった。幸運を引き寄せられたのは、自身の主体性、自己の確立、自立への強い飢餓があったからかもしれない。人と積極的に関わること、そのために英語・フランス語を学び使用すること、結果が出ないのに学会に出て発表だけはする*8こと、そして何より、自分で論文を書くこと、自分の生き先を自分で決めること。自立への徹底的な執着心があった。

私のマインドセットあるいはモットーに、「ネットワークよりフットワーク」がある。ネットワークは、社会に既存のものであり、環境(アカデミア)に備わったものであると言える。しかし、フットワークは様々な手で、主体的に身につけられる。私は、ネットワーキングは多かれ少なかれ個人が集団に調和して埋め込まれる受動的な過程なのに対して、フットワーキングは個人の主体的な行為であるように思う。Yoh Iwasa's studentのままでいたら、ネットワークの中でちやほやされて、いい気分になれただろう。だが泥沼ズブズブの自分を掬い取り、陸へ立つことを目指すには、自分の手足を動かすしかなかった。

学生の頃、論文が出ないのはとても苦しかった。他者への嫉妬は積もるばかりだった。あるいは、執筆しても論文投稿後の不運に見舞われた。未来の不確実性に備えることはできないが、過去から学べることは多いはずだ。私は研究者のサクセスストーリーだけでなく、分析的な苦悩ストーリーも若者にとっては参考になるだろうと考えた。本稿はそれゆえ、羞恥に満ちた内容になった。私よりも若いステージにある方には、他者との比較や競争意識よりも、自立と協働の両立へ向けて、自信を持って研究を楽しんで欲しいと感じる。研究者としての道を選ばないとしても、研究で培ったスキルや経験は社会のどこでも貴重だし、研究をやめるという意思決定は、敗北や恥ではなく、新しい段階への輝かしいステップだ。若手にとって助けとなる激励を、私自身が今後の活動を通じて、幅広い人達に及ぼしていきたいと考えている。最後に、モットーを要約する。人生は一度きりな ので、教訓とまでは言えないが、皆さんがどう考えるかは、ぜひ、知りたい。

  • 論文を書く。書けないなら理由を解明・対策する。
  • 分析する。本質的な情報を落とした過度な射影をしない。
  • 解析・プレゼンの質にこだわる。マテリアルの効率的な自動化を検討する。
  • 人と話す。学会とセミナーへ出る。質問をする。英語を使う。
  • 何事も主体的に終わらせる。
  • 自立する。自立するとは何か、そのために何をすべきかを検討・実践する。
  • ジャーナルとの付き合い方を主体的に決める。
  • 受動ネットワークより能動フットワーク。
  • 自立あっての協働。
  • 楽しむ。

*1:この点については、巖佐先生が、私に明確な助言をくださっていたことは断っておく:「あまり勉強しすぎると、アイデアが凝り固まって、自由な発想ができなくなってしまう」。私は「僕の苦労は天才にはわからへんのやろな」等と、なんとも失礼な解釈をした。

*2:この経験から、私も若手研究者の論文を査読する時には、華美でなくとも称賛の言葉を含めるようにしている。

*3:降りてしまった HE とは 2019 年の国際学会で再会して話をし、和解に至った。

*4:結果として同論文は、Journal of Evolutionary Biologyに掲載され、Stearns Prizeの学生論文賞の最終候補にまで残った(受賞は逃した)。しかも、AmNatに投稿したときには見落としていた、同論文のベースになっていた先行研究での計算ミスを発見し、真面目系らしく論文中で指摘するという結果にも繋がった。AmNatに掲載されていたら、私たちの論文にも同じミスが系統的に残っていただろう。

*5:もちろん山口さんも勉強はされていた。バランス良く研究と両立されていたのだ。私にとっては見習うべきロールモデルの一人である。

*6:そうすると、真の初投稿は記録にカウントされない。

*7:Evolution誌にはこのあとも一度投稿したことがあるが、またこれが起こった。

*8:だが学会中は陰鬱で、素晴らしい研究者の受賞講演は欠席して海を見ているなどもあった

研究テーマとその広がり

私は大学院に入った頃から、移動分散の進化を研究するのだと決めていたし、実際にそうした。血縁淘汰により、血縁者同士の競争が回避されるというのが、アイデアとして根本的に面白かった。

