Life is Beautiful

主に進化生物学の理論のブログです。不定期更新予定。

Erskineフェローに採用された

カンタベリー大学のErskineプログラム・フェローに採用されて、2月から3月半ばまで、ニュージーランドカンタベリー大学で過ごすこととなった。

このフェローはカンタベリー大学で講義を行なうためのフェローで、採用プロセスは、

  • ホストから候補者としてノミネートしてもらう
  • ホストと書類を一緒に書いて応募する
  • 採択通知

という流れである。申請から2ヶ月程度で採択、というタイムラインで、比較的サクサクとことが進んだ。

現職では、講義のデューティがないのは、研究に集中できる点では良いのだが、

  • 学生とのやりとりに欠ける
  • 履歴書的な意味でも、実務的な意味でも、講義経験の不足

につながるので、少し危機感を持ってはいた。今回のようにフェローとしてティーチングを行えるというのは非常に良い制度であると思う。特に個人的には英語が好きというのもあるが、その経験を今後、国際的文脈でアピールできるようになるのは大きいと思う。

今回の応募にあたって、(一部は自明であるが)重要である点をいくつか書いてみる。

待遇

  • 日当(実質、食費)は一日100NZD(約9000円)。
  • 宿は大学が準備する。
  • 保険はフルカバー。
  • 航空券は、Orbitという会社を通じて予約する。ただしエコノミークラス。
  • 4週間以上滞在するのであれば、配偶者や家族の航空券代・宿泊費も出る(日当は出ない)。
  • 空港までお迎えがくる。
  • 銀行口座を作り、そこに日当等が振り込まれる。

講義を経験しないと、講義を経験できない

2014年、スイス・ローザンヌに住み始めた頃のことだ。私はそのとき、民泊サービスを用いて宿泊していた。そして訳あって、スイスの銀行口座を作るべく、銀行に行った*1。そこで言われたのは、「この住所では作れません」。 理由を尋ねてみると、自身が賃貸で借りている部屋ではないためだそうだ。考えるとたしかに納得なのであるが、諦めきれない。拙い英語で交渉してみても、やはり丁寧に断られた。そしてさらに親切なことに、次のようなことも言われたと記憶している。 「家を借りるには、銀行口座情報が必要になるとは思います。」はて、そうなると、家のために銀行が必要で、銀行のために家が必要である。 適切な具体例かはわからないが、「高等教育を受けるためにはお金が必要で、お金を稼ぐためには高等教育を受ける必要がある」など、循環参照(トートロジー)が起こり、社会的排除や格差助長につながることがよくある。 初めて挑戦する者には、挑戦権すら与えられないのである。京都の気取った店かよ〜言うてやらしてもろてますが。

貧相な講義経験もまた然りである。講義をきちんと実施できる人を、講義を提供する大学は欲しがる。当たり前といえば当たり前であるが、では講義経験を得るにはどうすればよいというのか、という循環問題が生じるわけである。

日本語講義の経験すら少ないのに、英語講義の経験は、もちろん貧相そのものである。多少は分野によって事情は異なるであろうが、やはり自分の講義経*2では、自分の能力を証明することは困難であった。だから、これまで多く実施してきた、アウトリーチ講演(これは英語経験もある)や、学生指導経験など(これも貧相である)、アピールできる材料は英語で丁寧に説明し、申請書を組み立てた。 Oxfordでviva審査員をしてきた話も含めたと思う。

研究論文であれば自分のタイミングで投稿できるからまだ良い。自分で業績をつむことができる。 しかし、講義は、誰かに経験させてもらえないと経験できない。もちろん、非常勤講師職に応募することなども可能であるが、研究機関と大学が連携するなど、もっとうまい仕組みがあってもいいように思う。

多様性重視

多様性は「考慮」されるものでも「配慮」されるものでもないと思うが、ではどういう動詞を使うべきかわからないので、「重視」という言葉を用いる。

カンタベリー大学のErskineフェローシップの理念はなにか、というのを知らないと、まず話にならない。自分がその理念に適合していることを知ってもらう必要があるためである。 そのためErsikneフェローシップのページやYouTube動画から情報を検索し、 そしてノミネートしてくれた研究者にメールで質問したりしてみたところ、次のことを知った。 北米やヨーロッパの研究者よりも、マイノリティ背景の研究者が望ましい。このあたりの多様性重視は、さすがだなと思う。

