Life is Beautiful

主に進化生物学の理論のブログです。不定期更新予定。

アメリカ英語へのカルチャー・ショック

アメリカに来て一年が経ちました。当初は速くて全く聞き取れなかった友人Aの英語も70%は理解できるようになったり、そうでない友人もいたり。

これは、「1対1の英語」と、「王道的な英語」の複雑な相互作用に依存するとは思うのですが、一緒に話す時間の長い友人の英語は、やはり聞き取りやすくなります。 早い話が、慣れてきます。

それでも痛感させられるのは、ぼくがこれまで学んできた英語がいかにアメリカ英語と異なるかということです。フランス人の英語は僕は、(単語が分からない場合を除けば)ほぼ完全に理解できる自信があります。また、愛するモンペリエに関するおしゃべりでも盛り上がります。じもトーク

しかしアメリカ英語は、いまでも苦労しっぱなしです。日々の学びを積分していくことでしか上達しません。話題もポリティカルなことだったり、アメリカ土着のネタだったり。ミュージシャンの話とか。

これを読まれる方の多くはアメリカ英語に馴染みがあるでしょうから些か驚かれるかも知れませんが、今回は、アメリカに来て初めて学んだり使ったりした表現を紹介します。

僕はこちらに来て友達に「フランス語訛り」と言われたことがあります。褒めてる?褒めてない?わからない。

  • Pardon?

フランス語ではよく使うのですけど、スイスやフランスでは英語では使ったことも聴いたこともありませんでした。どちらかといえば“sorry?”のほうがよく使われていましたし、僕は今でもそう言います。

  • For here / To go

喫茶店やレストラン、ファストフードのレジで注文した時の言葉。イートインかテイクアウトかということです。フランスやスイスでは持ち帰ることが多くて、emporte!といつも言っていました。

  • Here you go!

ほらね、ホラァ、とか、どうぞ!くらいのニュアンスでしょう。これを聴いた時はマリオを思い出しました。フランス語ではVoilà。

  • Have a nice one

半年くらい、意味を勘違いしていたのですが、Have a nice day/eveningくらいの意味だったのですね。スーパーに来てレジでよく言われるので、「買ったものを楽しんでね」という意味かと思っていました。ちなみにフランス語ではBon journée。

  • I'm gonna get a XX.

メニューを言う時に、XXをください、と言う時の表現。友達が言っているのを聴いてから、真似しています。でも喫茶店とかだと、coffee to go please、などと言ったほうが手っ取り早いこともあります。ぼくはCould I have XX?と言う癖があります。フランス語ではみんな大好きJe vousdrais/veux XX s'il vous plâit。

  • Would you mind XX?

これはここに書くのも恥ずかしい。きっとフランスでもスイスでも言われていたことがあると思いますが、記憶にない。〜してもらってもよいですか?ということ。もちろん中学で学びます。忘れてたわけでもないです。

  • I'm down!

「今夜飲む人?」などの提案・お誘いに対する返答。行くってことです。フランスやスイスではI'm in、あるいはそれよりもI'll be thereのほうがよく聞いたかな。

  • house

は?

と思われるかも知れませんが、ぼくはplaceという言葉のほうが馴染みがあります。Would you be interested in dancing at my place?といった感じ。houseって言うんや!と思った記憶があります。ここまででそろそろ、こいつアホやと思われてそう。

  • Oh yeah?

多分これはカナダ英語。「そうなの?」くらいの意味。僕もよく使います。Really?だと疑うニュアンスになるからでしょうが、Really⤵︎?と下げて言えば同じ意味になると思います。Ah oui?

  • Folks

音の可愛い単語です。仲間、友達、来てくれる人たち、参加者、といった、チームの仲間を指す言葉です。僕はguysとか言うくせがあるけど、男を指すニュアンスがちょいと出るのかな。

  • Football

言うまでもないですね。サッカーはsoccer、フットボールがfootball。Futbolがフランス語。

ワイファイ。フランスやスイスではウィフィと言っていたので、このへんでも「フランス語訛り」と言われる所以があるようです。

学術論文・プレゼンでのフォント特集1:英文原稿 本文 編

書道が好きなこともあり、フォントが大好きです。そんな僕にとって、論文を書いたり、プレゼンの資料を作るのは、ちょっとした幸せな時間でもあります。

「フォント」と一括りに言っても様々なものがあるので、今回は、

  • 学術論文などの、原稿(本文、図)
  • プレゼンなどの、発表資料(見出し、本文)

を作成するにあたって有用なフォントをご紹介します。その基礎的な部分に関しては、伝わるデザイン が日本で一番わかりやすいです。

これから、

  • 英文原稿 本文
  • 英文原稿 図
  • 英文発表資料

について紹介します(和文については、今後、気が向けば…)。まずは英文原稿の本文編。

僕のシステム(Mac OS X Sierra)にてイタリック非対応のフォントについては紹介しません(使用機会が限られるであろうから)。

例文は、ドラマFriendsのスクリプト

Hey, Emma, you better appreciate this while it lasts because when you get older, you're not gonna be able to just sit around all day

を、websiteから引用しました。また、タイプセットには、Mac OSXのPagesとKeynoteというアプリを用いました。あるいは、LaTeXを用いて出力しました。

すこしでも、研究やプレゼンにお役に立てば幸いです。

前提1:SerifフォントとSans Serifフォントとは何?

