Life is Beautiful

主に進化生物学の理論のブログです。不定期更新予定。

テストステロンと思想

竹内久美子さんによる、テストステロンとリベラル思想の連関についての記事が話題だ。

 

https://www.google.co.jp/amp/www.sankei.com/column/amp/180328/clm1803280004-a.html

 

「日本型リベラル」なる思想の持ち主とは、彼女いわく「共産主義社会主義が失敗に終わり、所詮は絵空事でしかなかったと判明した今でも、その思想にしがみついている人々」のことであるそうだ。

 

彼女は彼女なりに、動物行動学的な観点から、ヒトにおいて婚外交渉がこれまで起こってきたということを前提として、そのようなヒト社会では精子競争が起こってきたのかどうか分からないとする意見を、痛烈に批判している。

 

ヒトにおける婚外交渉つまり浮気の歴史を認めたくないから、精子競争などという概念を持ち出して、史実を捏造している、と。

 

また同じような例としてカジャール族を挙げている。女の子が生まれると一族が歓喜するのは、売春させて儲けるチャンスが高まるからに他ならない、と。この事実は、科学者によって歪曲され、隠されてきたと彼女は考えているようだ。

 

まずここまでの段階で、彼女は誤謬を犯している。ストローマン、かかしを殴る、とも言うものである。そのような「捏造者」の存在を根拠として示さずに、捏造者を批判しているのである。

 

論理とは、仮定から出発して結論を導く手続きの体系のことである。このもとでは、偽の仮定から出発するとすべての結論が正当化される。だからこそ、仮定の妥当性を吟味することは実務的に必要である。ここで彼女が怠ったのは、そのような捏造者の存在を明確化することである。

 

そのような、史実を隠蔽することを目指した研究者はいるだろうか?まずはそこからだろう。もしもいないのであれば、彼女がフルスイングで批判した結果は、全て空振りに終わる。

 

後半:テストステロン

 

後半は見るに耐えぬ、差別的論調である。

 

まず彼女は、男の魅力はテストステロンで第一義的に決まると考えているようだ。そもそもここでいう魅力とは何か?我々ヒトは、テストステロンという生物学的な要素によってのみ、パートナーを選択するであろうか。経済、性格、タイミング、そして大切に思う気持ち。多様な要素でパートナー形成は成立すると僕は思う。

 

ここでテストステロンを一義的な要素と断定することは、ヒトの思考を軽視しすぎである。ヒトの思考はどこまで及ぶか。なぜヒトには哲学的な考え方が可能か。ヒトとは何か。こうした、人類がその歴史を懸けて取り組むべき科学的命題を放棄したも同然である。

 

ヒトは、生き物である。ゆえにテストステロンの影響はたしかにあるだろう。しかし、パートナーとの関係を、そうした成分でのみ語ることは、叡智への冒涜であり、さらには優生学的で差別的な、恥ずべき思想である。

 

テストステロンが低い男たちが、日本人的リベラル思想に走るのではないか?という彼女の結論には、深い無理解と無意識な差別的思想、そして強引で無意味な断定的発想とが絡み合った、複雑な背景がありそうだ。

 

テストステロンだけが、パートナー形成を決めるのか。テストステロンが低い男たちには、自由な思想はないのか。テストステロンが低い男たちだけが研究者なのか。彼女は京都大学理学部にて日高敏隆を師として動物行動学を学んだ経歴を持っているらしい。しかしその事実は、このような無茶苦茶な論調をサポートしない。

 

 

ヒトの社会は、問題が山積みである。テストステロンは生物学において重要な役割を果たす要素であり、なにか我々はヒントを得られるかもしれない。それでも、テストステロンに遺伝的な背景に基づくような個体差があるのだとすると、そうした差・多様性を認める社会を我々が作っていくべきなのではないか。ぼくはそう思う。