Life is Beautiful

主に進化生物学の理論のブログです。不定期更新予定。

靴下はなぜ片方だけ失くなるか

靴下はなぜ片方だけ失くなるのか?

この問いかけは非常に深いです。どのように問題を捉えるかによって答えは全く変わってくるでしょう。

  • 両方なくなる確率は、片方だけなくなる確率よりも十分に低いから。
  • マーフィーの法則によるもの。典型的に起こった事象が連関的に記憶に残る。「◯◯な時・場合に限って△△」というやつ。たとえば、バタートーストを床に落とす時はいつも、バターの載った面から床に落ちてしまう。寝坊した時に限って、探していた何かが見つからない。失くなるときはいつも、片方だけ。
  • 両方なくなった靴下は、認識すらされなくなる。つまり、両方なくなったという事象の起こる確率は、認識上つねに過小評価されている。

他にもあるでしょうか。こうしたアプローチを比較していくことで、哲学的思考の深さを垣間見ることができるかも知れません。

UC Berkeley,Visiting Scholarの大学サービス費を爆上げ

すっかり見落としていましたが、恐ろしいニュースを目にしました。

我々visiting scholarは、Berkeleyで大学のサービスを利用するためのお金を払うのですが、それが大幅なincreaseに。

Visiting Researcher Scholar Post-Arrival Information | Visiting Scholar and Postdoc Affairs (VSPA)

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一年目は500ドルなのが、二年目からは(今度から)なんと、ポスドクで$1500。学生だとなんとなんと$2500。これは大金です。

After careful consideration of the services necessary to maintain Berkeley’s status as a competitive destination for the best postdocs, visiting scholars, and visiting student researchers, the Visiting Scholar and Postdoc Affairs (VSPA) Program is announcing a two-step increase in the University Services Fee (USF) that will go into effect January 1, 2018. These increases have been benchmarked against a recent survey of top research universities which confirmed that UC Berkeley charges less than many of its peers for Visiting Scholar and Visiting Student Researcher affiliation.

最高峰の、ポスドク・ビジティングスカラ・ビジティング学生(以下、ビジタ)の、競争力ある行き先としてのバークレーの地位を維持するのに必要なサービスを慎重に検討した結果、VSPAは、2018年1月を以って、二段階の、大学サービス費用の値上げをここに告知します。これらの値上げは、UC Berkeleyにおける、ビジタに対する費用が多くの大学や機関よりも低いという事実を論じた、トップ大学での調査に基づくものです。

高すぎます。僕はこれらはラボのボスから払ってもらっていますが、学生に2500ドルって、えげつなくないですか?

(学ぶ機会を提供する最高機関としての)地位を保つため、というのは、なんとも「アメリカらしい」考え方なように思います。CVを、経歴を、職歴をすばらしいものにするために大学や機関を選ぶという文化があるからです。逆に言えば、そうした過去の「所属」経歴を、人事は非常に重視するということです。

たしかにBerkeleyはすばらしい環境を提供します。しかしここはベイエリア。家賃に圧迫される学生やポスドクから更にお金をとるというのは、他の地域の大学には見られないものです。

さて、値上げして入ってきたお金はどこにまわされるのかというと:

  • Housing - Support the hiring of dedicated staffing charged with expanding the housing options for incoming VSPA Program affiliates. Housing is consistently identified as a key issue for potential and current affiliates and increasingly impacts the decision they make regarding whether to select UC Berkeley over other options.
  • Childcare – Meet the critical need for reliable, on-call childcare for postdoc parents, another commonly articulated concern. The Postdoc Back-Up Childcare Initiative is proposed to begin in FY2018-19.
  • Research-Related ADA Accommodation Costs – The VSPA Program will take on responsibility for providing and funding the cost of accommodating visiting scholars and visiting student researchers with disability-based needs that are associated with their research. NOTE: Complimentary unofficial auditing of UC Berkeley courses will no longer be allowed via the VSPA Program. University Extension remains an option for the official auditing of UC Berkeley courses. ADA accommodations for these courses will be provided for University Extension.
  • Increased Costs – Simultaneous with recent budget cuts, the VSPA Program has been subject to increases in campus recharge costs of core services (the VSPA Gateway, Cal1 Card, Library Services, etc.), rising direct costs for VSPA Program career and professional development programming, and the salary and benefits costs of bringing on an associate director to help manage the outsized programmatic responsibilities.

