先日、といっても夏前のことだが、京都駅近くの喫茶店に足を運んだ。そのお店はチェーン店だが、電源タップとWifiをどの店舗でも置いているところで、たいへんお世話になっている。
そのお店に到着して席を確保して注文後、論文を書き始めた。
すると店員にすぐさま、「当店は、お勉強でのご利用はお断り頂いております」と言われてしまった。そうか、そういうルールだったのか、とすぐには納得できなかった。
問題点
予備校近くの喫茶店では、熱心に勉強する学生で座席が埋め尽くされ、客の回転が低下してしまうことがよくある。それが原因で、「お勉強はお断り頂いていおります」という張り紙がなされている。
若い頃は、「それはルールなのだ」と納得していた。店側には、ルールを決める権利が(多かれ少なかれ)あるのは間違いない。たとえば「喫煙可能かどうか」などはそうであろう。
しかし、以下の点を問題提起したい。
1. 「勉強」の定義
そもそも、どこからが勉強なのだろう。予備校のテキストを開くのは勉強だろう。しかし、論文を書くのは勉強か?
あるいは、店側がルールを作るのだとしたらどこからが勉強と判断されるのだろう。“なんとなく、そう”見えたら勉強?
駄々をこねたいわけではない。本を読むのはOKで、予備校のテキストを開くのはアウト?簿記試験問題集は?TOEFLのスピーキング練習をかねて、留学生とおしゃべりすることは?人生そのものの課題を頭の中で考え込むことは?
2. 時間の使い方も店が決めてよいのか
僕なら唇がカラカラになるが、スモールサイズのコーヒー一杯で、おしゃべりを三時間も四時間もできる人はいると思う。そういう人たちにも、店側は注意するのだろうか。
人の時間の使い方は、人次第である。おしゃべり。本を読む。ぼーっとする。良い。いろんな二時間三時間があって、人はそれを求めて、喫茶店へ足を運ぶ。
勉強もきっとそうだろう。好きだからする。ヤバいからする。いろんな理由があっても、二時間三時間は平等に与えられている。
たとえば僕は、二時間以上居座った場合、必ずおかわりをする。店への感謝の意も込めて、である。JR六甲道駅のタリーズは僕の行きつけだが、その電源タップ利用可能席には、「二時間以上居座った場合、必ずおかわりをしていただけると…」というルールが明文化されている。
僕はこちらのほうが正当に感じると思うし、僕は店の持続性のためにも、このルールを守るようにしている。もちろん、義務ではないのである。
第一、こうすることによってお互いに気持ちよく関われるではないか。コーヒーは美味しいし、最近はレシートをおかわり割引チケットにできる店も多い。
店には、客の時間の使い方を規定する権利まではないのではないか。もちろん、周りの客に迷惑がかかる行為は論外であるが。
そんなにめんどくさい客なら来なくていい、とお考えかもしれないが、僕には「勉強お断りルール」よりも「二時間経ったらおかわりしてくれると嬉しいなの気持ち」のほうを、尊重したい気持ちにならざるを得ないのである。