自粛期間にあって外出することを控えている我々の行動規範は、感染症拡大を抑制するうえでは大きな効果があります。
同時に、経済的にはダメージも当然あって、それは、政府が補償すべきだという姿勢は揺るがないのですが、ただでさえ資源の枯渇した日本にあって、生産者の方々の担う役割は計り知れません。
それだけに、いかに生産者の方々を支えるか、というのも重要な課題です。*1
現にSNSでは、野菜・乳製品・牛肉・鶏肉・豚肉・魚介類を積極的に摂取することを促すポストも散見されます。そうです。経済を、大挙してまわさねばならない。
ひとつの心配事
上のものはすべて食べ物に関するものでした。食べ物は(多かれ少なかれ)他の生物由来です。 どんな生物をどんな形で利用するにあって、忘れてはいけない観点は、生態系の恩恵として持続可能性を保つことです。 ざっくり言うと、家畜などの動物、魚介類を、「すなわちいくら消費しても問題なく、お金さえ払えばベルトコンベア式に獲得できる食べ物」かのように見なすことはとても危険だということです。
そうした誤った信念は、必ずいつか破綻します。持続できる形で利用する。これは、利用するうえでの前提です。そのために社会ができることは、適正価格で取引すること。個人ができることは、適正価格で購入すること*2。
その点で、「食べて応援」というスローガンには重大な観点が欠如しています。これはもともと、ニホンウナギの漁獲量の低下において掲げられた標語です。 冷静な解説がここに↓
上のエントリはフェアな意見ですが、問題は、「食べて応援」は完全に、持続性の観点が欠如したものであること。乱獲浪費を招きかねない。
もっとも重要なのは適正価格で取引すること。
肉類を食べる行為には、もっと大きな、個人へのコストがともなって然るべきだし、密猟や密漁で財を成す人々の懐へのフローをいかに断ち切りつつ罰則を重くするか(これが、密猟密漁へのインセンティブをへらすことにつながる)という制度設計の観点からも議論されるべき問題です。
できれば、100年後の子孫に、「うなぎは滅びた生き物」という(将来の)史実ではなく、「うなぎは高いけど、時々は口に運べるかもね」という価値観が根付いていて欲しいものです。