Life is Beautiful

主に進化生物学の理論のブログです。不定期更新予定。

誕生日には、お母さんに「ありがとう」を

僕はあまり、自分の誕生日を祝われることに興味がありません。祝ってもらえると嬉しい反面、むず痒さだったりする気持ちがあるからなのですが、一番大きな理由は、僕が一番に祝われるべき日ではないから、ということです。

 

21のころに出会った、とあるお婆さんがいます。彼女は、僕が夏休みに臨海実験場で宿泊していた施設の、「シルバーさん」でした。僕は、自分の誕生日を臨海実験場で迎えようとしていました。

 

その前日、たまたま彼女はぼくの誕生日が翌日であることを知り、ケーキや、特別なご馳走で祝って下さいました。そして、手作りの、貝殻でできたキーホルダーも、下さいました。

 

彼女は僕の手を握りながら、言いました。

 

「あなたの誕生日をあなた自身が祝うのはもちろん大事なことだし、こうして祝えて、私は嬉しい。でも来年からは、あなたの誕生日には、お母さんに御礼を言ってあげて。お腹を痛めて産んだお母さんに、メールでも電話でも、できるなら直接、産んでくれてありがとうって。あなたの誕生日は、お母さんにとって、最も大切な日なのだから」

 

この言葉に僕は心を動かされて、翌年から自身の誕生日にまったく興味がなくなりました。とても単純な性格です。もちろん、祝ってくれた友達も、たくさんいます。とっても感謝しています。

 

でもぼくは、そんな彼らにも、「ありがとう。嬉しいです。今日は僕の日ではなく、母の日やと思う」と伝えるようにしてきました。

 

誕生日を実家で迎えられなくなって、十年近く経ちました。それでも、毎年母にメールを送り続けています。

 

そのときの母の返事からも僕は、僕が生まれてきて誰かを幸せな気持ちにできたことを、実感できるのです。

 

今日もまた、このブログを読んでいるどなたかの誕生日かも知れません。あなた自身を含む、たくさんの方々にとって、素敵な一日にであることを、願っています。

カクテルパーティー効果は万人共通ではない

少し個人的な話になってしまいます。そして、これを書くのにもまたエネルギーが必要でした。

僕は大学に入学してからソーシャルな場が増え、そこで初めて気づいたのですが、他の音や、人の話し声等があると、会話内容が全然、頭に入ってこないようです。そしてこれは万人に共通というわけではない、ということを知ったのも、実は最近です。

いやどうやら、むしろ、人々はこうした「雑音」によらず、聴き取りが出来ていることもあるようなのです。騒音の中からも選択的に情報を取れる現象のことを、カクテルパーティー効果と言います。

でもこれ、万人に可能と思ってはいけない。典型的な難聴のひとつとして認識されてほしいと思います。

どこまで、ウェブ上の情報が信頼に足るものかと言われると、今回のケースは特にわかりませんが、読売オンラインで、似たような方々が投稿してあるのは見つけました。

少なくとも僕はこれ、ドンピシャです。

実は飲み会とかパーティでの、僕にとってのとんでもない悩みのタネです。たとえばバーに行って、友人と話すのは、かなり難しいんです。日本語でもそうなのに、英語ではもう、絶望的です。

いいえ、飲み会だけではありません。議論でもそうです。複数人が話すと、一気に内容が頭に入ってこなくなるのです。聖徳太子はすごかったのです。

自覚と事実のギャップ

自覚したことが事実とは限りません。たとえば占いでは当たったことばかり印象に残りますね。典型的には、"血液型取扱書"のようなものが世間で流行したことがありますが、あてはまるものに対して、選択的な記憶のバイアス(確証バイアスの一つ)がかかることを利用して、分厚い本をわざわざ別冊で刊行したビジネスは、うまくやったものだと感心します。

さて心理学では、こういう、選択的な記憶をバーナム効果といいます。

自分の特徴を(たとえば他人と比べたうえで)相対化しないと、自分の個性というのは本当には認識・理解できないということですね。己を知るということは、他人を知るということなのです。

