新年が明けましたね。個人的には、リ◯ェクト通知がいくつかあって、テンションの低い新年です。
リジェクトというのは出版までに経験することの多いつらい経験です。これにより出版は阻まれます。 僕は今回のいくつかのリジェクトにおいては、いずれもレフェリーは好意的(寄り)でした。エディターが強い門番でした。
gatekeeperはたくさんいます。時には共著者がそうなる、という話も耳にします。しかし、出版を阻む、もっと大きなファクターがあります。
この門番をパスしないと、出版にはこぎつけられない、その壁とは。そう、著者です。書かないと論文は世には出ないのです。 この当たり前の、前提とも言える、揺るぎない、門番。しかし、それでいて、最も突破困難な門番、それが、著者自身による執筆です。
できる研究者の論文生産術 どうすれば「たくさん」書けるのか (KS科学一般書) | ポール.J・シルヴィア, 高橋 さきの | 本 | Amazon.co.jp
ポール・シルヴィアさんは言いました。多くの研究者は、論文を書けないのではない。書かない。そして、その書かない言い訳を探すこともある、と。その言い訳とは、
- 時間がとれない
- もう少し分析しないと、論文読まないと
- 新しい椅子/PCが必要だ
- インスピレーションが降りてこない、気分が乗ってこない
なるほど。さもありなん。
そう、僕が思うに、論文を書く・書かないというのは、多かれ少なかれ精神的なハードルの問題です。時間のマネジメントとか、研究上の結果がそれなりに出ている、というベースラインの部分はあれど。しかし、「気持ちの問題」なんて言うと、サッカーの試合解説における精神論「キモチ ミセテクレマシタネー」のようなもので、技術の向上や、勝利(=アクセプト)へのきっかけには程遠い。
論文を書くための精神的ハードルを詳細に分析する上では、上に挙げた「できる研究者の論文生産術 どうすれば「たくさん」書けるのか」に敵う名著はないのですが、研究者以外の目線から執筆モチベーションをあげるマンガを、教えていただきました。
takehiko-i-hayashi.hatenablog.com
の中で紹介されている、東村アキコさんの『かくかくしかじか』。
ネタバレをせずに説明しましょう。この漫画は、漫画家である作者自身が、その絵の師匠である『先生』との関係を綴った、エッセイ漫画。 先生の言葉はいつも一貫している。
『描け』
そう、絵を描くには筆を執るしかないのです。たとえ、時間がなくとも。自分の題材・腕が拙くとも。椅子が堅くて痛くとも。 インスピレーションがなくとも。気分が乗らなくとも。
論文も同じ。とにかく
『書く』。
たとえ「時間がなくとも、自分の題材・腕が拙くとも、椅子が堅くて痛くとも、インスピレーションがなくとも、気分が乗らなくとも」やるコト、を人は何と呼ぶでしょう?
それは習慣。たとえ上の「」内のコンディションがすべて満たされていてもご飯は食べるし、寝るし、サッカーはする。
論文を書く習慣をつける。
すべての途上目的はこれに向けられていると言っていいはずです。ラボに毎日いくのも。先生と議論するのも。学会発表するのも。解析を進めるのも。習慣を強化するためのプロセスだと思いましょう。
だから、一夜漬けで何かをやるのはよくない。習慣にならないから。
これに関しては、僕は父からよい教育を受けました。父は、学年でも成績順位のそうとう下だった僕にも、「勉強しろ」とは言いませんでした。 そうではなく、常に彼は言いました。
「勉強する習慣を身に付けろ」
なるほど、なるほど。中学の頃は意味が不明だったその言葉でも、大学受験間近になって、僕はその重要性を理解しました。 ぼくは高校入学当初、一日1時間勉強の習慣を獲得しました。高2に上がる頃には、3時間になっていました。 そして最終的には平日6時間+休日10時間の勉強の習慣を身に着けていました。
「論文を書く習慣を身に付けるべし」
この漫画をはじめて読んだのは、たしか2015年の5月ごろ。それまで僕が投稿した経験のある論文数は、2本。それから、僕が投稿した論文は4本(そしてまだアクセプトはない。険しい道であることよ)。
確かにアクセプトはないが、この漫画を読んで、何かが突き動かされたのは間違いないでしょう。書くために読んで下さい。たぶん、ホットな論文を読むよりも大事。ホットな、あるいはキーとなる論文は、書いている段階で見つけるものだから。