Serifとは、ヒゲ飾りのようなもので、Serifフォントとは、アルファベットの文字の端っこに、(書道でいう)トメ・ハライ・ハネ等があるものを言います。*1

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代表的なSerifフォントには

  • Times
  • Utopia
  • Libertine
  • Crimson
  • Palatino
  • Calisto MT
  • Cambria
  • Century / Century Schoolbook
  • Charter
  • Frutiger Serif (有償)
  • Garamond
  • Minion Pro(有償)

などの系統*2が挙げられます。日本語では明朝体(みんちょうたい)に対応するものです。

一方、Sans Serifは、そうしたヒゲ飾りのないフォントのことを言います。Sansとは、フランス語で「無い」という意味です。Serifが無いフォント、ということですね。

枚挙にいとまがないのですが、系統としては

などが利用可能です。和文では、ゴシック体に対応します。

前提2:和文フォントは用いない

明朝のアルファベットなどは利用してはなりません。詳しくは述べませんが、イタリックにも対応していないし、海外の研究者にとっては「未知の」フォントだし、何より長文になると読みづらい。和文では美しいヒラギノ明朝なども、英文では用いるの、ダメゼッタイ。

英文原稿の本文にはSerif体を用いるべし

僕が把握している限り、かなりの割合の学術論文は、Serif体を利用して書かれています。学術論文というのは、著者の多くが研究者であり、読者の多くもまた研究者であるので、きっと研究者コミュニティの間では少なくとも、読みやすいフォントであると考えられているのでしょう。これはきっと、長い文章になると、セリフ体のほうが単語の切れ目が視覚的に認識が容易であることに起因するのではないかと考えられます。以下を比較してみましょう。

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上のほうが読みやすいと感じる人が多いのではないかと予想しますが、どうでしょう?ちなみに、Helvetivaで11ptにしたのは、12ptにするとすこし大きすぎるためです。

以下に、いくつかタイプセット例をご紹介します。フォントサイズはすべて11ポイント。★印は、有償。

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詳しい解説

泣く泣く5つに絞って、推奨フォントをご紹介します。それぞれのフォントの歴史については、

などを御覧ください。

Times New Roman

Timesの後継者です。違いはイタリックにおいて顕著です。

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なお、LaTeXではよりモダンな、stixフォントが利用可能です。TeXLiveにも入っているので、Overleafなどでもローカルでも、用いるには、\usepackage{stix}でok。美しい。11か12pt推奨。

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Times New Romanはたくさんのジャーナルで利用されています。Evolutionや、British Ecological Society系のジャーナル、そしてEcology、Ecology Letters、Physical Review系もそうですね。

Palatino

由緒正しきPalatinoフォント。これを用いておけば、「可読性が低い」と思われる可能性はほぼゼロだと思います。すこし文字が大きめなのと、行間が狭く感じられるかもしれないので、微調整が必要。10pt推奨。和文にもフィットします。

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LaTeXでは\usepackage[T1]{fontenc}\usepackage{newpxtext,newpxmath}でok。Royal Society系のフォントは、最近になって、Plantin Stdというフォントから、Palatinoに変更されました。

Charter

すこし癖が強いフォントなのですが、遠目からの可読性は群を抜いています*5

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LaTeXでは\usepackage[charter]{mathdesign}\usepackage[T1]{fontenc}でok。ただ、ρや∂などが少しだけブチャイクなのが欠点。ジャーナルのGeneticsなどではこのフォントが利用されています。

PT Serif

あまり知られていないかもしれませんが、Googleの提供する素晴らしいフォント。僕も履歴書はこれで書いています。

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LaTeXでは\usepackage{paratype}\usepackage[T1]{fontenc}\usepackage{PTSerif}でok。残念ながら数学フォントは提供されていないので、僕は

\usepackage[charter]{mathdesign}\usepackage{paratype}\usepackage[T1]{fontenc}\usepackage{PTSerif}

