Life is Beautiful

主に進化生物学の理論のブログです。不定期更新予定。

誤謬のカテゴリ

誤謬とは、論理的な推論上の誤りのことを指しますが、大雑把に言って、2つのカテゴリに別けられます:

  • 論理的 誤謬
  • 非形式的 誤謬

このカテゴリ分けは、形式的な記述が可能かどうかで分けただけなので、誤謬(に基づく論証=詭弁)を理解する上で本質的というわけでもありません。ただし学問上は、きちんと形式的に(つまりモデルで)記述できることには、「普遍性」を保証するというメリットがあると思います。

論理的誤謬(ないし、形式的誤謬)

Formal fallacy, logical fallacy,ないしdeductive fallacyとも。

Formal fallacy - Wikipedia

論理的な誤りです。数理論理学的な表現が可能です。

論理的誤謬の例

いくつか例を挙げます。詳しい解説は今後の記事で。

  • トートロジー(P implies P. Hence, P is true)
  • 後件肯定(P implies Q. Now, Q is true. Hence, P is true)
  • 前件否定(P implies Q. Now, P is not true. Hence, Q is neither true)
  • 自然主義的誤謬(P is Q. Hence, P should be Q)
  • 前後即因果の誤謬: Post hoc ergo propter hoc (P preceded Q. Hence, P causes Q)

非形式的誤謬

論理的な誤謬ではないが、論証における推論そのものに誤りが含まれていることを指す。

Informal fallacy

Informal fallacy - Wikipedia

非形式的誤謬の例

形式的な記述ができないので、具体的な例を挙げるに留めます。

  • ギャンブラーの誤謬(例:「イカサマのないサイコロで6以外の目が10回連続で出た。よって次に6が出る確率は高いだろう」)

  • コンコルドの誤謬(例:「いままでギャンブルに100万円も投資したのだから、これからも投資を続けるべきである」。「いままでヒドイ彼氏と5年も付き合ってきた。だからこれからも彼と付き合い続けるほうがよいだろう」)

  • 未知論証 ないし 悪魔の証明(例:「神が存在しないという証拠はない。よって神が存在するという結論は妥当である」)

知っておきたい誤謬1: Argument from Hearsay (伝聞に基づく論証)

定義

他者からの伝え聞きのみを根拠として、命題の真偽の判断を行なうこと

論理形式

Person X said A is true. Therefore, (one should conclude or accept that) A is true.

X氏が、命題Aは真だと述べた。故に、命題Aは真である(と結論づけるべきである)。

説明

他者からの伝聞が何かの主張を支持する根拠になる、と考えるのは、実務的には有り得たとしても、 論理的には誤りである。 「風評」もこのカテゴリに属する誤謬であり、徹底的に否定されるべきである。

日本の法律(日本法)では、刑事訴訟法320条1項に明記されており、 「[ある例外を除いては、] 公判期日における供述に代えて書面を証拠とし、又は公判期日外における他の者の供述を内容とする供述を証拠とすることはできない」。

刑事訴訟法第320条 - Wikibooks

ただこの「供述に対して限定的な根拠しか認めない」のは、日本法においては刑法に限られる。 米法ではもうすこし幅広く適用されるようではある。

Hearsay in United States law - Wikipedia

  • 「外国人集団が、我々の共有井戸に毒を投げ込んだらしい。とっ捕まえなくては」 *1

  • B「AさんがあなたのことをXXXって言っていましたよ」  自分「なんやて!?許せぬ」*2

教訓

「人の噂も七十五日」とは言うが、人の噂を流すのはやめよう。 「火のない所に煙が立たぬ」ということわざは論理的形式では「煙があるならば、そこには火がある」というものである。 「煙」が「噂」に相当し、「火」が「真実」に相当するのであれば、この諺は悪しきものとして、棄却されて然るべきである。 *3

噂ではなく根拠を示すべきなのである。

分析

究極的には…あるいは日常的には、「"友人の友人"の主張」を信じるすべが絶たれる。 たとえば、パソコンの購入をあなたが検討しているときに、 友人Aが「"MacWindowsよりも直感的に扱いやすい"と太郎は言っていた」と主張し、 それをあなた自身が信頼したとする。 それを誤謬として扱うべきだろうか? もし太郎がAの、あるいはあなた自身の親友であったり親族であった場合はどうか?これは信頼関係依存的である。

信頼関係への依存性に加え、分析的かつ現実的なアプローチはおそらく、3つ挙げられる。

  • 太郎の主張は再現可能か?(→お店で実際に確かめること)
  • 友人Aの主張は検証可能か?(→太郎に意見を求めること)
  • 利害は発生するか?(→たとえば太郎や友人Aが、MicrosoftAppleの関係者かどうかという背景の確認)