しかるに自分の性質が“異常”か“通常”かというのは、極めて主観的な問題です。そのためには、必然的に他人と比較する必要がでてきます。 かといって、他人と比較することが「よいこと」かというと、それはまた別の問題です。

自閉スペクトラム症

僕は25くらいから、自身がアスペルガーであるという自覚をもつようになりました。といっても、医者に行ったわけでもなく、それこそ本で得た知識から、自身の性質と照らし合わせて、そう自覚するに至ったのです。

もちろん、アスペルガーというのはいろいろな性質の総体であって、「ひとつも当てはまらない人などはいない」。そう、ここにもバーナム効果があるのです。いわば、個性の総合体です。

そしてカクテルパーティー効果が働かないことを自覚してググると、出て来るは、それが発達障害の一部であるという情報。

Auditory processing disorder - Wikipedia

これもバーナム効果でしょうか。

話をもとに戻そう

こういう、「いっぺんに話しかけられると困る」現象によって、昔から、自分や他人が話している最中に、他の人が話すことには、多大なる不快感を覚えてきました。これは日本語の文法上の理由もある*1とは思うのですが、あれ、実は僕には決定的な悩みのタネになりますので、ぜひやめてほしい。

同じように、雑音や同時に話されることによって、コミュニケーションが困難になる人もいるという事実の、認知・理解がすこしでも広がればいいなあと思います。

アスペルガーは個性です。

*1:これについては後日、持論を展開したいです。

JAMSTEC国際研究員応募が 電子化!

この記事を書いてから、4ヶ月近くが経過しました。いまでも反響があることが、耳に入ってきます。

lambtani.hatenablog.jp

しかし僕はブロガーではないので、現在の研究員としての任期の都合で、次の仕事を探さねばなりません。

そんなとき、JAMSTECが国際フェローシップの公募を出したとの情報を耳にして、朝からiPhoneでアクセスしました。

f:id:lambtani:20180428093408j:plain

(※スクリーンショットですみません)

すばらしい条件なのですが、電子応募不可っぽい。しかも、その記述が強調されている。交渉すら難しそう…あああ…出したいがこれはダメか…と諦めていました…

JAMSTECの研究者の方々

ところで、ギボシムシという動物をご存知でしょうか。半索動物という動物門(分類群)に属する、すこし見た目の“珍妙”な生物です。そのギボシムシを研究されているJAMSTEC研究員である友人や、その他(お会いしたことはないが) 海洋性ゴリラの 深海底自然科学の研究をされている方がなんと、JAMSTECの人事の方々に、この公募の件について、働きかけてくださったのです。

しかも、ご本人いわく、僕のブログ・エントリーのリンクを添えて

結果

募集要項<採用情報<海洋研究開発機構

電子化されました。

祝!

しかし

これで、国外からの応募は増えて、競争は激しくなるでしょう。そうなるとこれは僕個人にとっては非常に不利ですね。つまり僕個人にとっての“メリット”はないわけです。

それでも科学は進む

それでも僕は、この件に関してはこれでよいと思います。いわば、競争がフェアな状態(ベースライン)に戻った、と思うからです。

意見を「うまく述べる」ことの重要性

いまや、インターネットされあれば誰でも、真偽とわず情報を発信できる時代です。それはつまり、情報の受信も簡単であり、自分の発した情報が、数えられぬほどの人たちの目に触れる可能性があるということです。

若手の立場でいろいろな提言をおこなうことは、ひょっとすると眉をひそめられるかも知れないし、リスキーかも知れません。それでも、自分が論理的に考え抜いた意見を、他の人が理解できる形で、述べることは、何にも代えがたい重要なことです。声を発さないと、耳には入らないのです*1

それは、ただ何かを批判するだけではありません。問題点があるのであれば、それを呈示し、(できれば)改善点を述べ、それが実現するように動く。そして、なにかを主張したいのであれば、伝えたいのであれば、最終的にどんな意見や言葉も、他人の感情という部分に訴えかける効果があるので、決して攻撃をしない。攻撃は破壊しか生み出さない。

若い内はきっとフットワークも軽いし、保守的な姿勢で守らねばならないことも少ないと思います。それに、若い人が事態を改善していく努力を怠っていたら、いったい誰が、世の中を「よく」していくのでしょう?