として、先述のcharterを数学用のフォントにとして置換利用しています。

Calisto MT

Microsoft Officeにはおそらく標準的に備わっているはず。癖の強いフォントながら、イタリックにも対応しているは、遠目に見ても読みやすいはで、最も推奨したいフォントのひとつです。欠点は、LaTeXで利用不可能なこと。

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余談1:Googleさんあざっす

GoogleのSerifフォントは実に素晴らしいものが多いので、例をお見せします。くわしくはググってください。

Googleサンセリフ・フォントも実に素晴らしいです。それについては今後。

余談2:Linux Biolinum

サンセリフのようで、セリフ。セリフのようで、サンセリフ。不思議なフォントで、新しいカテゴリを作り上げたのではないかと思えるほどの見栄えです。標準には備わっていないので、ダウンロードが別途必要です。

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履歴書に用いる人も散見されますね。LaTeXでは

\usepackage[sfdefault,mono=false]{libertine}\usepackage[T1]{fontenc}

でok。エルなどが特徴的ですね。Oikosのタイトルなどはこれ。

余談3:ジャーナルにおけるフォント

  • 一部の学術論文では、いまだにGaramond、Baskervilleが利用されています。数式が使われる場合には、読みにくいったらありゃしない。
  • Nature系は一律、Minion Proが用いられています(残念ながら有償)。
  • Trends in Ecology and Evolutionは最近まで、Century Schoolbookが用いられていて、大変ふとく読みやすいフォントだったのに、最近になって、Helvetica(系)になってしまいました。改悪。
  • Plantin StdやWarnock Pro、Frutiger Serifも太く美しいフォントですが、有償。

まとめ

以上、ぼくの主観で、5種類の標準的なフォントを選抜して紹介しました。他にも普段から使用するフォントもあるにはあるのですが、まずはこれら5つを原稿に用いて比べてみて、好きなものを利用されるとよいと思います。

*1:https://bulan.co/swings/roman_basic-knowledge_history/ の解説が素晴らしい。

*2:系統、というのはつまり、フォントの開発に伴う後継のフォントがあるということ。フォントは進化するのである。

*3:ただしOptimaやBiolonumは、サンセリフとセリフの中間的な特徴を有していて、セリフが少しある、モダンなフォントです。

*4:No more Tofuの略

*5:Lucida BrightやFrutiger Serifなどもそうだと思う

*6:Notoは、Noto Serifはもちろん、Noto Sansが凄まじく読みやすい。

LaTeXのワードカウントにはSublimeプラグインを使おう

Sublime Textというテキスト・エディタがあります。ファイル形式(そして言語)に従って、様々なカラーでのハイライトを行なってくれるエディタです。

Sublime Text 2 - Sublime Text

.texを含め、だいたいのプログラム言語のファイルを開いて、快適に編集することが可能です。

さて、最近になって、Sublime TextではLaTeX コンパイルのためのPlugin(拡張機能)が利用可能で、その立ち上げは非常に簡単であることを学びました*1

Windows:

SublimeText3でUTF-8のLaTeX環境を構築する(Windows) - Qiita

Mac:

SublimeText3でUTF-8のLaTeX環境を構築する(Mac) - Qiita

その方法については、上のQiita参照で。

そのような、「Sublime TextでLaTeXコンパイル」を(面白半分な気持ちで)利用し始めたのがつい先週のことなのですが、驚くべきPluginを発見したので、それもついでにインストールしました:

GitHub - SublimeText/LaTeXTools: LaTeX plugin for Sublime Text 2 and 3

なんと、どうやらWord Countできてしまうらしいです。Microsoft Wordでは簡単に可能なword countでも、LaTeXではそれなりに労苦があるのです。

早速、試してみました。

スピード:一瞬!

従来は、TeXCountというPerlスクリプトが利用可能でした*2し、web interfaceでも行なうことができました*3。 しかし、ファイルをアップロードしたりPerlスクリプトを(ターミナルから)打ち込んだりする労苦に変わりはありませんでした。

しかしこのSublime Textプラグインでは、一瞬。例文では、

The quick brown fox jumped over the lazy dogs

を用いることにしましょう。

まず、Command(WindowsではCtrl) + Shift + Pで、プラグインを利用するためのパレットを呼び起こします:

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つぎに、現れるWord Countをクリック。すると:

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これより

  • 単語数は9
  • 空白スペースを除いたキャラクターの数(日本語で言う文字数)は37
  • 空白スペースを含んだキャラクターの数は45
  • スクリプト上の)行数は45

ということが分かります。

試しにMicrosoft Wordでも確認。

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当然ながら一致しますね(単語数9)。

Wordでのカウントの仕方との違い

どの程度まで、精度は保たれるのでしょうか。次の例文を利用してみましょう。

Joey: All right, all right, let's play one more time, ok? And remember, if I win, you do not move to Paris.