雑感:科学者の立場

「根拠ベースドな体系である(とされている)科学的いとなみ」が、 いかに市民的な信頼に基づいているかを認識せねばならない。 なぜならば、「第三者から査読された論文だから、根拠として信頼たりうる」ということを担保に、我々は科学者の科学的貢献を見ることになるためである。 *4 だからこそ、「再現が可能」ということが、(おそらく査読と同じくらいに重要な)保険になる。

科学者は、決して信頼を裏切ってはならない。 欺瞞・ズル・卑怯な真似をすることは、科学の価値や意義そのものを貶める、最低最悪の行為であると断罪すべきだ。

派生的な誤謬

権威に訴える論証(Appeal to Authority)

公的に権威をもった何かが正当化している命題は正しい、という論調のこと。 特にA氏に権威が備わっている場合でも、その人の主張(論文含む)を無批判に正当化してしまうことは、 論理的に誤りである。 日常会話で、権威を持ちだして何か説明するのは、ある意味ではとてもラクだ。 でも、議論に権威を持ち込むならば、自動的にその立場には自由が保証されるべきで、たとえば信奉・信仰問題として扱われるほうが適切である。

悲しいかな、権威の大先生と論文を書いたほうが、論文は雑誌掲載が容易になる。

なお、この「大先生と論文を書いていたときにはいとも簡単に論文が通っていた」という経験談を、山中伸弥教授は、バークレーでの講演会(2017年5月16日、開催)にて話されていた………が、この僕の主張は、伝聞に基づく論証か。。

脳科学者Mが主張しているから、仮説Qは正しい」

その他:伝統に訴える論証、多数派に訴える論証

例を挙げて説明せずともわかるだろうが:

  • 「チームAのサポーターがチームBに対して、不適切な野次を飛ばしているが、みんなやっているし、何よりこれがこのスポーツの伝統なのだから、やってもいいのだ」

教訓

関西人なら「〜やで。知らんけど

*1:これは決して不謹慎な例ではなく、『関東大震災朝鮮人虐殺事件』として知られている事例であり、今なお史的事実が研究されているようである 関東大震災 - Wikipedia

*2:僕はむしろ、こういう主張をするBに対してこそ、並々ならぬ不信感を抱く。

*3:この諺の起源はおそらくマーフィーの法則の一種なのではないだろうか:つまり、煙が観察されたときに火を発見したという事例が、(火が発見されなかった事例よりも)優先的に印象に残ってしまうということはあり得るだろう。

*4:これは直接的な伝聞による論証ではないが、査読者はふつう、編集者に対して「レポート」を送り、それに基づき、編集者は価値の判断を行なう。

知っておきたい誤謬集

「知っておきたい誤謬集」概要とその目的

誤謬とは、推論の過程に誤りがあるために、推論そのものが正しくないことを言います。 推論とは、仮定から 結論を導くことです。 誤謬があるかぎり、仮定が正しいかどうかに関係なく、その推論は常に正当化されません。 しかし同時に、「その推論で得られた結論が誤りである」という判断もまた、正当化されません。 つまり誤謬とは、仮定や結論そのものに対する概念ではなく、それらを結ぶプロセス(推論過程)に、適用される概念です。

このシリーズでは、代表的なものを分類・列挙するとともに、卑近な具体例や、(思いついた場合は) 応用例・用法を挙げ、詭弁にだまされない、詭弁を用いないための手助けを行ないたいと考えています。

「なぜここで展開される推論が誤謬と考えられてしかるべきか」を考えることも有用です (そしてそれは時として答の出ないものでもあるでしょう)。 なお、「用法」で挙げられているように、(時に科学的思考とは離れた)日常生活で相手の誤謬を指摘する際に、 このリストで用いられた小難しい言葉遣いをすれば、煙たがれること請け合いです

論文の謝辞で気をつけること:無難な書き方

論文の最後のパートでは『謝辞』を表明します。論文に対して実質的に貢献は無いが、個人的な補助や、資金面のサポートを助成金によって受けた場合には、謝辞に表明します。

でも案外、謝辞を書くのって難しいです。こんなサービスすらあります。

謝辞ジェネレータ

*1

さて、論文の謝辞を表明するにあたって、すこし注意せねばならない点があります。これってどこまでアカデミアで共有された概念なのかは分からないのですが、(存在しない)利益相反などを匂わせないためにも、すこし慎重になる必要があります。

以下は、僕が「しないことリスト」でもありますが、それを「しない」「目的」を明確にするような書き方を心がけたいと思います。

1. 同列に並べるのであれば、アルファベット順で。

日本語なが五十音順。たとえば「えらいひと」を先に書いてはいけません。たとえば

The authors are grateful to G, B, C, F, D, E, and A for comments on the previous versions of the manuscript.