いやいやいや、当事者に回さずに、これから来る人にまわすということ?家賃も、長く住むに連れて上がっているのですよ!

既存のユーザーよりも新規ユーザーに手厚いサポートをするというのは、日本の携帯電話キャリア会社と似ているかもしれません。

生態学的なモデルから考えてみよう

さて、長年の契約よりも、新たなる契約を尊重するというのは、一種の履歴効果です。履歴効果が特に働かない場合、competition-colonizationのTilman理論に従えば、いろんなタイプが共存するためには、自然死亡率が高くて分散能力が高いタイプと、自然死亡率が低くて分散能力が低いタイプとが、混在していて、かつ似かより具合がじゅうぶん低くないといけません(limited similarity)。そのような状況では、短命でも素早く分散するタイプが(長期的に)優勢になりやすくなります。

生態学においては、priority effectといって、先に来た者が有利になるという状況も有り得ます。これは逆に、会社や大学の立場から言えば、保守的な立場にあたるのかもしれません。本当に新陳代謝を高め、turnoverを促すためには、こうした状況はやむを得ないということなのでしょうか。しかしこうした生態学的なturnoverが、productivity(たとえばecological service)を高めるかどうか、ということは非自明です。

いずれにせよ、教育・研究環境を提供する大学が、ぬけぬけと「地位」をこうして掲げることに、僕は大きなショックを受けました。

バークレーは、プロテストが盛んなリベラルな地域です。しかしこういう、visiting scholarという(基本的には)外国籍の人々への待遇に対するプロテストは起きないのですよね。誰も指摘しないですけどね。

不幸な伝統

mainichi.jp

守る理由が「伝統だから」でしかない伝統であれば、そんなしきたりは廃してしまうべきです。いくつかの伝統は、人の行動や思想をいたずらに制約し、バイアスを作り出すものであるからです。

こと、人の命より大切な伝統があるとしたら一体、誰が何のために守るのでしょうか?そこにおける「人の思想」の所在を疑ってしまいながら、本当に悲しい気持ちで、このニュースをアメリカから読みました。

飲み会のドタキャンに思うこと

すべての文責は僕にあります。

幹事の役割

僕はこれまで、数え切れないくらい飲み会の幹事などを務めてきました*1

  • 好きなお店を選んで、好きな食べ物を食べられる
  • 人同士のつながりを促進できる
  • そもそも、参加者全員とやりとりできる
  • お店の人に挨拶したり御礼をしたりというやりとりもできる
  • 最終的に気持ち良く帰宅できる

というメリットがあるからです。その意味では、ボランティアではあっても、利己的な考えに基づいています。

しかし飲み会といえば頻繁に起こるのが、土壇場での(そして時として予告のない)キャンセル、通称ドタキャンです。 これは、幹事にとって非常に心苦しいばかりでなく、時として損失をもたらしますし、それをカバーするために他の来場者にも迷惑をかけてしまうことがあります。

その理由から、僕はドタキャンに関して非常にストリクトなポリシーを持っていました。とにかく、ドタキャンした人からは問答無用で、会費を徴収する。じゃないと僕の身がもたないし、差額で生じた赤を本人以外が賄うことには、まったく道理がないからです。たとえと呼ばれようとも嫌われようとも、それは僕には関係ない。それくらいの理念を持っています。

それでもそもそも、徴収するのは心苦しい

「来なかったよね。でもお金払ってね」と言うのは、たとえば、キャンセルの理由が風邪だったりした場合、とても心苦しいのです。その意味で、上で述べた事情以上に、僕は“悪者”に徹する必要があるということになります。