これは何を隠そう、ぼくの大好きな"Friends"というドラマの一幕。まずはSublime Textでカウントすると:

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単語数は23らしい。

MS Wordでカウントしてみました。すると:

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おや、22?この違いやいかに?

アポストロフィ

犯人の正体は、let'sのlet usを1とカウントするか2とカウントするかの違い。どうやら、Sublime Textでは、短縮形をセパレートしてカウントしてくれるみたいです。なるほど。たとえばo'clock(=of clock)やO'brien(=of Brien)は、ともに単語数2とカウントされるようです。

ただ、論文では普通は省略形は(人名以外)用いないので、問題なさそうですね。

引用文献や定義されたコマンドでのテキスト入力はカウントしない

ただ、このSublime Textカウントの欠点は、コンパイルしてPDFに現れる単語数をカウントすることはできないということ。たとえば、\usepackage{lipsum}をもちいて本文で\lipsumを命令したときのラテン語たちをカウントすることはできないし、引用文献に現れる単語たちをカウントすることもできない。そして、今のところ\caption{}や\footnote{}内の単語をカウントすることもできなさそう。

欠点こそあれど

TeXCount.plは有用なperlスクリプトですが、コンパイルしながらカウントできるという、閉じたシステムを利用するうえで、Sublime Textを利用するのは良いのではないでしょうか。

*1:とはいえもちろん、TeXLiveなどを事前に利用できる環境が確立されていたほうがよいと思います

*2:http://app.uio.no/ifi/texcount/

*3:http://app.uio.no/ifi/texcount/online.php

国際学会で僕が心がけていること

国際的な学会でいかに自身の研究を面白く伝え、顔を覚えてもらえるか、というのは、アメリカやヨーロッパでは特に重視されていることのように思います。それをどのように活かすか。僕の直近の経験談から探ってみたいと思います。

まずは経験談から

とても評判の良い学会(EEID)にラボの皆んなで行くことになっていて、講演登録を済ませたのが、3月の下旬。日本で二つの講演依頼をうけ、アメリカに戻ってきた次の日。なぜか食中毒に倒れてフラフラでした。

そして無事に登録が受理され、めでたく口頭発表できることになったのはいいけど、なんとパラレルセッションがないとのこと…

つまり参加者全員が一斉に会場にやってくる。 ラボのみんなはポスター発表で気楽。

僕一人が口頭発表。

オフィスでの背後の友人に「パラレルセッションがないとか知らんかった!怖い!(It’s scary!)」と言うと

「That’s why I didn’t apply to the talk session ;)」

意訳:「せやから私は口頭発表には応募せんかったんや」

おーーーーーい!

さあ、ナーバスもいいところです。

  1. 聴衆はネイティブ、僕は非ネイティブ。
  2. 聴衆は非理論家、ぼくは理論家。
  3. ぼくは非疫学者、聴衆は疫学者。

ということで、極力は数式を使わず、喋らなくても分かるレベルのビジュアル性で、ただただ聴衆に理解を訴えかけることに。

いわば顔芸

  • 6/17: 準備開始。

  • 6/20, 15h00: ラボのみんなのまえで練習。そこで一時間半ほど、みっちりコメントを貰う。そこでの評判は、なかなかでした。

  • 6/23, 16h00: ボスと1:1で練習の時間を割いてもらい、一時間半ほど練習。良いコメントをもらったので、大幅に変更。

  • 6/24, 10h00: ラボの皆と車でサンタ・バーバラまでドライブ。郵便局に寄り道しつつ、合計六時間。

寝て・食って・寝てるだけ*1でしたけど、Moss Landing Harborの野生のラッコが印象的でした。

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  • 6/24, 18h00: 会場到着。ウェルカムパーティに行ったり、すこし友人と電話したり、すきをみてスライドを改訂。

  • 6/25, 9h00: 学会がオープン。アットホームな雰囲気。ただし聴衆は300人以上いそう。僕はと言うと、練習は合計10回はしたはずやけど、本番までナーバスな状態が続きそう。

  • 6/26, 9h00: 学会公式のハイキング。海鳥の保護区域の外をハイキング。友人と迷子。10kmほど歩いたのち、別の友人夫妻と合流して、昼飯。

  • 6/26, 15h50: 僕の本番。アガりまくり。

しかし、リラックスできるように話しかけてくれた座長や、そのナイスなイントロもあり、あっという間の17分半のトーク。制限時間は質疑応答を含めて20分やから、我ながら完璧に近い時間配分。