この件に関しては、実際に動いてくださった、上記のお二方には頭が上がりません。本当にありがとう。そして、ブログを読んでくださり、条件の改善に動いてくださった方には、御礼を申し上げても申し上げすぎることが叶いません。ありがとうございます。

このブログを始めて早6年になりますが、この場であっても、これほどまでに、しっかりと意見を綴ってよかった、と感じたことはありませんでした。

*1:これはあくまで「書かないと読まれない」ことを言うための比喩表現です

靴下はなぜ片方だけ失くなるか

靴下はなぜ片方だけ失くなるのか?

この問いかけは非常に深いです。どのように問題を捉えるかによって答えは全く変わってくるでしょう。

  • 両方なくなる確率は、片方だけなくなる確率よりも十分に低いから。
  • マーフィーの法則によるもの。典型的に起こった事象が連関的に記憶に残る。「◯◯な時・場合に限って△△」というやつ。たとえば、バタートーストを床に落とす時はいつも、バターの載った面から床に落ちてしまう。寝坊した時に限って、探していた何かが見つからない。失くなるときはいつも、片方だけ。
  • 両方なくなった靴下は、認識すらされなくなる。つまり、両方なくなったという事象の起こる確率は、認識上つねに過小評価されている。

他にもあるでしょうか。こうしたアプローチを比較していくことで、哲学的思考の深さを垣間見ることができるかも知れません。

UC Berkeley,Visiting Scholarの大学サービス費を爆上げ

すっかり見落としていましたが、恐ろしいニュースを目にしました。

我々visiting scholarは、Berkeleyで大学のサービスを利用するためのお金を払うのですが、それが大幅なincreaseに。

Visiting Researcher Scholar Post-Arrival Information | Visiting Scholar and Postdoc Affairs (VSPA)

f:id:lambtani:20180416094613p:plain

一年目は500ドルなのが、二年目からは(今度から)なんと、ポスドクで$1500。学生だとなんとなんと$2500。これは大金です。

After careful consideration of the services necessary to maintain Berkeley’s status as a competitive destination for the best postdocs, visiting scholars, and visiting student researchers, the Visiting Scholar and Postdoc Affairs (VSPA) Program is announcing a two-step increase in the University Services Fee (USF) that will go into effect January 1, 2018. These increases have been benchmarked against a recent survey of top research universities which confirmed that UC Berkeley charges less than many of its peers for Visiting Scholar and Visiting Student Researcher affiliation.

最高峰の、ポスドク・ビジティングスカラ・ビジティング学生(以下、ビジタ)の、競争力ある行き先としてのバークレーの地位を維持するのに必要なサービスを慎重に検討した結果、VSPAは、2018年1月を以って、二段階の、大学サービス費用の値上げをここに告知します。これらの値上げは、UC Berkeleyにおける、ビジタに対する費用が多くの大学や機関よりも低いという事実を論じた、トップ大学での調査に基づくものです。

高すぎます。僕はこれらはラボのボスから払ってもらっていますが、学生に2500ドルって、えげつなくないですか?

(学ぶ機会を提供する最高機関としての)地位を保つため、というのは、なんとも「アメリカらしい」考え方なように思います。CVを、経歴を、職歴をすばらしいものにするために大学や機関を選ぶという文化があるからです。逆に言えば、そうした過去の「所属」経歴を、人事は非常に重視するということです。

たしかにBerkeleyはすばらしい環境を提供します。しかしここはベイエリア。家賃に圧迫される学生やポスドクから更にお金をとるというのは、他の地域の大学には見られないものです。

さて、値上げして入ってきたお金はどこにまわされるのかというと:

  • Housing - Support the hiring of dedicated staffing charged with expanding the housing options for incoming VSPA Program affiliates. Housing is consistently identified as a key issue for potential and current affiliates and increasingly impacts the decision they make regarding whether to select UC Berkeley over other options.
  • Childcare – Meet the critical need for reliable, on-call childcare for postdoc parents, another commonly articulated concern. The Postdoc Back-Up Childcare Initiative is proposed to begin in FY2018-19.
  • Research-Related ADA Accommodation Costs – The VSPA Program will take on responsibility for providing and funding the cost of accommodating visiting scholars and visiting student researchers with disability-based needs that are associated with their research. NOTE: Complimentary unofficial auditing of UC Berkeley courses will no longer be allowed via the VSPA Program. University Extension remains an option for the official auditing of UC Berkeley courses. ADA accommodations for these courses will be provided for University Extension.
  • Increased Costs – Simultaneous with recent budget cuts, the VSPA Program has been subject to increases in campus recharge costs of core services (the VSPA Gateway, Cal1 Card, Library Services, etc.), rising direct costs for VSPA Program career and professional development programming, and the salary and benefits costs of bringing on an associate director to help manage the outsized programmatic responsibilities.

いやいやいや、当事者に回さずに、これから来る人にまわすということ?家賃も、長く住むに連れて上がっているのですよ!

既存のユーザーよりも新規ユーザーに手厚いサポートをするというのは、日本の携帯電話キャリア会社と似ているかもしれません。

生態学的なモデルから考えてみよう

さて、長年の契約よりも、新たなる契約を尊重するというのは、一種の履歴効果です。履歴効果が特に働かない場合、competition-colonizationのTilman理論に従えば、いろんなタイプが共存するためには、自然死亡率が高くて分散能力が高いタイプと、自然死亡率が低くて分散能力が低いタイプとが、混在していて、かつ似かより具合がじゅうぶん低くないといけません(limited similarity)。そのような状況では、短命でも素早く分散するタイプが(長期的に)優勢になりやすくなります。

生態学においては、priority effectといって、先に来た者が有利になるという状況も有り得ます。これは逆に、会社や大学の立場から言えば、保守的な立場にあたるのかもしれません。本当に新陳代謝を高め、turnoverを促すためには、こうした状況はやむを得ないということなのでしょうか。しかしこうした生態学的なturnoverが、productivity(たとえばecological service)を高めるかどうか、ということは非自明です。

いずれにせよ、教育・研究環境を提供する大学が、ぬけぬけと「地位」をこうして掲げることに、僕は大きなショックを受けました。

バークレーは、プロテストが盛んなリベラルな地域です。しかしこういう、visiting scholarという(基本的には)外国籍の人々への待遇に対するプロテストは起きないのですよね。誰も指摘しないですけどね。

不幸な伝統

mainichi.jp

守る理由が「伝統だから」でしかない伝統であれば、そんなしきたりは廃してしまうべきです。いくつかの伝統は、人の行動や思想をいたずらに制約し、バイアスを作り出すものであるからです。

こと、人の命より大切な伝統があるとしたら一体、誰が何のために守るのでしょうか?そこにおける「人の思想」の所在を疑ってしまいながら、本当に悲しい気持ちで、このニュースをアメリカから読みました。

飲み会のドタキャンに思うこと

すべての文責は僕にあります。

幹事の役割

僕はこれまで、数え切れないくらい飲み会の幹事などを務めてきました*1

  • 好きなお店を選んで、好きな食べ物を食べられる
  • 人同士のつながりを促進できる
  • そもそも、参加者全員とやりとりできる
  • お店の人に挨拶したり御礼をしたりというやりとりもできる
  • 最終的に気持ち良く帰宅できる

というメリットがあるからです。その意味では、ボランティアではあっても、利己的な考えに基づいています。

しかし飲み会といえば頻繁に起こるのが、土壇場での(そして時として予告のない)キャンセル、通称ドタキャンです。 これは、幹事にとって非常に心苦しいばかりでなく、時として損失をもたらしますし、それをカバーするために他の来場者にも迷惑をかけてしまうことがあります。