体幹事と合意形成

でも、幹事がぼく個人ならばそれでよくても、幹事を団体で行なっている場合は、事情がすこし違ってきます。ストリクトなドタキャンポリシーは、他の幹事に対してもさらに、心苦しさを与えてしまう可能性があるためです。そして、その後の、つまり将来のドタキャン事情についても話し合って決めることが理に適っているためです。

もっとも重要なポイント:僕らは無報酬で幹事をやっています。

それでも僕は、しっかり強調したいことがあります。ぼくはお金を受け取りながら幹事をすることはしません。ボランティアでやります。もっと端的に言えば、無報酬でやっています。ボランティアという単語に潜む、「好きでやっているんだろう」という概念は捨て去りましょう。無報酬。これが列記とした事実です。

決して、時間もお金もプラスにはなりません。無報酬です。会を開くために、さまざまな手配をせねばなりません。交渉だってします。大きなお金を立て替えることもあります。

そうした無報酬の幹事は、辞めるという選択肢を簡単にとることができます。だって、無報酬どころか、赤になると、それはもうモチベーションが下がる理由として尤もですから。そしてそれは、会の存続自体を不可能にします。会には20人以上の参加が見込まれることもあるわけですから、数人の(軽い気持ちの)ドタキャンで生じた赤が、20人以上の集まりを一気に崩壊させるポテンシャルがあるのです。

ドタキャンは無礼な行ないである

「行くの面倒くさい」とか「忘れていた」とかいう理由でドタキャンが起こることも有り得ます。僕は、特定の(よくある)事象から相手の背景を推論するようなことをして、相手にラベルを貼り付けることは好まない性質なのですが、断言します。ドタキャンはその人以外のすべての人に対する無礼です。敬意がありません。

幹事へのねぎらいは簡単にできる

実はぼくが、会合の幹事を務めて最も、はかりしれぬ喜びと幸せを感じられるのは、参加した人たちから「幹事ありがとう」、「お疲れ様」と労われることです。(とは言っても、ぼくは「むしろ来てくれてありがとう」、「楽しんでやってるから」と返すことでしょう。でもこうしたやりとりが起こることって、素敵なことではありませんか?)そして幹事のひとたちはそうした、敬意あふれる方たちとは、また遊びたいな、話したいな、と感じてしまうことでしょう。

個人レベルでもその通り

会合はもちろん、より小さな集まりでも、上の話は同等です。何人いようが関係ありません。会合のサイズが大きいから、1人抜けても効果は小さい?いいえ、そんなことは絶対にありません。

まとめ

  • メールでも電話でもいいです。早めにキャンセルを教えてください。予定を入れたのならすぐカレンダーに書き込んで、忘れないでください。
  • ぼくら幹事のエフォートを、評価してくれとはいいません。それでも、絶対に過小評価しないでください。
  • 会の成立は、人々の交流に必要不可欠です。幹事の方にねぎらいや御礼の言葉をかけるのって、そんなに難しいことではありません。幹事の僕に「御礼を言え」とは決して、地球の公転の向きが変わってもいいません。それでも、他の幹事の方への敬意を忘れないでください。
  • せっかく人の輪を広げるために、会合に参加するのです。素敵なつながり方を目指したいです。

*1:京都大学の理学部にはクラスという概念があり、飲み会が開催されることがあります。僕はそのクラコンの幹事役(のひとり)でした。

Stearns prizeを逃した

トップ6まで回ったけど落ちました。悔しいです。

http://eseb.org/prizes-funding/stearns-graduate-student-prize/

テストステロンと思想

竹内久美子さんによる、テストステロンとリベラル思想の連関についての記事が話題だ。

 

https://www.google.co.jp/amp/www.sankei.com/column/amp/180328/clm1803280004-a.html

 

「日本型リベラル」なる思想の持ち主とは、彼女いわく「共産主義社会主義が失敗に終わり、所詮は絵空事でしかなかったと判明した今でも、その思想にしがみついている人々」のことであるそうだ。

 