かなり凝ったスライドを作ったこともあり、多くの笑をさらった。そのおかげで、終わる頃には肩の力もどんどん抜けていました。

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  • 質疑。日本語ですら苦手やのに。1人目の質問者の質問が、(僕が取り組んだトピックをAとすると)「Aは起こると思う?」というもの。質問者はいわゆるビッグネームの研究者。そこで僕はただひとこと、

“YES”

  • これで会場は大きな笑いに包まれた。友人たちはその後、その質問者の「悪意」についてプリプリしていたが、ぼくの回答もちょっとsnobbishだったので、おあいこ。

  • あとは、友人知人からの質問に答えて終了。鋭い質問だった。

  • 発表後は友人たちが心の底からトークを讃えてくれて、もう完全に僕の脳みそは「はよビール飲みたいモード」。

  • 僕はカナダで働く可能性もあったが、その可能性についてずっと検討して議論してくれていた受け入れ研究者(発表中に質問もしてくれた方)たちとバーへ赴き、そこでおしゃべり。最後に会ったのはローザンヌでのESEBなので、二年ぶりといったところ。

  • というか彼は、僕が発表すると知り、別の学会(@ポートランド)を途中で抜け出して、サンタバーバラに来てくれたらしい…!!!

  • バーには5人ほどで行ったけど、そこで話してた相手が、実は憧れの研究者たち(と途中で判明)。ここぞと、別の研究もしっかりアピールしておいた(寄生者による宿主操作の数理モデル、アリの巣の免疫の数理モデルなどなど)。

  • その後は、バーから懇親会、懇親会からまたバー、そしてバーから海での飲み会へ。海では焚き火を囲んで酒を飲む。その間、何度「I like your/Great/Lovely/Fantastic talk!」と言われたか、文字通り分からない。*2

  • 極めつけは、学会に来れなかったボスからのメール:

I don’t have to ask how your talk went. I’ve heard great things from lots of my friends and senior colleagues! Well done.

  • このうえなく、救われた思いに浸る。

  • 来週は学会で少しおしゃべりした研究者と、本格的にSkypeでチャットをすることに(lovely chatting with youって、素敵な表現のメールをもらった)。

何が大事やねん?

このままやと僕のただの自慢話、で終わりやけど、国際学会で強く心がけていることを簡単にまとめておきます。

発表前:練習・練習・練習。
  • 練習する。

  • そのうえでここは意見が割れるだろうけど、原稿は作らない。

  • 作ってもいいけど、読まない*3

  • というか、覚えるまでやるから、原稿は結局無駄になる。*4

  • 外国語の場合、せめてアクセントくらいは事前に確認しておく。大事なのは美しい発音ではない。アクセントがほぼすべて。ちなみに僕の英語はネイティブ的には、ややフレンチ・アクセントらしい(矯正中)。*5

発表前:発表を広告する
  • 当たり前だけど、自己紹介して、笑顔で、どこにいて、何をしていて、というのをお互いに交換しあう。

  • 「発表するの?」といった質問をして、お互いに口約束でもしておく。

発表中:聴衆のことだけ見つめる
  • これは普段の日常会話でもそう。
  • グループで話すなら全員の顔をくまなく眺め、見渡しながら話す。
  • スクリーンのほうしか見ないのは練習不足。
  • ぼくは、ポインタを使わないと理解してもらえないスライドは避けるようにしている。
発表中:ジョークに挑戦する
  • 趣味問題だけど、笑ってくれたほうが楽しいから。
  • すべることができるのは、すべる勇気がある者だけである。

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  • 注:In vino veritas = 「ワインの中に真実がある」…つまりお酒を飲めば本音が出てくる。ここでは、「発表中には、完全に正確な言葉遣いをしてはいないけど…」という語り口からRead 1909を引用し、最後に「懇親会(Banquet)で話そう」と表示。ここでの笑いが一番大きかった。
発表後:質問者に詰問する
  • 質問してくれた人も、完全に理解したうえで質問できるわけではない。
  • むしろ、どこまで理解や同意が得られているかを知るために、発表後にはこちらから話しかけると有効。
  • その後、「あとでメールするよ!」「原稿にコメントをもらってもいいですか?」などで、交流を深める。
発表後:懇親する
  • まあ硬い話も半分くらいにして、雑談するのも楽しい。
  • 多様な背景をもつ人たちが集まってきているはずだから、色々な話が聞ける。
  • お酒が飲めなくても大丈夫。
帰宅後:メールする
  • 僕は学会後は何人にメールを送ったか分からない。
  • 相手とどういう文脈で何を話したかをクリアにしながらメールすると、より仲良くなれる(し自分の脳みそに刻まれる)。
  • 共同研究の可能性を探る。
  • 二年前の学会で知り合った研究者(カナダのひと)とメールをして、ポスドクとして働く可能性にまで踏み込んだ(かなりポジティブな答えをもらっていた)。縁がとても大事。

