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Life is Beautiful

主に進化生物学の理論のブログです。不定期更新予定。

知っておきたい誤謬2:Amphibology (曖昧さに基づく論証)

定義

曖昧な定義に基づいた概念に基づいた推論のこと。Fallacy of ambiguityやamphibolyといった言い方もある。

分類

形式的誤謬の一つ。

論理形式

Claim X is made. Y is concluded based on an ambiguous understanding of X.

https://www.logicallyfallacious.com/tools/lp/Bo/LogicalFallacies/17/Ambiguity_Fallacy

説明

曖昧に定義された概念に基いて推論を行なうこと…というと抽象的であるが、実は日常的に非常に多く散見されるものである。具体例を見てみると早い。なお、抽象的であること(具体性を欠くこと)と、曖昧であること(明確性を欠くこと)とは、全く異なる概念である。

用法・具体例

  • 「この盾を貫ける矛は存在しない。この矛で貫けない盾は存在しない」(「貫く」という現象が明確に定義されていない*1
  • 「砂山から砂粒を一つ取り去っても、砂山のままである。よって、すべての砂粒を一つずつ取り去っても、砂山のままである」(砂山の何たるか、が明確に定義されていない)
  • 「頭が禿げ上がった人に一本の髪の毛を付け加えたところで、禿げ上がったままである。故に、1000億本の髪の毛を付け加えても、禿げたままである」(禿げ上がっている、という状態が明確に定義されていない)
  • 「1次会に僕は参加した。 \( n \)次会に参加したと仮定する。このとき、そのノリで\(n+1\)次会にも参加できる。よって数学的帰納法により、飲み会を永遠にはしごすることが出来る」(アルコールに対するキャパシティや時間が有限であるという前提を曖昧にしてしまっている)

分析

曖昧な仮定や結論に基づいた推論をすること自体が無茶であり、多くの誤謬やパラドックスを派生的に導く。

  1. 「多義性の誤謬」: 単一の言葉が複数の意味で用いて推論する(派生的誤謬も参照)
  2. 「誤った二値化」: たとえば量的な概念を、質的な概念とすり替えて推論することもこれにあたる*2
  3. 「誤った類推」: 誤った類推を導く(おおむね類推の過程で、曖昧さが発生する)
  4. 「誤った多元主義: 両立するが異なる複数のメカニズムを、その共通部分を明確にせずに、排他的なものとして扱ってしまうこと*3
  5. テセウスの船」: ロボットAがある。それを構成するあらゆるパーツを別の(同じ機能の)パーツに置き換えられて、メジャー・チェンジを遂げたロボットBは、その同一性*4をAに有するか(BはAとは別物と言えるか)?(同一であるという概念が明確に定義されていない) より卑近な例では、「脳みそを交換されたヒト2個体は、誰が誰なのか?」。

といった誤謬やパラドックスはその代表であると言える。

雑感:Among the commonest fallacies?

  • こうして書いていると、「自由な考え方」がもたらす功罪の一つであるような気がしてくる。 様々な考え方が両立してしかるべきであるが、 考え方(価値観)を共有しようとするのであれば、概念の定義も共有せねばならない。 これはむしろ議論の出発点だ。議論の前に、前提の設定が必要ということである。

  • 科学者としても非常に身につまされる思いである。 明確な定義を与えられていない概念について、ジャーナル上で論争が起こるのは、誌面・資源・時間の無駄である。 だからきちんと定義して、論理的に議論を展開せねばならない。 だが定義を明確にしたら、定義そのものにイチャモンをつける研究者がいるのも事実である。実に悲しい限りではないであろうか?

  • Plularism という概念がある。多元主義と呼ばれる(上にも書きましたが)。「単一の現象を複数のメカニズムで説明することを受け入れる立場のこと」である。これは、理論的研究の根幹を担う立場である。 具体的には、ある現象を説明するための2つの理論があった時、どちらかのみを採用するか、両方を採用するか、という問題である。このPlularismのProsとCons(いいところと、わるいところ)がある。まず良いところは、多様な価値観を受容する体系は、科学の意義を全うしている。なぜなら科学の意義の一つは価値観の創出であるからだ。ただこれは諸刃の剣だ。いろいろな人が、単一の現象を説明する理論に対して、「車輪の再発見的」に名前をつけ、そうした「理論」が乱立することは、誤解やそれに基づく無駄な論争を容易に招くからである。 最もフェアな方法は、「理論」に名前をつけることではない。根本的な理論(たとえばNewtonの法則、自然選択の法則、etc)に立ち返ってみるという、レトロスペクティブ(懐古主義的)な立場である。

派生的誤謬: 多義性の誤謬

定義

単一の文脈で、1つの言葉を多義的に用いて、推論を行なうこと。

分類・性質

形式的誤謬。曖昧さ(明確に特定されていない仮定や結論)に起因する。これは「同じ漢字」「同じ音」が用いられている、異なる2つの言葉を混同することで起こる。

説明

明確な定義を、ひとつの議論に関する文脈で与えないことは、 二枚舌な結論をもたらす。 詐欺師がよく用いる手の一つと言えよう。

具体例

  • 叙述的な例:「四川料理は辛い。辛いというのは、心の傷を負うことである。従って、四川料理を食べると、心の傷を負うことになる」
  • 概念的な例:「(生物)進化とは、遺伝子頻度が、世代を経て変化することである。宇宙の形成過程というのは、(宇宙)進化である。ゆえに、宇宙の形成過程は、遺伝子頻度が世代を経て変化することである」

*1:貫くという現象を具体的に定義したところで、おそらくこの文字通りの矛盾は解消されない。

*2:ただ、2つの非網羅的な選択肢に基いて推論をおこなうこと、というのがより一般的な定義だろう

*3:宗教における信仰が一般的に「誤った多元主義」であるとする、厳格な立場もあるようだ: http://www.marketfaith.org/2016/02/the-five-fallacies-of-religious-pluralism/

*4:AとBとが「同一である」というのを、A~Bと書くとすると、関係「~」が同値関係であるための必要十分条件は、(1)反射律:A~Aである;(2) 対称律:A~BならばB~Aである;(3)推移律:A~BかつB~Cならば、A~Cである、と定義される。ロボット間に同値関係を導入するためには、「同一であること」を表現するためのルールを定義せねばならない。これがここでは明確ではない、ということである