同じようなプログラムが日本にできたとして、招聘地域は偏ってしまうのではないか、という懸念が脳裏をよぎる。しかし意外にそうでもないかもしれない。 JSPSの外国人招聘制度でどういう人の招聘に成功しているかを見てみると、所属機関の地域性の多様性に驚かされる。

www.jsps.go.jp

もちろんキャリアステージやジェンダーなどはこのリストからは言い当てられないので、あくまで地域に関する多様性についてしかわからない。 だがそれでもきちんと機能しているように思われる。この制度は続けてほしいし、これに加え、Erskineプログラムのように、講義のために講師を呼ぶ制度もあってもよいのではないかと思う。

ノミネート方式は推薦が基本

私がノミネートしてもらえたのは、ニュージーランドに共同研究者WGがいたためである。これでは参考にならないかもしれないが、共同研究者WGとの出会いについても触れ、背景事情を説明しておこう。

遡ること2019年、京都で学会が開催された。この学会は国外から研究者を呼んでシンポジウムを開催することを続けている学会であり、私はWGの発表をそこで聞いた。また、懇親会でも彼に積極的に挨拶を行ない、自分が興味のあることと彼の講演内容との関連(Fisher情報量と、Price方程式の関係)について話したのであった。そして学会後にはもちろんお礼のメールを送った。また、コロナ禍初期においては、アメリカ・ヨーロッパ時間でばかり開催されるセミナーにfrustrateされるという共通の思いから、「自分たちも研究を通じて、太平洋時間の存在感をアピールしよう」ということで、毎週1時間議論するということを続けていた。その結果、プレプリントも含めると3報ほどの論文が出ている。

そんな彼が、カンタベリー大学の研究者に、Erskineフェローの候補として私を推薦してくれたのは、彼が私をきっと評価してくれていたからというのはあるだろうが、それを説いたところで、この話に再現性はない。 きっと大事なのは、「些細な人との縁がチャンスを生み出す」ということである。私は「(環境としての)ネットワークより(行動としての)フットワークが大事」と信じているが、「人と人と関わりを大事にする」、ということなのである。 ある意味では「人と人の関わり」はコネとも解釈できなくはないし、そもそもネットワークそのものである。だが、人と人との関わりを大事にする、という主体性は、コネやネットワークという単純な話ではないのである。 コネやネットワークを大事にしようというアドバイスは、極論、「とりあえず知り合いになっとけ」、「とりあえずいい顔しておけ」という話にも行き着きかねないだろう。 だが、人と人との関わりを、というのは、「科学的営みを物象化しない(でほしい)」ということでもある。

とはいえ、このノミネート方式においてはネットワークが大事、というのは否定できない。しかしそれでも、ネットワークに入り込んだとして単純に推薦してもらえるか、というのは非自明である。 もしも業績主義的だったら私は推薦してもらえなかっただろう。また、単純にコネだとしたら、ノミネートはされてもホストが応募に乗り気になってはくれないであろう。 WGとは、議論などを通じて信頼関係を得ていたし、ろくに英語講義経験のない私を推薦してくれたのは、私が誠実にWGと付き合ってきたからである、と思いたいし、やはりこれからも人と人とのつながりを大事にすべきだ、と思う。

Visiting Fellowプログラムに応募してみては?

実は、国外の大学にはたくさん、この手のVisiting Fellowプログラムがある。 研究ではなく講義を主たる目的としているプログラムも多いはずであるが、もしも共同研究者のもとに長期滞在したい場合などは、共同研究者に打診してみて、検討してみてもよいと思う。 英語での講義経験は、やっぱりとても評価されることであるし、それより何より、とても勉強になるはずだ。挑戦してみると良いと思う。

*1:当然、スイスの銀行は世界一信頼性が高い。

*2:奈良女子大学で2回、京大・東大合同講義で1回、高知大で1回、しかもすべて日本語。ウィンタースクールでは一度だけ英語で講義をした。