こうしたことをMMEE2015(進化生態学数理モデル学会)、ESEB2015(ヨーロッパ進化学会)、EEID2017(進化生態疫学)でも心がけた。これは発表どころか、学会そのものを楽しむためのキモでもある気がする。

ちなみに、僕は怠け者なので、日本ではここまではしない。既に知人が多いからというのもある。そしてたぶん、そこまでマメでもないのだと思う。後記:すみません修士の頃には、していました

僕は英語も友達付き合いも得意でないけど、まずは友好関係を築きたい。そのための手段なんて、今御時世いくらでもあるのだから、活かさない手はない。マイナススタートなら、他の人のアベレージよりもがんばることで、ゼロに戻してようやく対等になれる。

そして最も大事なのは…

ずっと:笑顔でいること、楽しむこと、楽しむための努力をすること

*1:ラッコではなく、車中の僕の話

*2:なぜならば完全に酔っ払ったからだ

*3:無機質に読みあげるくらいなら、事前に録音したものを流したほうが良いとすら僕は思っている

*4:一部の方はご存知だろうけど、このまさに理由によって、僕は急遽発表を依頼されたりして発表すると、クソのような出来になる。急に引き受けるもんではない。。。

*5:僕は練習中の自分の声を録音しあとでそれを聞くという、地獄のような苦行をすることもある。自分の声というだけで気持ち悪いのに、その英語を聞くともう、「ああもっと頑張らなあかんな」という気持ちになる。ドMである。

論文内で「新奇性」をゴリ押しするのはちょっと、お下品

Novel Insights into Priority Claims:Cell Reporter

http://www.cell.com/crosstalk/novel-insights-into-priority-claims

何かと話題になっているこの問題。以前にも、編集長が新奇性を判断してエディターリジェクトするのが良くないという記事

lambtani.hatenablog.jp

を書きましたが、今回もそれに関連して。新規性をゴリ押しするのは下品だと思うし、すくなくともCell誌ではどのように捉えられるか。 すこし長いので要点をマトメます*1。ここでは新規性のゴリ押しを"Priority claims"と呼びます。

Priority claims can be unexpectedly false

「新しさ」は、レビュアーや著者らが見落としているだけ、という可能性がある。もしそうなら、既に発見した科学者に対する不敬にほかならない。

Novelty alone is no indication of an interesting advance

新しいからって面白い革新とは限らない。

Conversely, an interesting advance may not be “novel”

逆に、面白い革新が「新規」とも限らない。だって、「同じ発見だけど、別のアプローチで取り組みました」ということもあるでしょ。

Excessive priority claims can look like an attempt to inflate the importance of the work

過度に新規性を強調するのは、研究の重要性を誇張しているかのように見える。

なお、個人的な印象として、「新しい!」ってのを猛プッシュする論文は、不勉強・不精通に概ね基因しているような気がします。それを全世界に発信してどうする?!そしてだいたいは、下品で不格好。やめましょうね。

*1:当該のブログ内では具体例が挙げられていてなかなかに手厳しい

何月に論文を投稿すると掲載されやすいのか?

クリスマスホリデーのシーズンになると、ふと考える。

いま投稿してもエディターは対応してくれないのではないか…

いま投稿してもレビュアーは対応してくれないのではないか…

投稿数が少ない時期を狙ったほうが、チャンスなのではないか…

こんなごく自然な葛藤に、Cell Pressの編集員が答えていました。

When Are the Best and Worst Times to Submit Your Paper?:Emilie, Can I Ask You? http://www.cell.com/crosstalk/when-are-the-best-and-worst-times-to-submit-your-paper

As the year comes to a close, I am prompted to answer a frequently asked question related to annual "seasons" at a journal—when are the best and worst times to submit a paper? I think there are two assumptions behind this question: first, that there are times of the year when submissions are significantly higher or lower than average; and second, that success rates will vary accordingly. The first assumption is correct. The number of submissions at Cell is generally representative of submissions at other Cell Press journals, and there are times of the year when submissions pick up. Submissions tend to be highest in the summer (June, July, and August) and around the late fall (October and November) and are relatively lower in February and March. The summer boom is likely fueled by graduate students wrapping up projects for a spring thesis defense, faculty teaching responsibilities and classes coming to a close, and inspiration/competitive angst on the rise, with all the exciting science presented on the summer meeting circuit. Bursts of activity late in the calendar year likely reflect attempts to ensure a publication date in that year. And there are smaller but predictable surges in submission: hundreds of papers are submitted just before the end-of-year holidays.