その理由から、僕はドタキャンに関して非常にストリクトなポリシーを持っていました。とにかく、ドタキャンした人からは問答無用で、会費を徴収する。じゃないと僕の身がもたないし、差額で生じた赤を本人以外が賄うことには、まったく道理がないからです。たとえと呼ばれようとも嫌われようとも、それは僕には関係ない。それくらいの理念を持っています。

それでもそもそも、徴収するのは心苦しい

「来なかったよね。でもお金払ってね」と言うのは、たとえば、キャンセルの理由が風邪だったりした場合、とても心苦しいのです。その意味で、上で述べた事情以上に、僕は“悪者”に徹する必要があるということになります。

体幹事と合意形成

でも、幹事がぼく個人ならばそれでよくても、幹事を団体で行なっている場合は、事情がすこし違ってきます。ストリクトなドタキャンポリシーは、他の幹事に対してもさらに、心苦しさを与えてしまう可能性があるためです。そして、その後の、つまり将来のドタキャン事情についても話し合って決めることが理に適っているためです。

もっとも重要なポイント:僕らは無報酬で幹事をやっています。

それでも僕は、しっかり強調したいことがあります。ぼくはお金を受け取りながら幹事をすることはしません。ボランティアでやります。もっと端的に言えば、無報酬でやっています。ボランティアという単語に潜む、「好きでやっているんだろう」という概念は捨て去りましょう。無報酬。これが列記とした事実です。

決して、時間もお金もプラスにはなりません。無報酬です。会を開くために、さまざまな手配をせねばなりません。交渉だってします。大きなお金を立て替えることもあります。

そうした無報酬の幹事は、辞めるという選択肢を簡単にとることができます。だって、無報酬どころか、赤になると、それはもうモチベーションが下がる理由として尤もですから。そしてそれは、会の存続自体を不可能にします。会には20人以上の参加が見込まれることもあるわけですから、数人の(軽い気持ちの)ドタキャンで生じた赤が、20人以上の集まりを一気に崩壊させるポテンシャルがあるのです。

ドタキャンは無礼な行ないである

「行くの面倒くさい」とか「忘れていた」とかいう理由でドタキャンが起こることも有り得ます。僕は、特定の(よくある)事象から相手の背景を推論するようなことをして、相手にラベルを貼り付けることは好まない性質なのですが、断言します。ドタキャンはその人以外のすべての人に対する無礼です。敬意がありません。

幹事へのねぎらいは簡単にできる

実はぼくが、会合の幹事を務めて最も、はかりしれぬ喜びと幸せを感じられるのは、参加した人たちから「幹事ありがとう」、「お疲れ様」と労われることです。(とは言っても、ぼくは「むしろ来てくれてありがとう」、「楽しんでやってるから」と返すことでしょう。でもこうしたやりとりが起こることって、素敵なことではありませんか?)そして幹事のひとたちはそうした、敬意あふれる方たちとは、また遊びたいな、話したいな、と感じてしまうことでしょう。

個人レベルでもその通り

会合はもちろん、より小さな集まりでも、上の話は同等です。何人いようが関係ありません。会合のサイズが大きいから、1人抜けても効果は小さい?いいえ、そんなことは絶対にありません。

まとめ

  • メールでも電話でもいいです。早めにキャンセルを教えてください。予定を入れたのならすぐカレンダーに書き込んで、忘れないでください。
  • ぼくら幹事のエフォートを、評価してくれとはいいません。それでも、絶対に過小評価しないでください。
  • 会の成立は、人々の交流に必要不可欠です。幹事の方にねぎらいや御礼の言葉をかけるのって、そんなに難しいことではありません。幹事の僕に「御礼を言え」とは決して、地球の公転の向きが変わってもいいません。それでも、他の幹事の方への敬意を忘れないでください。
  • せっかく人の輪を広げるために、会合に参加するのです。素敵なつながり方を目指したいです。

*1:京都大学の理学部にはクラスという概念があり、飲み会が開催されることがあります。僕はそのクラコンの幹事役(のひとり)でした。