などとはしない。たとえ、Gさんが一番立場が上の人で、ソレ以外が学生であっても。同列なのですから。論文の謝辞において、(存在しない)背後の関係を匂わせる書き方をしてはなりません。 ステレオタイプを生み出す可能性があります。したがって、

The authors are grateful to A, B, C, D, E, F, and G for comments on the previous versions of the manuscript.

としましょう。無難ですね。

2. エディターへの謝辞は…?

ジャーナルによっては、エディターの名前を明記した謝辞を禁止しています*2。エディターはあくまで中立的な立場ということを鑑みてでしょうか。いずれにせよ、(記名つき)レフェリーにしろエディターにしろ、名前を出さないほうが無難かもしれません。

3. 承諾を得る

過去に僕もやってしまっていたのですが、このエントリを読み、心を入れ替えました。

https://sociobiology.wordpress.com/2015/02/10/no-you-cant-acknowledge-me-in-your-paper-without-asking/

No unauthorized acknowledgements!

I don’t understand why anyone would do this, but it is a really bad idea. Check with the people you acknowledge and be sure they are all right with it. Only acknowledge people who actually have helped with the work.

Grrr.

事の経緯は2年前にとある群淘汰主義者たちから出版されたNature論文の謝辞なんですが…どうもStrassmannさんは、了承もなく謝辞で名前を使われ、あたかもその論文に対して好意的であるかのような印象操作を行われた

ということで、謝辞で名前に言及するのであれば、事前に了承を得ておくのが無難です。メールでコメントをもらったなら“Please let me show my gratitude in Acknowledgement”などと添えて返事するのがよいでしょう。

僕はいま書いている論文の謝辞では、

  • どのような補助を得たか(コメント、解釈についての議論、などなど)ということを明確に
  • 了承を得ているか

などを表明することにしています。こんな感じ(個人情報につき、ここでは名前は伏せます)。

The author is grateful to A and B for discussion, and to C and D for comments that enriched the interpretation of the results as well as for suggestions to improve the clarity. The author declares that I am expressing my gratitude here in pre-agreement with all the colleagues above. The comments provided by Associate Editor and two annonymous reviewers greatly improved the clarity of the manuscript.

無難ですね。

*1:これでジェネレートされた感謝の文が、本当に謝意の表明たるものなのかはさておき

*2:British Ecological Society系のジャーナルは軒並みそうであったような気がする。たとえばJournal of Animal Ecology

Author Guidelines Page - Journal of Animal Ecology

アメリカでの銀行口座の開設

結局、アメリカでも銀行口座を開設しました。開設したのは年明け前なんですけど、とてもカンタンだったので、方法をご紹介します。

まずは社会保障番号を手に入れよう

通称Social Security Number、 SSN。日本でいうマイナンバーです。これを獲得するためには、

  • 居住証明(レンタルの契約書)
  • オファーレター(財源証明)
  • DS2019

という三種の神器が必要です。大学最寄りのSSNオフィスで申請しましょう。申請から獲得にはだいたい10日ほどかかりました。

銀行を決めよう

メガバンクの優勢関係にはかなり地域差があるようです。

  • Wells Fargo
  • Chase
  • Bank of America

メガバンクですが、ぼくは友人たちからのオススメもあり、ATMが目立つWells Fargoに決めました。

銀行へ赴く

銀行に行ったら、案内の人に「新しく口座を開設する」旨を伝えましょう:I’d like to create a new bank account

しばらくするとプライベートゾーンに案内されるので、Checking accountを作りたい旨を伝えます。これは当座預金口座と日本では呼ばれますが、ここアメリカでは家賃の支払いは小切手を用いるのが主流なので、当座預金口座を作ります。

そして他愛のない話をすすめるうちに住所やSSNを要求されます。僕はiPhoneにSSNの画像を保存しておいて、それを見せただけで済ませられました。持ち歩くものではないので*1

あとはwebアカウントを作ったりして、終了。1時間ほどで口座ができて、一時的なカードをもらえました。そして1週間後には、家にdebitカードが届けられていました。

さてここアメリカはdebitカードがあればだいたいの店で支払いを行なうことができるので本当に便利です。現金は基本的に持ち歩かないようになってしまいました。もちろん、クレジットカードを持ち歩く必要が出て来るわけですが、日本でもそれは同じ。現金は持ち歩かなくても良いシステムに移行してほしいですね。

さて、Wells FargoはiOSアプリも提供されていて、それで常にBalance(残高)がチェックできます。ATMでお金を降ろしたらメールが届く設定にもできるので、安心ですね。