  • 年の瀬も近づいてきたことだし、FAQに答えようではないか。それはジャーナルの「シーズン」に関するものである -- 投稿のタイミングの良し悪しはあるのか。あるとしたら、いつだろう?

  • この疑問の背景には、2つの仮定が潜んでいる:(1) 平均的な投稿数に比べて、投稿数が多い時期と少ない時期が、一年の間にある; (2) それに応じて、成功率*1が変動する。

  • ひとつめの仮定は妥当である。Cell誌における投稿数は他のCell Pressのジャーナルにおける投稿数のよい代表値になっていて、 投稿数が高まる時期というのが確かにある。

  • 夏(6-8月)と秋(10, 11月)は投稿数が最も多くなる傾向にあり、2, 3月は低い傾向にある。
  • 夏における投稿ブームは、春のPhDディフェンス(学位公聴会)に向けてプロジェクトをまとめあげるPhD学生、講義を終えた教員たち、そして高まる不安・インスピレーションにあいまって、夏の楽しい学会シーズン開始…といった事情に加速されるのであろう。
  • 年末に近づくにつれて投稿数が増えるというのは、年内の業績を高めようという試みを反映しているのだろう。
  • そして、投稿数の僅かながら予測される増加にいたる:年末のホリデー直前には数百本の投稿がある。

But the second assumption is wrong. Our editorial criteria are not influenced by submission volumes or by publication rates. We send important and interesting papers for review because they're important and interesting. If your paper is important and interesting, we'll get excited about it regardless of how many other important and interesting papers are submitted that week.

  • しかし二つ目の仮定は妥当でない。
  • Cell誌編集員の掲載基準に対しては、投稿数も出版率も影響しない。
  • 編集員が重要で面白い論文をレビューに回すのは重要で面白いからである。
  • あなたの論文が重要で面白いのであれば、同じ週にどれだけ重要で面白い論文が投稿されようとも、編集員の興味はくすぐられる。

この最後の言葉には励まされるしとてもフェアだと思います。 ちなみに個人的に一度、とある伝統あるジャーナルに「同じ週に、似たトピックを扱った論文が投稿されたので相対評価している」と言われて、査読にまわるまで4ヶ月待たされたことがあります。 しかも後にその論文はリジェクトされて他のジャーナルに掲載されていたのですが、全然似ていなかったのです。

Still, there may be one seasonal impact—not on the outcome, but on the speed of decisions. In early August and mid-December we frequently receive cover letters to the effect of, "Here is a beautiful piece of work from my lab. I will be on vacation for the next 2 weeks. It would be great to have the reviews when I get back." And in response to our reviewer requests in those same time periods, we similarly hear, "Looks like a really interesting paper. Would love to review it, but I am on vacation for the next 2 weeks so I couldn’t get back to you till ..."

  • それでも、ひとつだけ「時期」のもたらす効果があるだろう。それは結果に対してではなく、決定のスピードに対するものである。
  • 8月初頭や12月半ばには、カバーレターにこんなことが書かれている投稿を頻繁に受け取る:「私のラボからの美しい研究をここにお見せします。次の二週間はバケーションに出ますので、戻るころに査読結果をいただけると有り難いです」
  • そしてその時期にレビュアー・リクエストを送ると決まって「面白そうな研究だし査読できればどれだけ幸せかわからない、しかし次の2週間はバケーションに出ますので、○○までお返事はできません」という返事を受け取る。

So, happy holidays from me and the rest of the Cell Press crew! By all means, submit your paper anytime you want. But if you send it on New Year's Eve, don't be surprised if it takes just a few days longer to get news.

  • それじゃ、私と、Cell誌の関係者から、"Happy holidays"と申し上げたい。よいでしょう、好きな時に投稿して下さい。しかし大晦日に投稿されても、我々からの返事にすこしばかり時間が必要でも、驚きはしないでくださいね。

投稿する自由はあります。すっきりした気分で紅白歌合戦を観て、「行く年くる年」を観るのも悪くないでしょう。

ただ、師走は大晦日に駆け込みで投稿するよりも、原稿と共に新年を迎えて推敲を深めてから投稿してもよいかも。どうせどの編集員も査読者も、大晦日に投稿があってもハンドルできないのですから

ということで結論:好きな時に投稿すべし。

*1:アクセプト率と思えばいい

知っておきたい誤謬7: homunculus fallacy(ホムンクルスの誤謬)

定義

原理上、無限に後退させることが可能な推論。

分類

形式的誤謬。

論理形式

Phenomenon X needs to be explained. Reason Y is given. Reason Y depends on phenomenon X.