彼女は彼女なりに、動物行動学的な観点から、ヒトにおいて婚外交渉がこれまで起こってきたということを前提として、そのようなヒト社会では精子競争が起こってきたのかどうか分からないとする意見を、痛烈に批判している。

 

ヒトにおける婚外交渉つまり浮気の歴史を認めたくないから、精子競争などという概念を持ち出して、史実を捏造している、と。

 

また同じような例としてカジャール族を挙げている。女の子が生まれると一族が歓喜するのは、売春させて儲けるチャンスが高まるからに他ならない、と。この事実は、科学者によって歪曲され、隠されてきたと彼女は考えているようだ。

 

まずここまでの段階で、彼女は誤謬を犯している。ストローマン、かかしを殴る、とも言うものである。そのような「捏造者」の存在を根拠として示さずに、捏造者を批判しているのである。

 

論理とは、仮定から出発して結論を導く手続きの体系のことである。このもとでは、偽の仮定から出発するとすべての結論が正当化される。だからこそ、仮定の妥当性を吟味することは実務的に必要である。ここで彼女が怠ったのは、そのような捏造者の存在を明確化することである。

 

そのような、史実を隠蔽することを目指した研究者はいるだろうか?まずはそこからだろう。もしもいないのであれば、彼女がフルスイングで批判した結果は、全て空振りに終わる。

 

後半:テストステロン

 

後半は見るに耐えぬ、差別的論調である。

 

まず彼女は、男の魅力はテストステロンで第一義的に決まると考えているようだ。そもそもここでいう魅力とは何か?我々ヒトは、テストステロンという生物学的な要素によってのみ、パートナーを選択するであろうか。経済、性格、タイミング、そして大切に思う気持ち。多様な要素でパートナー形成は成立すると僕は思う。

 

ここでテストステロンを一義的な要素と断定することは、ヒトの思考を軽視しすぎである。ヒトの思考はどこまで及ぶか。なぜヒトには哲学的な考え方が可能か。ヒトとは何か。こうした、人類がその歴史を懸けて取り組むべき科学的命題を放棄したも同然である。

 

ヒトは、生き物である。ゆえにテストステロンの影響はたしかにあるだろう。しかし、パートナーとの関係を、そうした成分でのみ語ることは、叡智への冒涜であり、さらには優生学的で差別的な、恥ずべき思想である。

 

テストステロンが低い男たちが、日本人的リベラル思想に走るのではないか?という彼女の結論には、深い無理解と無意識な差別的思想、そして強引で無意味な断定的発想とが絡み合った、複雑な背景がありそうだ。

 

テストステロンだけが、パートナー形成を決めるのか。テストステロンが低い男たちには、自由な思想はないのか。テストステロンが低い男たちだけが研究者なのか。彼女は京都大学理学部にて日高敏隆を師として動物行動学を学んだ経歴を持っているらしい。しかしその事実は、このような無茶苦茶な論調をサポートしない。

 

 

ヒトの社会は、問題が山積みである。テストステロンは生物学において重要な役割を果たす要素であり、なにか我々はヒントを得られるかもしれない。それでも、テストステロンに遺伝的な背景に基づくような個体差があるのだとすると、そうした差・多様性を認める社会を我々が作っていくべきなのではないか。ぼくはそう思う。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

研究発表と漫才

学会発表が好きです。直前まではガクガク緊張しているし、準備には考えられないほど時間がかかるし、練習しないとうまく話せないのですが、それでも僕は発表が好きです。

 

たぶん、僕は発表を通じて、人と「コミュニケーション」をするというのはもちろん、なんとなく演劇というか、普段の自分とは少し違う「パフォーマンス」をしている気分になるのだと思います。聴衆が笑ってくれると嬉しいのです。

 

そしてパフォーマンスを通じて聴衆とのコミュニケーションを図るというのは、なんとなく漫才に似ている気がします。

 

僕には漫才はできないと思いますが、これからもたくさんの方々を楽しませながら、自分自身も楽しい発表を行いたいと思います。