昆虫が好きだったし、まずは動物を主な対象としていた。生物学的には最低限の仮定しか置きたくなかったが、疫学的な要素、つまり宿主が寄生者に感染した時に移動しやすくなるかどうかを調べていた。

その後、植物の研究者と働く機会があり、その方と、自殖率の進化と移動分散の進化の両者を調べた。

さらに、疫学的な研究を始めた。疫学の進化動態だけでなく、疫学が多種の動態(群集動態)にどのような影響を与えるのか調べた。

そこからより一般に、進化と群集動態の関連を調べ始めたし、自殖する植物の血縁淘汰も研究し、さらに移動分散が性比に及ぼす影響も研究した。現在は、より普遍的なクラスのモデルにおける進化や生態を、統計力学情報理論的な観点から調べている。

こうみると、自分のやってきたことはバラバラなピースに見えて、繋がっている気がする。しかし、学生の頃には、このようなことは予期できなかった。十年前の自分がびっくりする広がり方である。

一方で、とことん突き詰めることもまた、大事である。私は、これらはスタイルの好みの違いであって、どっちが正しいということはないと思う。どっちでもいいと思う。

しかし、学生のテーマ選びにおいては、「どったでもいい」とは一概に言えない。テーマを決めて突き詰めるうちに技術が身について新しい問題に取り組みやすくなることがあれば、逆に、いろんなシステムを横断しているうちに好みが見つかって突き詰める対象ないし人生のテーマとする、ということもあるためである。

どちらが良い悪いという二元論ではない。試行錯誤のうちにスタイルは決まる節はあるし、お金のとりやすさ、面白さ、就職しやすさ、流行り廃り、重要さ、などはどれも異なる。つまり、価値観と社会次第だ。

さらに、突き詰めるとしても、広がりのあるテーマと、閉じたテーマ、どちらを対象とするかにもよるだろう。とにかく一般論はない。結びつけるのは研究者の仕事であって、アプリオリに決まっているわけではない。

こう考えてみると、テーマをいかに選ぶかと言うのは実に非自明な問題なのだが、ここからさらに、教育者として学生にテーマをいかに決めてもらうか、というのは、より複雑な問題となる。自分自身ですら試行錯誤の末のテーマ決定なのが普通であるのに、他者のそれを促すというのは、想像を絶する困難と言ってよい。

たとえば自分と同じテーマを学生が研究するというのは、やり方の一つだろう。自分のテーマについて手を動かしてくれるのはありがたいし、自分に事前準備も必要ない。経験的になんとなく見えていた望ましい結果がただちに学生の手により得られる可能性はある。

しかし、長期的にその学生にとってそれが良いことかはわからない。「先生のテーマをやってる学生」で終わってしまう可能性はあるだろう。そうなると自立は難しい。広げ方も限られるだろう。

一方で、学生が独自テーマを持つと、教員もそれなりに指導が大変だろう。研究者としてのカンも働きにくいし、計画も立てにくい。そして当の学生は、指導を通じてそれを痛感するだろう。そうなると、伸びるか伸びないか、それは一種の冒険となりうる。そしてそんな冒険は人の運命を二分化させる可能性がある。

こうした二つのやり方には正解はない。学生との関わりの中でしか判断できないし、それでいいと思う。私は、基本的には学生のテーマが先にあって、それがサイエンスとして進むのを手助けする立場でしかない。逆に言えばつまり、学生が興味を育てるきっかけを与えることは忘れてはいけないということだ。馬を水飲み場に…という諺はあるが、水飲み場があってこその、「馬に水を飲ませられらない」という結果である。

私はちなみに、自分のテーマを「させる」つもりはない。本人が好きなら自分から「盗んで」もらってよいと考えている。だが根本的にはやはり、主体的な学生とのやりとりを持ちたいと感じるし、主体的でないとしたら、私は主体的になれるように指導することを目指すだろう。まあ、それが一番難しいのではあるが、水を飲む方法を教えることは、ある意味ではヒトの性質を知る上でも興味深い過程になりそうだと感じる。

何より、自分自身が楽しく面白い研究をして、その態度を学生に示していこうと考えている。