Homunculus Fallacy

説明

論理形式がやや分かりにくいが、終わりのないループによって、命題を示すこと。Infinite regressとも。

この終わりのない推論はただのトートロジーと同じというわけではない。 現象Xを、原理Yによって示した結果、原理Yが現象Xを内包してしまっていた、というパタンである。 この誤謬は、いくらでもスケールを広げたり、レベルを大きくできるようなメカニズムを用いて、命題を示してしまった時に起こる。

用例

  • 自我の起源を考える。「どこか別の世界の誰かが自分を操っている」という原理で自我の起源を説明すると、「操っている誰か」の自我の起源は非自明である(これをさらに操っている者はいない、という可能性は常に否定できないため、永遠にこの推論は終わらない)
  • よくできた生物の世界は、「デザイナー」によって作られたものだ(創造説)。これで地球上の生物の起源や多様性が説明される。(すると、この「デザイナー」をデザインした存在の可能性を否定することは出来ない)
  • ホムンクルスの誤謬:感情の起源を考える。感情というのは、それを操作している小人(ホムンクルス)によって生ずる感情の反映なのである。(ではそのホムンクルスを操るのは誰?メタ・ホムンクルス?)

分析

一般に、無限を(無垢な)推論で扱うときには、最深の注意を払わねばならないことが知られている。脚注にふたつほど例を挙げる*1。だが、この誤謬の本質は、プロセスの原理を、同じプロセスを用いて説明するという点にあるのであって、 「無限の推論」が常に許されないというわけではないことには、注意をせねばならない。

派生的誤謬:悪魔の証明

悪魔が存在することを証明することはできないし、悪魔が存在しないことを証明することもできない。 これはAppeal to ignoranceと呼ばれる。

用例

  • 「悪魔は存在すると思う。だってさ、存在しないなんて証明はないし、できないでしょ?」(「証明が存在しないこと」が、「存在しないこと」の根拠として用いられてしまっている)
  • 所有権証明の困難性:ローマ法以来の古い歴史を持つ。ある(財的価値のある)物の所有権を積極的に証明しようとすると、困難に陥る。たとえば、「父から継承した」ことを示したとしても、「父が祖父から継承した」ことを示さねばならないのである。こうしたプロセスをずっと繰り返すうちに必ずほころびは出てくる。これにより、所有権を証明することは実質的に不可能なのである。
  • 痴漢あかん:「きゃー!この人、痴漢です!」「お、俺はやってない!!!」「じゃあ証拠を見せろよ!」(痴漢で「冤罪であること」を証明するのは、非常に困難である)

教訓

僕の中にいるリトル本田の中にいるリトル・リトル本田の中にいるリトル・リトルリトル本田の中にいるリト

*1:

  • ヒルベルトパラドックス:無限の部屋数(1号室、2号室、3号室、…)をもつホテルに、たくさんの客(ただし簡単のため有限人数)がやってきた。フロントによると、部屋は満室らしい。これでもどうしようもない。しかし客の1人が、「それでは、それぞれ自室を二倍した部屋に移るように、いまのお客さんにお願いをしてください」とフロントに提案した。1号室の客は2号室に。2号室の客が4号室に。3号室の客は6号室に…という塩梅である。すると、(無限にある)奇数の部屋は全て空室になり、やってきた客は全員、泊まることができた。めでたしめでたし…

このヒルベルトパラドックスは論理的に誤った推論ではない。しかし、実は現代数学には「無限に必要な操作」に関して厳密である:

  • 選択公理:さきほどのホテルにある無限の客室はすべて「ダブル」で、どの部屋にも2人が宿泊しているとしよう。簡単のためその2人を「ペア」と呼ぶと、ペアもまた無限にあるということになる。ホテル側は朝食券を用意し、ペアのうちどちらかにだけ(代表として)渡すことをするという。ホテル側は、無限にあるペアから代表を選抜し、朝食券を渡せるのだろうか?

一見すると「できないわけがない」ように思えるが、実はこの操作を保証するには、定義や定理、命題ではなく公理(axiom)を課す必要があるのである。一種の前提でありルールのようなものである。このルールがあると、色々と都合がよい…し、それどころか、このルールがないと、論理上の困難が現れ、数学の体系の根幹自体が危うくなってしまうのである。

だがこのルールを採用するとまた、不思議なことが起こることもまた、知られている。詳しくはバナッハ・タルスキのパラドクスを参照してほしい:

バナッハ=タルスキーのパラドックス - Wikipedia

現代の数学にはいまでも、このような公理の問題が残されているし、この問題が解決されることはない。このように、数学の根幹を支える「無限」という概念には、文字通りの無限の深淵さがあるのである。

ではなぜ数学的帰納法は許されるか?ということを考えると、どつぼにはまる。「超限帰納法」「整列可能定理」について調べられるとよい。選択公理も関わってくる。