*1:日本ではマイナンバー原本を持ち歩く必要があるのではないか。もしそうなら本当に狂気の沙汰としか思えない。ここアメリカでは「絶対にSSNを持ち歩かないように」と厳しく教育されている。

J1ビザへの道:空港編

無事にカリフォルニアに到着したことだし、最後の関門、空港で行なうことをまとめておきます。

今回、僕は 関空 → バンクーバー → サンフランシスコ という旅程を組みました。すると、カナダとアメリカの協定により、入国審査はバンクーバーで行われることになります。

関空バンクーバー間は10時間足らずで、そしてバンクーバー〜サンフランシスコは2時間程度でアクセス可能ですので、成田〜サンフランシスコの直行便を使うのに次ぐアクセスの良さだと思います。

バンクーバーでは、ビザ面接で取られたのと同様の指紋検査が行われるのと、DS2019の呈示が求められます。検査員はわりとつっけんどんではあるのですが、スムースにことは進みます。

また、手荷物検査では、必ず “I have a visa with me”といったことを言っておかないといけないですが*1、それ以上の労苦はありません。普通にしていれば普通に終わります。

バンクーバー空港はわりと大きいですし食べ物屋サンも豊富にあります(もちろんすべてチェーンですが)。もし防寒具が欲しいなら、カナダの登山用品店で購入するとよいと思います。

バンクーバー空港の国際ターミナル自体は大きくないので、そんなに迷うこともありませんでした。トロントでも似たような感じだと友人は言っておりました。

とにかく大事なのはDS2019とパスポートを肌身離さず携帯しておくこと、英語できちんとコミュニケーションをとることです。空港ではそれくらい。イージーモードです。

*1:関空から飛行機に乗る前にも往復券がないなら「Visaを持っていますので」といったことを伝えねばなりません

渡航前に麻疹・風疹の予防接種

関西国際空港での麻疹問題。

https://yomidr.yomiuri.co.jp/article/20160906-OYTET50010/yomidr.yomiuri.co.jp

[追記:ニュース記事を消さないでクレメンス↑] 何を隠そう僕は関空から、ポスドクjobへ向けて飛び立つのです。これは不安。ちょっと事前に調べてみると…

  • 麻疹は平成生まれ以降の世代では、二度の予防接種が実施されている(通称「一期」、「二期」)
  • 感染力が非常に強く、感染者と同室にいるだけでも感染してしまう
  • 基本再生産数 $R_0$ はなんと15,6という話もある*1。それだけ感染力が強い。いやこれは、強いどころではない。最強クラス
  • 発症すると大人では特に重症化しやすい
  • 風疹は、「三日麻疹」と呼ばれる
  • 特に、妊婦が感染すると非常に母子ともに危険で、特に胎児は先天性麻疹症候群を患う恐れがある

とにかくアブナイ。熱は出るわ咳は出るわ。しかし厄介なのが、まず発熱してすぐに収まって、また発熱するというところ。すぐに収まるため、風邪と誤診されやすいそうで。

でまあそんなアブナイ病気をアメリカで発症すると個体的にも社会的にも死んでしまうので、予防接種をせねばなるまい。

ということで朝から病院探し。これ、ナメてはいけません。ワクチンがある病院、むっちゃ限られてる。福岡市医師会のウェブサイトからアクセスして、西区の、どの病院で風疹を取り扱っているかを調べると…

めっちゃ少ない!*2

http://www.city.fukuoka.med.or.jp/iryou/yoboum_nis.html

朝から3,4件くらい電話してみるも、在庫がなかったり、そもそも成人には実施していなかったりで右往左往。ようやく見つけたは、ひとつのこども病院。風疹と麻疹の混合ワクチンならば在庫があると聞いて、さっそくそちらへ。

こども病院ということもあって、待合室には子連れの家族が散見された。おかげで、呼ばれるときは「λ谷・Rすけく〜ん」という感じだった。「はい」と返事すると、「あっ、すみません、お子さんかと」とすぐ謝られたけど、「は〜い!キャッキャッ」と返事するくらいの機転を持ち合わせていなかったのを反省したい。

で、診療室に入ると、院長がすこし面食らっていた。

「抗体、ありませんでしたかー(笑)」

「いや、わからないんですけど、念のため、です」

という会話で3秒で終了。

ちなみに保険適用外なので9000円を自腹で払いました。痛いな…。

でも自治体によっては、女性が無償で受けられたりもすることもあるらしい。

http://www.city.nagoya.jp/kenkofukushi/page/0000047741.html

名古屋市はそうらしい。いいなあ。

*1:つまり1人の感染患者がいたら、そこから新たに15人近くの感染者を生み出すということ

*2:博多や姪浜にはそれなりにあると思う。九大が田舎すぎるのである。。。